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崖猫理論

 こんな制度がある。

 ひと区画につき年3万円で全7回の主要な田んぼ作業ができて、最終的にできた米を山分けしてもらえるものだ。千葉とはいえさすがに東京23区から距離はあるし車でないと辿り着けないようなところだが、ひと区画は大の大人5〜6人がまともに取り組んで常識的な範疇で作業が完遂するくらいの広さなので、都会から拠点を移せない/自給自足にあこがれる人間(※僕ではない)の娯楽としてはまあまあコスパが良さそうである。

 今年から、知人がこのオーナーになったというので度々呼ばれて行っていた。先月の末がその最後の行程、稲刈だったのである。
 が、僕は開始早々熱中症でぶっ倒れた。稲刈を始めて幾分もしないうちに一度動きを止めた後、再度身体を動かすことが急激に怠くなってしまい、そのまま日陰に撤退したのち水分補給も身体の冷却もあまりしないまま動かずにいたら見事に蒸し上がってしまったのだった。


 そんなこんなで午後の作業時間は事務局での待機を言い渡されたので、梅干と水を飲みながら僕はぼうっと考えごとをしていた。思い浮かんだのは、ト○とジ○リーみたいなアニメによくある(と思っている)、ある描写だった。


 つまり、僕が考えたのはこういうことだ。
 僕が何か、継続的に体力を消耗する作業をするとして。一度作業を始めた時は、まあ工程によって瞬間消耗体力の誤差は幾分かあれど、基本的には作業を始めた時のステータスを参照して動いている。多少疲労感が出たとしても、体はまだ地を走っている感覚のまま動かせているのだ。
 ただし、それを一度やめてしまうと、再開するときには中断した時の体力を参照することになる。「作業を中断して、休憩した」つもりでも、その後参照するステータスは前回開始時よりは間違いなく低く、休んでいるはずなのに明らかに休む前より苦しいのである。作業を中断し、自分のステータスに目を向けることで、足元に地面がないことに気づいて一気に落下してしまうのだ。


 もちろん、あんなところに救急車を呼び立てるほど全方位に迷惑がかかる行為もなかなかないので、今回僕が秒ですっ込んだことそれ自体は英断だったとは思うのだが。
 ただ、カートゥーンの猫が崖から飛び出しても暫くは宙を走れる様に。何かをするときには中断を挟まず、できるだけ万全な「開始時」のステータスを参照したままやり通したいものだな、というようなことを考えたのだった。



 全然関係ないのだが、僕がこの崖猫空中散歩物理学に名前があると知ったのは、海で泳いでいた時にその場所に足がつかないと気づいた瞬間に溺れたことがきっかけだった。あのときはマジで死ぬかと思った。というか同行者がいなかったら普通に死んでた。
 最近たまに投下されてる「メンテナンス」シリーズは、あの時溺れたのが悔しくて定期的にプール行って泳いだ時の記録である。noteにまとめるのがめんどくさくて最近更新していないが
26歳、やっと平泳ぎできるようになりました。


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