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散文「沖縄伝道・平和学習ツアーに参加して」

 今回のツアーに関して、援助をしてくださった大井教会と伝道隊を受け入れてくださった那覇新都心キリスト教会に感謝します。
 沖縄へ行くのが初めてであった私にとってツアーは目新しく、あらゆることに驚く四日間でした。その四日間の全てを今回の感想文に記すことができないのは私の能力のいたらないところではありますが、平和学習において私の中に特別に印象に残ったこと・ものを二つ挙げようと思います。
 一つは、佐喜眞美術館に収蔵されていた丸木位里・俊両名作の『沖縄戦の図』です。この作品については館長の佐喜眞道夫さんが説明を加えてくださいました。そして、私はその説明を聞く傍らでこの絵画の大部分がモノクロであったことからピカソの『ゲルニカ』を思い出し、二つの絵画を比べてみていました。その中で私は『沖縄戦の図』における死人の血の赤と海の青が描かれていることに衝撃を覚えました。
 ピカソの『ゲルニカ』は自身の故郷であるゲルニカがナチスより空爆を受けたという報を聞き、政府より依頼されていたパリ万博への壁画にその怒りをぶつけたといわれています。血の色を入れなかったことが格別の効果を与えているといわれています。この背景と『沖縄戦の図』が描かれた背景の中に自分の比べていた二枚の絵画が違うことを知るのです。
 私はピカソが何故、血の赤を描かなかったかを考えました。ピカソが絵を完全なモノクロにしたのは空爆という高い位置からでは血が流れる惨劇を見ることができないからではないでしょうか。それに対して、沖縄戦は地上戦であった、と佐喜眞さんから聞き、『沖縄戦の図』内に丸木位里・俊両名が自身の肖像画を描いていることも聞きました。『沖縄戦の図』には沖縄戦における地上という同じ位置で血の流れる惨劇を見ることができ、丸木位里・俊両名もまた、同じ場に立ち、絵を描くという情熱的な思いを見ることができたのです。『沖縄戦の図』での人物モデルは沖縄戦の体験者であるということを聞いて、私は沖縄戦を実際に肌で触れた方々にとって、赤と青というのがどれだけ、いつまでも色褪せない衝撃的な色であったのかを思い、背中がゾっとしました。
 もう一つは「安保のみえる丘」から嘉手納基地を見て私が思ったことです。軍事基地を見渡し、説明を聞いて、思ったことは「基地」という字のことです。
 私は平和と共に基督に従う者の意として両親から基という漢字の入った名前を頂きました。私はそこで自分の名前にも嘉手納軍事基地にも「基」の字が含まれていることに気付きました。私はそこで漠然と哀しくなり、「どうかこの地、沖縄が軍事基地などではなくて、基督の地となるように見守っていてください」と一人、祈ったことが自分の中では忘れることができません。
 私は人との関わりによる嬉しさや暖かさを表現することが苦手で、今回の感想はこのように大変、独りよがりな文章になってしまいましたが、伝道隊の仲間と共有する沖縄での体験や仲間の証し・地元の方々のお話・教会員の方々との触れ合い・今回四日間お付き合いしてくださった岡田右有牧師先生の宣教など本当に多くの感動と感謝がありました。今回の体験を糧にして、大井教会に糧を増やしていくことが大切であることも思いました。このように貴重な機会を与えてくださったイエスさまに感謝します。


初出
大学2年生の頃に参加したバプテスト教会の伝道・平和学習ツアーのレポート。

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