マルチ商法23人にかこまれた
洗髪用のリクライニングチェアに座り、首の形に凹んだ洗面台に収まる。顔に白い紙を乗せられる。視界が白い。美容師の動きが、少し透けて見える。
この美容室、もう7年も通っている。今更、美容師に伝えたいトピックもなく、無言に耐えられるくらいには、落ち着けている。首の角度も体重も、されるがまま、髪を洗われている。彼を信頼している。シャワーの温度が、少し高い。頭皮にぶつかる水の音が、頭の中に響く。
話し始めた美容師の「愚痴」に耳を傾ける。内心「逆だろ」と、思いはしたが「なるほどねぇ」などと、適当に相槌を打つ。すると、見透かされたのか「愚痴なんて、よくないよね」と言う美容師。バレた。「もう少し真面目に聞くか」と、ふんどしを締め直す。「愚痴らない綺麗事より、愚痴った方がよっぽど健康的で、人間らしいと思いますよ」と上から言う。しかし、彼が求めているだろうセリフ。思った通り。「そう?」と、気持ちよさそうに愚痴の続きを始めた。
人の愚痴を聞くのが、嫌いじゃない。営業トーク、うわべの会話より、100倍良い。人間の香りがしない話は、面白くない。この場をこなす為だけの嘘も、面白くない。その点、愚痴は、人間の匂いがする。限りなく本心に近い。それが、心地いい。
まあ、面倒くさいのは、面倒くさい。でも、他に話す事が無い。仕様がない、ちゃんと聞く。
昔から可愛がっていた後輩(我孫子(あびこ)出身の後輩らしいので、以後「我孫子」と呼ぶ)が、何やら「変わってしまった」らしい。
我孫子は、負けず嫌いで血気盛ん。先輩相手でも、実力が劣っていることに、しっかり悔しがれる、熱い男だったようだ。
その我孫子が、30歳を超えたあたりから「ビジネスセミナー」にせっせと通い始め、会話の節々に「利益が」「効率化しないと」「生産性を」のような、ビジネスにまつわる言葉を使い出した。また「トークセッション」「ベネフィット」「ペルソナ」「ダイバーシティ」など、怖い単語も使い出したらしい。美容談義を肴に、夢を語り合う、美味い酒を飲んでいたのは今は昔、悲しいことに「金マウント」が止まらくなってしまったようだ。
そう愚痴をこぼす美容師の顔は、悲しそうだ。「ダイバーシティ」を、ダイバーたちが集まるシティだと思っている僕にとっても、我孫子が変わったことは、悲しい事のように思えた。
少し、無言になる。エアコンとハサミの音が聞こえる。
どこにでもいるんだな、我孫子みたいな奴は、と思った。僕も、似たケースで、友人を失った経験がある。
僕の友人(大阪府 堺市 毛穴町出身の友人なので、以後「毛穴」と呼ぶ)は、仕事が出来る男だった。
毛穴は、同じ会社の同僚。上司からの信頼が厚く、低迷した部署を任され、数字のV字回復をやってのけた。誰にも出来なかった事をした。凄い男だった。
プロジェクトに取り組む間、毛穴は事あるごとに「絶対に失敗出来ない」と言っていた。会社のお偉いさん連中に、相当量のプレッシャーを、掛けられていたようだった。毛穴は、昔から責任感の強い男だった。個人の生活環境を犠牲にして、取り組んでいた。だから、成功した。
しかし、問題はここからだった。会社からの命令を遂行したが、プロジェクトが終了した途端、部下全員が退職する事になった。毛穴の強い思想に、誰もついていけなかった。そしてこれは、毛穴のマネジメントの問題と判断され、役職を失った。
別の部署だった僕は、外から見る事しか出来なかった。毛穴の体調やメンタル面が心配だったので、定期的に飯に誘った。毛穴の愚痴を聞き出した。
聞くと、部下たちは全員、心が折れていて、やる気0。それを1人で立ち直らせなきゃいけない。毛穴は「自分だけでも熱を失っちゃいけない」と言っていた。覚悟があった。すごい男だ。毛穴の熱意に、共感出来た。
その傍ら、毛穴「以外」の愚痴も聞いた。しかし、毛穴以外にも、共感出来た。生活を捨ててまで、仕事に打ち込む毛穴のやり方に、付いていけないと言っていた。毎日、終わり来ない仕事に追われ、帰宅する頃には疲れ切り、何も考えれなくなり、酒を飲む、TVを見る、パズドラをする、だけで消えて行く1日1日に希望が持てなく、腐っていってしまう。理解できた。そりゃあ、ケアがなければ、誰も追い付けないよな、と思った。
