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石鹸が増える

嫁がタイ旅行から帰って来た。僕調べだが、彼女は旅行に行くと、必ず石鹸を購入してくる。「マンゴスチン石鹸」なるものが有名なタイ。行った日には、買ってこない訳がない。今回も、絶対に買って来ている。

以前、僕が台湾に行った時だ。彼女にお土産を頼まれた。内容は、山ほどの石鹸。計12個。デパートの4F、爽やかな花の香りがするフロア。買ったのは「良い匂いの石鹸」。別のデパート1F、高級ブランドが立ち並ぶフロア。女性客が沢山いる。香水の匂い。汚れたバックパッカー、俺。買ったのは「肌がツルツルになる石鹸」。そして小洒落たショッピングモール。広場には台湾スイーツを頬張る女、子供。腹が減った貧乏旅、俺。木や真鍮で出来た可愛い雑貨が並ぶ店。お香の匂い。買ったのは「ひんやりする石鹸」。

一体、石鹸がなんだと言うのだ。

石鹸は、古代ローマ時代に発見された。紀元前3000年。とある神殿で、羊を焼き、神に供える風習があった。羊を火であぶっているとき、したたり落ちた脂肪が、木の灰に混ざって石鹸のようなものが出来た。その石鹸がしみ込んだ土は、汚れを落とす不思議な土として珍重された。そこから様々な歴史を経て、今では製造コストが下がり、庶民でも手に取りやすくなった。誰もが気軽に石鹸を使い、衛生状態が良くなった世界。伝染病や皮膚病の発生が激減、医学の進歩もあいまって、人々の平均寿命が伸びた。

うるさい、それが何だ、我が家の衛生状態はすでに良い。



成田空港に迎えに行き、今、家に戻って来た。3階建てのアパート。部屋は3階。入口は螺旋階段。持ち帰ってきたのは、エスパー伊藤が入っているとしか思えない、重たいキャリーケース。奴が持ち上げれる訳がない。となると、僕が持ち上げるしかない。ということは、僕が持ち上げる想定で、詰め込んで来ている。重い。めんどくさい。中で何かがゴロゴロしている。確実に石鹸である。「石鹸買ってきたでしょ?」と聞くと、彼女はしらをこいている。絶対買ってきている顔である。

僕が言いたいのは「使わないのに買ってくるな」と言うことではない。「死に目に石鹸が余るぞ」である。

聞いたことがある。財産を余らせた爺さんが、後悔した的な話を。使えばよかった。誰かに渡せばよかった。何かの為に、と。溜め込み過ぎても後悔が残ると。僕は後悔したくない。彼女にもしてほしくないのだ。

このまま行ったら、棺桶の中に石鹸を入れられる。王は、生前自分が好きだった物を棺桶に入れるという。僕だって好きな物を入れたい。カニクリームコロッケや、グミ、鉄板ナポリタンだって入れたい。石鹸じゃない。「余ったし、入れとくか」で石鹸を入れられるのは御免である。入れて焼けば、火葬場がいい香りになる。みんな悲しみたいはずだ。悲しんでほしい。遠藤が生きていた証を、みんなで語り合い、笑い合い、穏やかに見送られたい。なのに石鹸の香りがしたら、気が散る。それはたまったもんじゃない。


家に到着するなり、彼女はお土産を並べ始め、一個一個、紹介が始まった。親や友人、職場に配る甘いお菓子。家用の辛いお菓子。タイパンツ。向こうの職人がハンドメイドで作ったワンピース。凄い量のお土産。お土産話も添えながら、一個一個、紹介してくれている。楽しそうである。

そして、お土産の中に、手のひらサイズの箱を見た。僕は「これは何?」と聞いた。彼女は「石鹸だけど?」と言った。なぜそんなに強い言い方をする。

彼女は、聞いてもないのに「石鹸は消耗品だから」と言い訳をしている。消耗しきれない程ある場合、消耗品ではない。現在、石鹸の在庫を収納する棚に、40個ある。台湾の12個は手付かず。今日で57個。「今、40個あるよ?」と聞くと、「でも、でも、」と言っていた。なんだか可哀想になってきた。イジメるのはやめよう。石鹸は消耗品である。


#創作大賞2024
#エッセイ部門

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遠藤ビーム
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