おれの闘病生活と裏切り 5話 言ってはいけないこと
おれは調子が安定しないので入院することになってしまった。ネガティブな幻聴が聞こえ、幻覚も見える。幻聴は、
「ハヤクシネ イナクナレ」などで、幻覚は「地獄絵図」を見ているかのようだ。
ひとつ気になることがある。それは、妻が話し友達と言っている奴との間柄。ないとは思うが、仲がいいみたいだからおれが入院している間に体を交える関係に発展しないか心配。でも、妻を信用するしかない。洗濯物を取りに来て洗濯してまた持ってきてくれるみたいだからその時にでも様子を窺ってみよう。多分、大丈夫だろうけれど。
入院1日目。検査尽くめだ。CT検査、MRI、採血、身体測定、血圧など多岐に渡って調べた。
結果は血糖値が高いということだった。糖尿病とまでは言われなかったが、気を付けるようにとは言われた。
それから、心理検査もした。結果は、特別なこだわりもなく普通の人と担当医がわかりやすいように説明してくれた。おれが思ったのは、「普通の人」ということは、どこにでもいる個性もない人間なのか、と解釈した。これは、担当医には言ってはいないが。こんなネガティブなこといくら担当医でも言いたくない。でも篤子には言おうと思っている。愛妻だから。10歳になる知的障害児の啓二のことも心配だ。親だから子どもがいくつになっても心配なものだ。障がいがあるから尚更だ。そういう子のほうがもしかしたら素直なのかもしれない。真面目というか。
入院二日目。今日は金曜日。午前中に男性患者が入浴する曜日。月曜日・水曜日・金曜日が入浴できる曜日だと入院した時、説明を受けた。
日中に入浴するのは最初、抵抗があった。でも、嫌とは言えず入った。気持ち良かった。怠くなるイメージがあったけれど意外にそうでもなかった。
この分だと下着の替えは2日に1回で良さそうだ。でも、土曜日、日曜日と二日間も洗髪出来ないのが困る。看護師に訊いてみよう。とりあえず、風呂から上がってからだ。
脱衣所で体を拭いている時に男性の看護師がいた。
「すみません、土曜・日曜って髪洗えないのですか?」
すると、
「基本的には洗えないんですよ。どうしても、という時だけ許可してますけど」
「そうですか。因みに、どうしても、というのはどういう時ですか?」
「ああ、それはスポーツをした後とかの汗をかいた時とかです」
なるほど、と思った。
「スポーツはどこでできるんですか?」
看護師は笑顔で、
「この病院には体育館があるので、そこでできますよ」
「どんなスポーツができますか?」
おれは服を着ながら喋っている。
「主に、卓球・ミニバレー・バスケ・バトミントン・サッカーなどですね」
体格が良く、優しそうなその看護師は、大沢敏明と水色のナース服の右胸の辺りに刺繍してある。
「そうですか、まあ、今のおれは調子悪くてできませんけどね」
「焦らなくていいですよ。佐野さんはまだ入院したばかりだし」
大沢さんは感じのいい看護師だな、と思った。
「わかりました。ありがとうございます」
服を着て、再度、
「ありがとうございました」
と、礼を言い自分の部屋へと戻った。すると、妻が来ていた。
「よお、今、風呂入ってたんだ」
「あ、そうなの。様子見にきたの。調子はどう?」
珍しく優しい篤子。どうしたのだろう。
「うん、風呂入ったからか少し上向きだ」
妻は笑顔になり、
「そう、それはよかった」
おれは思ったことがある。それは、もう少し調子が良くなったら体育館を借りて大好きなバスケをしようと思う。なので、
「篤子」
「なに?」
妻は不思議そうにこちらを見ている。
「もう少し調子が良くなったら、体育館を借りてバスケをしようと思うんだ。だから、タオルとスニーカーを持ってきてくれないか?」
篤子は笑みを浮かべながら、
「いいことじゃない。わかったわ」
「頼むな」
篤子が買い物袋を持っていたので、
「それは何だ?」
訊くと、
「これはね、」
買い物袋を開いておれに見せた。中には、飲み物が7本、お菓子が4袋入っていた。飲み物と言っても、スポーツドリンク、青汁が2本ずつ入っていて、残りはコーヒーのブラック2本と紅茶のストレートティー1本だった。おれは甘い飲み物が好きなのにほとんど、味気ないものばかり。俺が、
「はぁー……」
ため息をつくと、篤子は、
「体に良いものを選んで買って来たのよ」
そう言った。
「お前、俺が甘いもの好きなの知ってるだろ。何で買ってこないんだよ」
篤子は真顔になった。
「運動もしないんだから、甘いものばかりじゃ体に良くないでしょ!」
妻は子どもに言うようにおれを叱った。おれは言い返す言葉が見つからないから黙っていたが、
「持って帰ってくれ」
と、おれは言った。
「あっそう! わかったわよ! せっかく持ってきたのに」
おれは篤子の、せっかく、という言葉に失敗した! と思った。だが、後の祭り。妻のおれへの気持ちを無にしてしまった。
「あたし、帰る! もう来ないから!」
「ちょっ! 待ってくれ!」
おれの話など聞きもしないで、さっさと行ってしまった。
「あ……。しまった……」
何ということを言ってしまったんだ、おれは。かなり酷いことを言ったから許してもらえるのだろうか。不安になってきた。
おれはおれと同じくらいの年齢の看護師をつかまえてさっきの篤子とのやり取りを打ち明けた。すると、
「あー、それはやってしまいましたねー。ひたすら謝るしかないと思います」
そう返答された。確かにそうだろう。でも、おれは謝ろうとした時には篤子は帰ってしまったあとだ。果たして俺と篤子はどうなるだろう。