承認欲求の王さま
「裸の王様」
たしか、幼稚園の頃だったか。先生に読み聞かせをして貰い、殴り書きのような絵を描いた記憶がある。握り潰すように右手でクレヨンを持ち、真っ赤な肌、過剰に塗りつぶした黒い目、異様に膨らんだズボン。全然王様じゃない。バケモノである。
それ以来、思い出したこともなかったが、ふと読みたくなり、書店の童話コーナーに来た次第である。当時「面白いな」と思った記憶はある。もちろん「権威ある王様が裸になる」という設定の面白さなど、まったく理解していない。可笑しさのキモも分からないのに、エンターテインメントとして楽しめていたのは「出臍やべぇ!」と思ったからである。
物語の中では、王も家来も、誰もが「愚か者」と思われたくない様子である。それは、今の社会も同じで、普遍的なものなのだろう。自分の価値下げをしないために、有りもしない透明な服を「見える」と嘘をついてしまう。その結果、引き下れなくなった王様は観衆の前で裸になった。
この本から学べる教訓は「人に流されないこと」「権威のあり方」といった所だろう。わかるわかる。悪目立ちしたくない。社会からはみ出したくない。それは非常にわかる。
でも、こうは思わないか?もし、王様が、騙されているとわかった上で、自ら率先して透明な服を着ていた、としたら?
彼は極上の変態で、大勢の前で裸になることに、エクスタシーを感じている。その可能性は捨てていいのか?自分が統治する国の国民の前で、合法的に裸になり、恥ずかしさを自ら味わう。その為に王位に付いた可能性すらある。権威と裸の落差が、より恥ずかしさを助長し、彼の癖にアジャストしていく。
王様として、人間として、絶対にしてはいけない背徳感を味わうチャンスだったのでは?
それはそれは、格別だったことだろう。
恥ずかしさは、極上の快感だ。
恥ずかしさとは、【存在証明】なのだ。
失礼、少々熱くなった。
僕は、承認欲求が強い。半端じゃない。
朝、目覚めた瞬間、無意識下で「いいね」の欄を開く。数を確認し終わったら、ベッドから立ち上がる。そして夜、布団に入るまでの約18時間、頭の中で「おれを見てほしい、知ってほしい、誰にも舐められたくない、全員に面白いと思ってもらいたい、誰からも嫌われたくない、皆んなに愛されたい」が鳴りやまない。僕の中に居る何者かが、四六時中、騒いでいる。もはや蝉である。
エッセイを公開しても、1ツイートするだけでも、フォロワーの皆んながどう思ったのか、伸びなかったという事は面白くなかったのか、自分の面白いは世間と乖離しているんじゃないか、などと不安に襲われ、全ての人間の一挙手一投足が気になって仕方がない。いいね!欠乏症である。
どうして、凄くないと、必要とされないと、愛して貰えないと感じてしまうのだろうか?
「承認欲求があり過ぎると良くない」
うるさい、そんなのは分かっている。でも、止まらないのだ。OFFに出来るもんなら、いくらでも金は払う。止めてくれ。でも、出来ないから苦しんでいるのだ。偉そうに上から物言う奴は来るな、下がれ、頭が高い。
しかし、めんどくさいのは、いいね欠乏症と同時に「迎合アレルギー」も持ち合わせている。社会や特定の個人に迎合して、自分に嘘を付いた途端、角材で殴られたような偏頭痛がやってくる。「それはお前のリアルか?それはお前の本音か?」と、僕の中の何者かが、鬼詰めしてくる。、
単純にいいね!の数だけ求められるのなら、いくら楽だったのだろう。でも、奴が、楽を許してくれない。
「本当の自分のまま、嫌いな自分のまま、誰かに愛してもらわないと、それは逃げだ。それは負けだ」などと、脅してくる。
むずい。
この体のせいで、フィクションが作れなくなった。まぁ、フィクションを組み立てれるほど、匠じゃないし、センスもない。正直、あまり理解も出来ていない。が、作ってみたいとは思ったことくらいある。しかし、奴が見張っているので出来ない。
センスを持ち合わせていない分、モノ作りに、オリジナリティを出すには、本音の部分をオープンするしかなくなる。本当は出したくもない怒りや劣等感、悲しみや孤独。「ソコにしかお前の面白さは無い」と言ってくる。表現の域を超えて、本音の中の本音を出すしかなくなる。
僕のエッセイは、もはや作品とかではない。奴に脅迫されて出した、己の説明なのである。
こんななのに、なのに、存在を証明したいのだ。
めんどくさい。
裸になるのは、怖い。恥ずかしさにエクスタシーを感じられる程、肝も据わってない。でも、奴に脅される。人に嫌われたくないのに、愚かにならないといけない。人の目が気になるのに、恥ずかしいことをしなければならない。売れたい、人気になりたいのに、ビジネスに落とし込めない。
真っ赤な肌をした、奴が言う。
「誰にでも分かりやすい情報商材にするな、表現をしろ」
「数字を稼ぐ為に、大衆に寄せた簡単な事に手を出すな」
「醜さを出し切れ、酔いしれるな、幅を見せようとするな」
「弱さから逃げるな、それを出せ」
「愚かになれ、恥ずかしい自分を隠すな」
あの、クレヨンのバケモノは、おれだ。
承認欲求と存在証明のバケモノだ。
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