そんな状況でも、決して折れない、折れてやならいという意地を見せる毛穴のもどかしさが、見ていて痛々しかった。
そして、彼は会社で孤立し、意思の共有が、誰とも出来なくなって行った。
その頃から、毛穴は定時に帰るようになった。カバンに荷物をまとめる毛穴の表情は、悲しそうに見えた。それでも、目の奥にある火は、完全には消えていなかったのを、不思議に思っていた。
ある日、毛穴から飯に誘われた。
毛穴は、串カツを頬張り、ハイボールのジョッキを握った。浪速の男だった。そして僕に「お前には見込みがある」と言った。
「マルチ」の勧誘だった。
悔しかった。僕を勧誘した時点ですでに、マルチに心酔していた。彼にはもう、僕の声は届かなかった。その後も、どうにか助けれないか模索したが、とうとう、毛穴は会社を辞め、二度と会うことは無くなった。
我孫子が、何者かは知らない。が、聞く限り「毛穴み」を感じてしまう。
「こうやったらもっと稼げるのに」
「何?お金じゃなく、愛っすか?」
「全然ダメっすね。話になんないっす。俺が行ってるセミナー紹介しましょうか?」
我孫子は、そう言ったらしい。
我孫子も、毛穴も「数字」に取り憑かれてしまったのだ。
我孫子は、先輩との実力差が埋まらない事に焦り、嫉妬し、「美容」ではなく「金」に、流れて行った。
毛穴は、正しい事をしているのに共感してくれない部下たちではなく、共感してくれる、熱さだけはある「マルチ」に流れて行った。
確かに、数字は法則があり、攻略法があり、結果や目標が、目に見える。それらは、わかりやすい情報で、金の周囲には、伝播する熱量が立ち込めやすい。
もちろん、それらを取り扱うに、センスも必要だと思うが、分かりずらい「人間」の部分を除外して考えれてしまう。そして「人間」として会話をせずとも、「数字」が共通言語になってしまう。
こうして、彼らにとって、数字が「正義」になってしまったんだろう。周りに結果を求められ、攻略し、勉強が結果に繋がり、高い熱を保てている事に快感を覚えたんだろう。そして、数字を「信仰」していったのだろう。
2人の生活、そして心が、どこにあるのかを想像できない分、身勝手過ぎる意見だとは思うが、友人として、友人の友人として思う事は、2人には、ダメでも良いから、もっと「人間」でいて欲しかった。苦しいとは思うけど、楽なお勉強した言葉じゃなく、愚痴で良いから聞かせてほしかった。
悔しい。
僕は、毛穴を取られたあの日から「マルチを絶滅させたい」そう思っている。
毛穴が居なくなったある日、チャンスが訪れた。
毛穴とは別の、マルチに心酔してる友人(岐阜県飛騨市出身の友人なので、以後「飛騨牛」と呼ぶ)に、サッカーA代表の試合に誘われた。
飛騨牛が、マルチにハマっている事は承知していた。「どう?」と誘われもしたが、はっきり「キモい」と伝えていた。それでも友達だったので、仲良くしていた。
飛騨牛は、諦めていないようで「合わせたい人がいる」と言った。面倒くさい事に巻き込まれると分かっていたが、毛穴の件の直後だったし、何より「サッカーの試合をタダで見れる」がギリ勝った。怖い物見たさもあった。行ってみる事にした。
さいたまスーパーアリーナ。5万人の観衆の中に、僕と飛騨牛、そしてマルチの幹部という女(意味は無いが、いい女風の出立ちの為、以後「ナタリー・ポートマン」と呼ぶ)は居た。決まりそうだが、なかなか決まらないゴール。じれったさが、余計な興奮を与えた。
ナタリー・ポートマンは、初対面なのに馴れ馴れしい。6年連れ添った空気で接してくる。奴は試合に興味がないのか、ほとんど席にいない。グッズショップを、ほっつき周り、劇的な試合展開に熱中しているタイミングで、戻って来る。邪魔だ。ナタリー・ポートマンは「ほい」と言って、ビールを差し出して来た。「ざっす」と、取りいらないよう、ぶっきらぼうに礼をした。飲む。まあまあ美味い。本田がゴールを決めた。アリーナが歓喜で揺れた。
