先月、和希さんのために海外遠征して観た「9to5」のことを少し記録しようと思う。 劇場:日本青年館 やっぱりコメディが一番楽しい 正直に言うと、作品自体については、1970年代のちょっと「古い」物語であり、ミュージカルとしても目新しさはない。今日の視点で見ると、曲や形式、テーマのいずれも少し古く感じられる。しかし、今回、上田一豪さんが演出を手掛けた日本版は、洗練された舞台美学や、動きと現代感を兼ね備えた舞台装置によって、あの古めかしさをできる限り和らげている。 劇
花組版「ドン・ジュアン』について、もう少し話そう。 生田大和先生が語ったように、マリアは一歩間違えれば「悪女」と誤解される役柄である。(「歌劇」より。もちろん、「悪女」や「ダメ男」といった表現は、広めやすさを目的とした極端に簡略化された言葉であり、人物の複雑な人間性を圧縮するもので、文芸作品の登場人物をこのように理解することは避けるべきだ。) フランス版から日本初演の雪組版に至るまで、マリアは父権社会の中で道徳的に欠陥のある女性として描かれてきた。婚約者がいながら他の男性
noteでアカウントを開設して記事を書くことにした一番の理由は…私、ほんとうにおしゃべりなのだ!Xでは長文が書ききれなくて、いつも言いたいことを言うために投稿の下にコメント欄を何度も追加しなければいけないんだ。(なぜ日本語がそんなに下手なのに、そんなに書くことが好きなんだろう。) この文章では、外国人として宝塚のファンになった経緯と、宝塚が私を引きつける理由について簡単に紹介したいと思う。 日本に住んでいない私が、どうして宝塚歌劇を好きになったのか? 私とタカラヅカの縁
先日、花組版の「ドン・ジュアン」(もちろん映像で)を観た。 2016年雪組版や2019年の外部版と比べて、花組版はかなり違ってる。生田大和先生の自らを覆す勇気に感服した。 良い点はさておき、2016年版の一番好きなシーンがなくなってしまったのがちょっと残念だった。 それは、石像の除幕式の場面だ。ドン・ジュアンが無遠慮に広場に現れてマリアを探し、拘束されて追い出され、ちょうどその時、マリアが姿を現し、ドン・ジュアンは必死にもがきながら「君の住んでる世界へ来たぞ」と言い、そ