見出し画像

いい加減ケツアゴばっか見ないで下さいよ

僕は、ケツアゴだ。

ただ、あなたが思い描いているイタリアンマフィアのような、深く、1本くっきりとした線が通っている男性ホルモンのようなケツアゴではない。かと言って、岡山の白桃や、乳児のおしりを思わせる、優しくて暖かいて「まあるい」割れ方でもない。本当に多少、ちょっとだけ、ハート型に窪んでいるだけだ。

これを今までの人生、恥ずかしく思って来て、いざカミングアウトしてみると「大したことないな」と思う気持ちもあるし「やっぱり恥ずかしいな」と言う気持ちもあるので複雑である。どちらにせよ、ご機嫌に割れているアゴでは無い。だが、それが僕の形であり僕のリアルなので、表現せざるを得ない。



中学生の頃、この小さくてか細い未熟なケツアゴのせいでイジメられた。

僕の学校は何故か、授業で綱引きをしていた。クラスで数チーム作り、ゆくゆくは地域の綱引き大会に出場させられた。綱引きというスポーツで、町おこしする「綱引き市」でもなんでも無いのに、毎年、毎年、綱引きをさせられた。思春期真っ只中の僕たちが、綱を引くだけの競技性に、盛り上がるはずがない。なのに、大人たちは楽しいのか、勉強に関してはヤル気を見せないくせに、綱引きばかり激しく熱い脳筋先生すら現れたくらいだ。

その競技は読んで字の如くシンプルで、10人1チームで1列に並び、両手を上げ、合図と共に地面に置いた綱を持ち上げ、掛け声を合わせ、力一杯引く。とにかく体重を後ろに捧げ、一歩一歩後ろに下がる。それだけである。

ただ、不真面目に参加すると怒られるので、全身に力を入れ、魂の限り綱を引いた。

練習中に、不真面目な女子生徒が僕の必死に赤らめる顔を指さして「なんか遠藤、ケツアゴじゃない?」と問題定義した。

え、おれ、ケツアゴなの?

僕は、戸惑った。確認したいが、今は、両の手で綱を引いている。アゴのディテールを検査する時間がない。これは、マズイことになるぞ。その間、物の数十秒。イジメに発展するには十分過ぎる時間。こういうノリは、1撃目の返答で、天国か地獄かが決まる。笑いの間にしてしまえば、天国。でも、確認出来ない事、綱を引いている事、この2点から、正しいレシーブが出来なかった。悔しい。地獄行きの列車が動き出した。

中学生くらいの年齢に、ケツだ、お尻だ、という響きはご褒美過ぎた。綱引きの決着が付く頃には、ピーヒャラピーヒャラと祭囃子が聞こえていた。僕の中学生活は、終わった。

そりゃあそうだよな。アゴにお尻が付いてるんだもん。毎日、口から白米やソフト麺を食べるのに、すぐ下に出口が付いているのだ。あの丸亀製麺でさえ、もう少し離れたところに出口を設けているのに。それなのに、同級生の顎には出口があるのだ。そりゃあイジメられるか。

僕のアゴはケツであると言語化をした女子のせいで、僕のアゴは見せ物になった。綱を引き、力を入れる度、ほんのり割れるアゴ。よく目を凝らさないと、割れていない僕のケツアゴ。割れてる?割れてない?若干、割れてる?どっち?この含みが、人間の好奇心を刺激してしまい、格好のアハ体験となってしまった。綱を引く度、誰もが腹を抱え、僕を見ている。

あぁ、恥ずかしい。

大人になれば、恥ずかしくない事は分かる。だってジョン・トラボルタがいるから。でも、この年代の女子に、ジョン・トラボルタの渋みなど、到底理解できない。悔しい。

そんな僕が、ケツアゴで一世風靡している時、Def Techの「catch the wave」が流行り出した。ネイチャーでカントリーな心静まるメロディーライン。僕も好きだった。しかし、あろう事か、ケツアゴを言語化した主犯の女子が「キャッツァウェー」の部分に「ケッツァゴー」を当てはめてしまった。コイツはなんでもかんでも分かりやすくする。終わった。これから桜が散る度、この曲が世に出回る。その度、クラスの連中の頭の中には、僕のアゴが浮かぶ。僕の夏は終りだ。