試合後、びっくりドンキーで、飯を食った。観戦客が流れて来たのか、かなり混み合っている。皆んな一様に青いTシャツを纏い、黄色のタオルを首にかけている。店内が少し汗臭い。
「今度、皆んなでピラティスするから、遠藤も来ない?」ナタリー・ポートマンは、僕を呼び捨てにした。
断ろうと思ったが、脳裏に毛穴がチラつく。飛騨牛の催眠も、解けるなら解きたい。呼び捨てにされた怒りもある。
むしろこれは、反撃のチャンスなのかもしれない。そう思った。
マンションの5F。ベランダから目黒川が見える。広く、マホガニーで赤黒いヴィンテージ部屋。「こんな家に住みたい」と思わせられる。そう思う自分に、少しだけ腹が立つ。「こんな奴らが」という嫉妬なんだと思う。
「運動しやすい格好で来て」ナタリー・ポートマンにそう言われていたので、陸上部時代に来ていた速乾Tシャツに、柔らかい短パンを履いて来た。サイズが小さい。
次第にマルチたちが集う。デッカいマルチ、細いマルチ、ハゲたマルチ、子連れのマルチ。計23人。僕以外、全員顔見知り、僕以外、全員マルチ。
ここに集まった、一人一人が、毛穴なのだ。友人の引き止める声に耳を傾けず、人間の部分を信じれなくなり、数字を信仰した奴らだ。まだ、歴が浅く、結果が出ていない奴もいるはずだ。まだ引き返せる奴もいるはずだ。余計な正義感が生まれた。毛穴の恨みを晴らす。一泡吹かせてやる。
幹部の1人であろう、黒いハットを被った老人(黒ハットでスーツで老人なので、以後「麻生太郎」と呼ぶ)が、前に立ち、挨拶を始めた。「老人がスーツでピラティスだと?」と焦ったが、挨拶後、直ぐに帰るという。麻生太郎は、若い衆の顔を見に来たのだろう。もしくは、偉そうな立場が気持ちいだけか。「まあ後者だろう」思った。
麻生太郎は、たまにしか姿を見せないレア幹部なのか、マルチたち全員が、目を輝かせ、うっとりしている。麻生太郎がなんだ。僕からしたら、麻生太郎の意外とクリアで甲高い声は、耳障りでしかなかった。僕の横で、飛騨牛も、うっとりしている。そんな奴じゃなかったはずなのに。悔しい。
麻生太郎は、みんなに見送られ、帰っていった。何しに来たんだ。周りに合わせて、僕も見送ってみた。これはこれで、新興宗教コントをしているみたいで楽しかった。
ついに、ピラティスが始まった。講師には、アメリカから帰国したばかりだというマッチョ(甘いマスク、しなやかな筋肉、モテそうな佇まい、口も臭くなさそう、全部が鼻につくので、以後「猿」と呼ぶ)が立った。
猿は、楽しそうに筋肉を伸ばしている。猿を見て、マルチたちも楽しそうに筋肉を伸ばしている。全員、幸せそうである。それをナタリー・ポートマンが、腕を組み「うんうん」と頷きながら、見ている。母性を満たしている。この間、ナタリー・ポートマンは、筋肉を伸ばしていない。彼女と目が合った。「遠藤、良い調子じゃん」みたいな顔をされた。偉そうだ。
一頻りインナーマッスルを鍛えた後、ホワイトボードを使った座学が始まった。健康について、食について、人体の構造など、真面目な筋肉授業である。洗脳されたマルチたちは、目を血走らせ、メモを取る。一音も聞き逃してたまるかと、猿から漏れる音に集中している。
僕は、一泡吹かせる方法を模索していた。この授業に、前のめりに参加し、とても興味を持った善良な信者のフリをし、乗せるだけ乗せて、最後の最後に全面否定するという、陰湿な嫌がらせをしよう。そうすれば、我に帰り、洗脳が解ける人が現れるかもしれない。そうしよう。
そう切り替えてから、誰よりも必死でメモをとる。分からないところは聞く。興味を持つ。そして、猿に気に入られるのだ。
猿は「浄水器」を取り出してきた。シンクの蛇口の先に取り付けるタイプの浄水器だ。そして「なぜこの浄水器を使うと体に良いのか」熱く語り出した。どうやら「良い水は、良い体のタンクを作る。特に母体は、生まれて来る子のアレルギーに直結する」らしい。なるほど、飽きてきた。屁が出そうだ。
