日本歴史学協会の拡散希望勝訴が示す日本学術会議の任命拒否の正しさ
日本歴史学協会の弁護をした神原元先生は次の報告をしました。
一方、この訴訟とかかわりのある武蔵大学人文学部教授の北村紗衣先生は次の意見を持っています。
(注:これは、日常では法律用語としてしか使われていない言葉を、どこにも存在しない先生独自の定義で議論に使うことが正しい、と北村先生が謎の主張した際のもので、神原先生の報告に対するものではありません。)ここでは、北村先生の「法的にはOKだからいいんだ」=「日本歴史学協会の全面勝訴」ととらえ、この訴訟における日本歴史学協会の主張を(法的ではなく)学術団体の倫理という観点からメモしておきます。
この勝訴からわかることは次の3つです。
日本歴史学協会の発言に正しさはありません。
内容にかかわらずSNSで何かに言及すれば、日本歴史学協会の気持ち次第でそれはハラスメント行為です。
日本歴史学協会は自分たちを上級国民と思っています。
全面勝訴の理由:「ハラスメント行為」は事実ではなく日本歴史学協会の評価なので証拠も証明も不要
全面勝訴の理由をおおざっぱにまとめると、日本歴史学協会の声明にある「あらゆる社会的弱者に対する、長年の性差別・ハラスメント行為」は事実ではなく、あくまで証拠により証明できない日本歴史学協会独自の論評というのが裁判で認められたからです。
意見論評は正しくなくても言論の自由のために守られなければいけません。次の仕組みによる、日本歴史学協会の意見論評は言論の自由のために勝訴という形で守られたのです。
日本歴史学協会が考える社会的弱者というカテゴリーがある
原告がSNSでそのカテゴリーに言及する(事実としてあった行為)
日本歴史学協会が何をハラスメントと認定するか、明確な基準はない(ハラスメント=尊厳を損なうすべての行為、尊厳を損なった証拠は不要(判決より))
日本歴史学協会がその言及がハラスメントだと意見論評(事実ではない)する
日本歴史学協会が意見論評と明示せずにその意見を声明として公表
つまり、日本歴史学協会は証拠を示せない意見論評を声明として公表したのです。学術団体を自称する組織の声明に、事実ではないし客観的な基準の下で議論された結果でもない、独自の論評が示されていると、読み手は想像しなければいけないのです。この独自の論評は、事実も基準もないので、日本歴史学協会の気持ちにもとづくといえるでしょう。
証拠なしに、彼はあらゆるハラスメントを行った、彼はハラスメントなど行っていないと主観で決められる日本歴史学協会は、魔女裁判を行っているようなものです。この令和の時代に魔女裁判をしたい人は歴史学を学ぶとよいでしょう。
勝訴が示す、日本学術会議の人文学者任命拒否の正しさ
そしてこの勝訴は、日本歴史学協会の自分たちが特権を持つ上級国民であるという意識を明らかにしています。その特権とは、政府など他者は日本歴史学協会に説明する必要があるが、自分たちは他者に説明の必要はないというものです。判決にあるように、この裁判では、SNS上の言及がハラスメントだと証明できる客観的な証拠はありません。言及に対して、説明なく日本歴史学協会が独自に評価したにすぎません。
一方、日本歴史学協会が説明する側から説明される側へ立場が変わると、様相は正反対、相手が説明するのは当然という考えになります。例として、「「共謀罪法案」に反対する緊急声明」(2017年4月11日)、「菅首相による日本学術会議会員の任命拒否に強く抗議する(声明)」(2020年10月19日)「岸田文雄首相に対し、任命拒否された6名の研究者の日本学術会議会員への任命を求める声明」(2021年10月4日)の3つの声明から引用します。
これらの引用にならえば、「本来あるべき、(証拠を提示しない意見評論での勝訴に喜ぶ)日本歴史学協会という権力の、市民社会による監視は不可能であり、日本歴史学協会という権力が進みつつある方向を客観的に知る手段を一般人は奪われている」、「客観的に検証可能なハラスメントの定義と証拠認定の手続きを明らかにしないことが問題である。」「客観的に検証可能なハラスメントの定義と証拠認定の手続きを一切明らかにしてこなかったことも問題である。」といえます。
このように声明文という同じくくりの中で、他者に説明を要求するも、日本歴史学協会みずからは説明せず、説明がないことによる勝訴を喜んでいるのは、日本歴史学協会が知る権利や権力の監視を誰にとっても重要だと思っていない、自分たちの特別なものと思っていることの表れです。
このような上級国民が日本学術会議にいたところで、国民に説明を尽くし、客観的に検証可能な議論でものごとを決定する、などと期待するのは無駄でしょう。それを国民が感じているから、日本学術会議任命拒否はまったく問題にならないのです。このような自らの客観視ができない、分析力を持ち合わせない人しか日本歴史学協会にいないのですから、任命拒否に苦情を申し立てるのではなく、実力不足を理由に日本学術会議任命を辞退するのが能力の欠けた人なりの科学への貢献ではないでしょうか。