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多和田葉子『地球にちりばめられて』(講談社)

多和田葉子は新刊が出ると、大体すごく好意的な書評が出て、それに惹かれて読んでみるのだが、どうも、相性が悪く、きらきら光るところが見えるのに、それが全体として身に浸みてこないことが多いのである。芥川賞とった『犬婿入り』の頃からずっと。『雪の練習生』とか『献灯使』とか、すごく独自の世界でひゃー、と思うのに、どうも堪能出来なくて、堪能できない自分が悔しかった。

今回の『地球にちりばめられて』も、期待して読み始め、また、違和感を抱くことになるのかな、と思ったのだが、違った! 今回は隅から隅まで面白く楽しく読んだ! 異文化世界に移住し、複数の言語について考察しながら詩や小説を書いている作者の渾身の力が伝わってきて、様々な文化的バックグラウンドを持った登場人物たちがそれぞれに説得力を持って身に迫ってきた。(この先ネタバレありますので未読のかたは注意)

『献灯使』に続き、これも一種のディストピア小説である。舞台となっているコペンハーゲン、トリアー、オスロ、アルルは見たところ、普通の都市だが、世界のどこかで何かが起こっている。HirukoそしてSusanooの祖国は、彼らが出国してヨーロッパで学んでいる間に、消滅している。何故消滅したのか、何が起こったのかわからないのに(そして、誰一人事情は知らない)、彼らは取り乱すこともなく、ただ、同じ言葉を喋ることが出来る人がいないものだろうか、と思っている。でも祖国に帰りたいとか、祖国で一緒に過ごした人と会いたいとか、そういう感情の発露はない。Hirukoには高度の語学センスがあり、英語が喋れるというとアメリカに送られてしまいそうだから、英語は喋れないふりをして、パンスカという、スカンジナビア各国の言語を統合した不思議な言語を創造してあやつりながら北欧で暮らしている。その姿をテレビで見た、デンマーク人のクヌートがHirukoに会いに行き、物語が動き出す。クヌート、Hiruko、アカッシュ、ノラ、テンゾ/ナヌーク、Susanoo、クヌートの母(登場順)、様々な出自と文化背景を持ち、喋れる言語もみんな少しずつ違い、全員がコンセンサスを取れる場ばかりではないのに、何故かするすると物語は進む。進んでいるのに、何に向かっているのか、どのような展開が誰の幸福なのか、誰にもわかっていない。消えてしまった国は鮨の国、と呼ばれ、海藻からとられたダシ/ウマミに対する興味が人々をつなぐ。でも、それはもともと、その消えてしまった国にあった鮨とか出汁とか旨味とは違うもののようでもあるのだ。

クヌートが体現するデンマーク人のアイデンティも興味深かったが、テンゾ/ナヌークが語るグリーンランドの生活は更に面白い。そもそも、デンマークに対するグリーンランドの関係、というのがきちんと理解出来ていなくて、読みながらWikipediaでグリーンランドについて調べたよ。昔の地理の授業では、グリーンランドはデンマークの領土、と習った気がするが、今は微妙に違う、ってのは今回知ったという...。知らないことを知る、というのもこの読書の愉しみであった。ノラが語るドイツ学歴社会の構造、とかも日本と違って興味深かったし。逆に、HirukoやSusanooのアイデンティティみたいなものを、日本人の読者であるわたしは、あまり必要としていない。世界にちりばめられた、かつて鮨の国のひとであった人たちの漂泊の過程だけが、読者を運んでいく。

結局何も説明できていない気がするが、一人一人の登場人物と会話するように、読書に向き合えたことはとても幸せなことであった。

#読書 #多和田葉子 #地球にちりばめられて #スカンジナビア #デンマーク #グリーンランド  

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