猿の発言は、お行儀の良い事ばかり。心が何も揺らがない。永遠と、つらつら、つらつら、お勉強した言葉を発している。
僕がどうして「金の話」や「お行儀の良い話」ばかりするコイツらが嫌いなのか、分かった気がする。
僕も金が欲しい。好きだ。勉強も素晴らしい事だと思っている。勉強する人を尊敬もしている。
だけど、コイツらの言葉には、オリジナリティや個性が無い。何よりも大切なのは「数字」や「結果」「効率」で、学んだそれらを、あたかも「自分が考えたかのような物言い」で話す。
それは人間性と個性の否定を意味する。感情の否定を意味する。感情の動物なのに。
いつまでもそうやって、理論や成功、リテラシーで着飾ることしか考えていないから、大切な「人間の部分」が育まれていないように感じる。裸になったら何もない奴ら。だから綺麗事がカッコいいと思っているコイツらが嫌いだ。あと、毛穴を持っていったから、大嫌いだ。
それでも、真面目に授業を聞く。それでも、僕は手をあげ、質問する。反撃の為に。「他社の浄水器と、この浄水器、何が違うんですか?」一瞬空気がピリ付く。我ながら、良い質問をしたと思う。猿よ、たじろげ。猿は言う。「良い質問ですね」池上彰かお前。
そして、猿は語り始めた。片親で育ったと。僕と同じだ。まさか、コイツ、いい奴なのか?聞こう。
女で一つ、育ててくれた母は変わった人で、小さい頃から「責任」を考えさせられたと言う。同級生の女の子が、風邪を引いた状態で登校してきた。そして、風邪を移された。それを母に報告した。「〇〇ちゃんのせいで、風邪引いた」と。すると母は「〇〇ちゃんのせいじゃなくて、風邪を移されない対策をしなかった、自分のせいでしょ」と怒られたそうだ。それだけじゃない。猿が高校生の頃、自分の体に自信が持てず「絶食」という形で、無理なダイエットを行なった。そしたら母は「アンタが無理なダイエットをするなら、私もする」と言い出した。自分も痩せていくが、目の前で母親が痩せこけて、仕事もままならない程にまで至った。それを見て、自分が間違っている事に気付かされた。自分の発言の重さを知った。と語った。凄まじいいエネルギーの母親、マルチたち、壮絶な過去に、うっとりとしている。猿はこの経験から、単身アメリカに渡り、人間の体を学んだそうだ。
おれの質問はどうした。
全く、上手い話だ。コイツらは、この手口で、信者を増やしているのだ。信仰心は、僕たちの弱い心に、都合の良く芽生える。分かりやすいから、正解を導き出された感覚に陥る。
ついに、ピラティスが終わった。全員で水道の前に集まり、浄水器を通った水道水を飲み始めた。色めきだっている。僕も飲んだ。普通の水だ。そして締めくくりに、商品の販売を始めた。もう購入している者は、浄水器の良さを語り、まだ買ってない者は、こぞって購入し始めた。信仰が止まらない。あれほど前のめりで講義に参加していた僕。全員が「もちろん、遠藤も買うよね?」という眼差しでこちらを見た。
来た。ここだ。
「あ、いらないです。新興宗教みたいでキツいっす」言ってやった。空気が凍った。エアコンの音が聞こえる。確実に全員、冷めている。見渡す。猿が驚いている。ナタリー・ポートマンも腕を組んだまま、停止している。作戦成功だ。頼む。僕に出来るのはこれまでだ。洗脳が解けるやつがいてくれる事を祈る。
後日、飛騨牛に飯に誘われた。向かってる途中、かなりキレられた。そりゃそうだ。飛騨牛のメンツを潰したからだ。それは申し訳ないと思っている。
店に入ると、驚いた。麻生太郎とナタリーポートマンが居たのだ。終わった、殺される。冷や汗が止まらない。
しかし、怒られない。むしろ、前のめりな授業態度、物怖じせず自分の意思を伝えられる人間性を褒められた。
コイツらの、このポジティブさがキツい。
ナタリー・ポートマンは言う。
「遠藤には見込みがある」と。
毛穴に言われたのはこの事か。
僕にはマルチの見込みがありすぎた。
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