ケッツァゴーって。なんと幼稚で、なんと浅ましい替え歌なのだろうか。しかもその後「感じて、その手を合わせて」と歌詞が続くせいで、綱を引く度、拝まれるハメに。賽銭の一つも投げず、手を合わせる。全く、無礼な奴らに思う。

僕は、人に見られるのが怖くなった。



心なしか、日常会話の中でも、顎に視線が集まっているように思う。コンビニでお釣りの小銭を手渡しされる時も、虫歯で上から覗かれている時も、もしかして、僕のケツアゴを見ているのではないかと怯える体になってしまった。

ケツアゴじゃない人にはこの恐怖が分からないだろう。ただ、これなら伝わるんじゃないだろうか。

例えば、今日は、鼻くそがよく出る日だとしよう。それほど仲良くない同僚と2人でイタリアンのランチ。何やら相手の目線が、目よりも下に行ってる気がする。もしかして鼻くそ?確かに朝から、よく鼻くそが出る日。気になる。しかし、露骨に拭うわけにはいかないので、相手が手を挙げてお冷の追加を頼んだ瞬間に、鼻穴を拭う。指を見る。無い、よかった。一安心。しかし、安心も束の間、まだチラチラと下を見ている。まさか、先ほどの1拭いの所為で、逆に表に姿を現してしまった可能性がある。マズイ。こうなりゃ奥の手。背に腹は替えられぬ。ここがイタリアンで良かった。膝の上に置いたナプキンで、口の周りを拭くふりをして「あはは、おほほ、美味しゅうざますね」と言った具合で、お上品にザマス拭いを決める。いざ決行。手元を見ると、やっぱりデロンと鼻くそ。終わった。でも、相手もそれに気づいているのに面と向かって注意してくれるほどの関係性じゃない。近所だとしても、回覧板ついでに、世間話の一つもしないくらいの間柄。死んだ。明日会社で噂が流れる。

これと同じ状況なのだ。いや、それよりも根深い。ケツアゴは拭とれないのだから。

僕が綱を引く度、色めき立つ会場。笑われ、チームは負けるは、お前のせいだと言われるは、しまいにはケツアゴにパンツ履かせろなどと、横暴極まりない暴言まで飛び交う始末。

僕は、顎髭を生やした。



それから年月が流れ、成人式。奴らに会わなければならない日。でもおれには、逞しく伸びた顎髭がある。一泡吹かせてやろうという魂胆で会場に乗り込んだ。だと言うのに、1人の女の子が僕の顎髭を見て「カッコよくなったね」と褒めてくれたのだ。そんなバカな。この数年で、大人になったとでも言うのか?面を食らった顔をしていると、「どうしたの?」という態度で首を傾げている。優しい。この子は優しい。良いの?もう、僕のアゴでアハ体験しなくても、良いの?間違いない。この子は、例え世界が敵に回っても、僕の味方でいてくれるタイプの子だ。彼女は天使だ。彼女こそ、おれのmy wayだ。

その時、別の女子たちが近づいて来た。「久しぶり」の挨拶もないまま、お前に顎髭はまだ早いだろ、清潔感がなさすぎ、などと、南国の鳥のようにピーチクパーチク持論を騒いでいる。その中には、あのDef Techを始めた女も混ざっていた。僕は、腹ワタが煮え繰り返りそうだ。黙れ小娘ども。おれは貴様たちがDef Techした事を忘れたわけじゃない。そんな事など忘れてしまったように、この一番騒いでいる赤い振袖の女、久々に仲間たちに会えて、人生最高の日、超ハッピー♬みたいな顔をしている。忘れねえぞ。お前がcatch the waveを流行らせた事も、おれのDef Techのアルバムを借りパクした事も、絶対忘れねえぞ。

僕はDef Techが流れるたび、そして母なる海を見るたび、忌まわしい過去を思い出す。

夏よ、2度と来るな。

いいなと思ったら応援しよう!

遠藤ビーム
サポート機能とは、クリエイターの活動を金銭的に応援する機能のようです。¥100〜¥100,000までの金額で、記事の対価として、お金を支払うことができるようです。クリエイター側は、サポートしてくれたユーザーに対して、お礼のメッセージを送ることもできるそうです。なのでお金を下さい。