花組版「ドン・ジュアン」
先日、花組版の「ドン・ジュアン」(もちろん映像で)を観た。
2016年雪組版や2019年の外部版と比べて、花組版はかなり違ってる。生田大和先生の自らを覆す勇気に感服した。
良い点はさておき、2016年版の一番好きなシーンがなくなってしまったのがちょっと残念だった。
それは、石像の除幕式の場面だ。ドン・ジュアンが無遠慮に広場に現れてマリアを探し、拘束されて追い出され、ちょうどその時、マリアが姿を現し、ドン・ジュアンは必死にもがきながら「君の住んでる世界へ来たぞ」と言い、そのタイミングでマリアのテーマ曲の変奏が流れ始めた――というシーンだ。
雪組版を観た時、このセリフとテーマ曲の変奏が重なった瞬間、涙が一気に溢れ出した。しかし、外部版と同じように、花組版の石像も完成してなかったから、そのシーンはなかった。なんだかちょっと残念だな……
雪組版、外部版、花組版の3つのバージョンでの石像の完成状況を比較するのはとても面白い。雪組版は完成していたけど、砕かれてしまった。外部版は最初から最後まで完成していなかった。花組版は最後にバラの形に彫られていた。個人的には雪組版が一番好きで、マリアの反骨精神に満ちた美しさがあった。
前の数ヶ月で七島周子さんの宝塚に関する本を読んだんだけど、その中で具体的なセリフの口調や表現について言及されていた。それをきっかけに、日語があまり得意じゃない海外ファンとして、日本本土ファンとは作品の楽しみ方や注目する点が少し異なるのじゃないかと改めて感じた。日本本土ファンがセリフの口調が適切かどうかを判断できる一方で、私はまずそのセリフの意味を理解することに集中している。一般的に、私は映像を頼りにして何度も繰り返し観る必要がある。
例えば、雪組版「ドン・ジュアン」に関しては、劇全体を最初から最後まで100回以上"聴いた"(全く誇張じゃない。この劇が大好きで、望海さんの歌もとても好きなので、2ヶ月の間にずっと全劇をループしていた)と思う。何か作業をしながら、画面を見なくてもこの作品をBGMのように「流して聴いて」いたほどだ。その結果、ようやくセリフの口調が適切かどうかを判断できるようになったのだ。
海外のファンにとって、観劇自体が非母語で劇の世界と努力して交流しようという意図を持っている。