小さき者へ/重松清(その4)
いよいよ表題作です。小さき者へ。
14歳の息子が半分登校拒否になって、色々と振り返って反省したりする父親が渡すあてのない手紙を通して心情を吐露していく感じの進め方ですね。
酔っ払って書いてる設定なので、本音とか弱音とかもだらだらと垂れ流されていて好きです。
特に172ページ目(新潮文庫版で)が、ほんとうにあかん。
ただそれだけで生きることが意外と難しいんだとわかったのは、おとなになってからだ。
とか、
お父さんは、優しくない息子だった。
優しくない息子が二十数年後、父親になって、自分の息子には優しくあってほしいと願う。
それはやっぱり、虫のよすぎる話なんだろうな。
が、なんかほんともう。
一つ目は、いやほんと、まじでさあ。。なんで普通に生きるってこんなにハードなんだろう……日本だからなのかな……満員電車とかマジ無理だし………でも日本食大好きだし…ていうかほんとに生きてるだけなのに住民税とかそういうのかかりすぎでしょ……生きてるだけなのに…………とか思うじゃないですか。
そして二つ目。
私もぜんっっっっっぜん優しくない娘だったし、将来子どもとか作っちゃったとして、優しくしてもらえないんだろうなとか、そりゃそうだよなあ当たり前だよなあとか、でもだからって自分の親に優しくするとか無理だし、ていうかそんな謂れはないし……いやでも優しくない人間には誰も優しくしてくれないよなあ………とか。
なかなかずーんって悩むし落ち込むんですけど、最近思うのは、まあ、優しくするに値しない親だってそりゃいるし、誰にでもハイパー親切みたいなの無理に決まってるし、優しくしたくなる人に優しくできればまあいいんじゃないかなあって。優しくして欲しいから優しくするんでも、まあいいじゃん。意地悪するよりは偽善でも善の方が色々とうまいこと行きそうだし。
心に余裕があればたくさん優しくできそうだし、とりあえず私のこと愛してもらっていいですか?とはすごーく思います。
あと、『大人は判ってくれない』(仏映画のタイトル)んじゃなくて、わかったふりをしているおとなを許せないのが、14歳だってところ。
それでも、気持ちがわかると言いたい大人、もとい親。
わかってくれないよりもわかったふりをされる方が確かにほんとうによっぽどイライラして悲しくてどうしようもなくげろげろげーって感じだったし、ていうか今もそうですね。
「は?そんな程度でそんなダメージくらってんの?は?弱くね?俺だって色々あるわ」みたいにさ、励ましてる体をとって蔑んでくる感じのあれ、ほんとうにいらないんで。。。
眠いのでこれしか書きません。
まあがんがんにオススメするのもなんだかねってちょっと思うし、でもこの本はけっこう私のバイブルです。
大人にも弱いところはたくさんあるし、わからないこともたくさんあるって、そういう大事なことを知れたと思います。
相変わらず文章綺麗だし!
今晩は残り物オンパレードです。
手羽元ローストチキンと銀杏ごはん。わかめスープもまた作りました。
おやすみなさい。