人生何度目かの『きらきらひかる』を読んで
私は江國香織の『きらきらひかる』という本が大好きだ。
人生のトップ3に入る(前にも書いたかもしれないけど)本で、なにかあった時、なんでもない時、本棚を眺めていてふと背表紙のタイトルが目に入った時。今、私は『きらきらひかる』を読んで、泣いている。
本当に大好きなので、冗談抜きで10回以上読みなおしているはずなのに、それでもさっき泣いてしまった。
江國香織の本は読み手の心情を反射してこちらに寄越してかえす、と私は前々から思っている。
例えば、ひどい失恋をした後に読む江國香織は「この気持ち、分かるよ。私知ってる」と感情移入できるのに、なんてことない日に読み返すと「幸福すぎて別れるなんて馬鹿げてる」と少し笑ってしまうのだ。
今日は「この気持ち、分かるよ」の日だ。
『きらきらひかる』は、情緒不安定でアル中の笑子と、ホモで別の恋人を持っている睦月の結婚生活を描いたものだ。
登場人物たち(笑子の友達、家族や睦月の家族など)は「結婚したのだから子供を作るのは当たり前。子供がいればなにもかもが変わる」と、そんな感じのことを言う。
たぶん「個々人の特性個性主義主張を受け入れていこうね。人間十人十色だからね」と、さんざんっぱらいい続けている令和の世でも、この生活を否定する人は多いだろう(「情緒不安定なアルコール中毒患者は病院に行って適切な治療を受けろ」だとか「ホモ(今だとゲイと言わないと怒られてしまう)に妻がいて、男のセカンドパートナーがいるなんておかしい」だとか、そんなことを言われてしまうだろう。特にこのインターネットにおいては)。
それでも、2人はこの結婚生活を愛し、守ろうとしていた。
笑子は愛を交わせなくても睦月を愛していたし、睦月の恋人のことも大切に想っていた。睦月も情緒不安定で怒りっぽくなったり鬱で気持ちが沈んでしまう笑子を愛しんでいた。
だから、この結婚生活は、2人にとってしあわせなことだった。
でもやっぱり、世間は許してはくれないのだ。
私は今、どっさり薬を飲んで、精神を落ち着かせながら生きている。
カウンセラーや医者に「生きづらいね」「よく生きてこれたね」と言われたこともあるくらい、私はこの世界に対応できていない。
婦人科にも通っていて、生理を止める薬も飲んでいる。
常にデバフ、なにかしら体に負荷がかかっている(ずっと外に出ずにいるのに)。
それでも、3年間一緒に暮らしている人がいる。
彼は、私のことをすごく大切に想ってくれていて「私は事故物件だよ」というと「こんな優良物件ないでしょ」と返してくれる。
3年間変わらない愛情を注いでくれる。
彼も彼でまあ困った人で、一人暮らしをしていた頃「こんなにひどいところは初めてですよ」と清掃員の人に言われるほどのゴミ屋敷(厳密にいうとゴミ部屋)に住んでいて、とにかくモノを捨てられない。というより、捨てられるモノを床に散らばらせる癖があった。
だから私はモノを捨てる必要性を毎日説いて、分別できるようにゴミ箱を仕切り、生活動線をしいた。
彼は過去のトラウマでひどく卑屈で、定期的に情緒不安定になる。
私も情緒不安定なので、それらがぶつかった時はそりゃもうひどいことになる(どうしようもなくなってしまい、包丁を取り出すことも何度かあった)。
でも私は今の生活が、人生の中でいちばん安心できるのだ。
「穏やかに生きたい」と常日頃思っていた私にとって、今が穏やかな生活と言っても過言ではない。
だからこのまま彼と一緒に生きていきたい、最期まで生きていきたい。
「子供も産めない女連れてきやがって」
これは、彼の父親が彼に対して言った言葉だ。
彼は専門的な仕事をしており、いわゆる跡継ぎとして育てられてきた。だから、父親は自分たちと同じように「健全な結婚をし、子供を産み育てる」という「一般的な」生活を送って欲しかったらしい。
でも私たちはそれを拒否した。
子供なんていらない。自分たちで手一杯なのだから。
それを許してもらえないのが、令和の世だ。
『きらきらひかる』では、なんとか両親の目をかいくぐり、笑子と睦月はいつもの結婚生活に戻っていった。
でも、何かの短編に出てくる笑子と睦月(らしき人物)は、少し不幸になっていた(睦月の恋人が出ていってしまい、その帰りを健気に待つ笑子と憔悴しきった睦月の描写がある)。
私はどうだろう。
私の人生はこれからどうなるんだろう。
次に『きらきらひかる』を読んだ時、私は一体なにをして、どう生きているのだろう。
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