芸術に関わる人の話を聞くーあさがおさんにとっての演劇と韓国舞踊
#演劇 #韓国舞踊 #アレクサンダー・テクニーク #やってみた #PS2022
アレクサンダー・テクニークを学ぶと、自分と全く違う生き方をしている人に出会います。
楽器の演奏者・声楽・ダンサー・画家などなど、芸術に関わる人との出会いが増えました。音楽や踊りなど鑑賞するのは楽しいですが、わたしには芸術を嗜む才能が全くありません。
芸術に関わる人の気持ちや考えなど、わたしの想像のつかないことを聞きたいと常々思っていました。それで演劇と韓国舞踊を経験したあさがおさんにお話を聞きました。
目次
1.子どものころ
2.演劇との出会い
3.韓国舞踊との出会い
4.演劇から韓国舞踊へ
5.私にとっての演劇と韓国舞踊
1. 子どものころ
私の家は田舎で小さな鉄工所を営んでいました。父は朝から晩遅くまで働き、また土日まで働く日も多かった。いわゆる「高度経済成長期」を頑張って生きた父だったと思います。
しかし私は家の中にある家父長的なもの(父や兄が優先される)、学歴優先(いい大学へ!)の空気に息が詰まり、嫌気がさしていました。他の世界でたっぷり呼吸をして生きたいとどこかで思っていました。
2.演劇との出会い
そんな中、高校生の時、たまたま演劇部に誘われて、舞台に立ちました。その時、演じることが、とても新鮮で、私自身が生き生きしてくるのを感じました。そして大学へ行っても演劇をやり、大学卒業の時、はたと「これから…」を考えたとき、選択肢は「家を出る」「演劇をする」でした。
大阪に行き、小さな劇団に入りました。主催者Kさんはいわゆる新劇を戦争前からやってきた人でした。その演劇に対する情熱の激しさに私は圧倒されましたが、とても新鮮でもありました。始めて出会うタイプの人物でした。そこは小さな劇団だったので、小道具、大道具もすべて自分たちで作っていました。
Kさんが台本を書き、その他をすべて自分たちで作りながら、何カ月もかけて稽古をし、舞台に立ちました。最初のころは演じることが楽しく、毎日の生活もただ必死でした。昼間働いて夜は稽古の毎日でした。
次第に「演じる」ということは「その役の人生を生きる」ということ…という当たり前なことの難しさにもがく日々を過ごすようにもなりました。そんな中でも、自分のからだが役の人物と共鳴してセリフになって出てくるような瞬間に出会うことがありました。
なかなかないことですが、それを探すことで続けられたのかなと思います。演劇はKさんが亡くなるまで、20年近く続けました。
3.韓国舞踊との出会い
韓国舞踊との出会いは演劇を始めて8年程立ったころでした。芝居で在日の女性の役をやることになったことから韓国舞踊を習い始めました。最初は「日本人が習っていいのか」という勝手な負い目からひどく緊張していたのを覚えています。
しかしその役を演じるにあたっては一緒に踊りの練習に励んだ仲間たちに受け入れてもらうことによってとても助けられました。その後6年ほどして、身内の介護等から舞踊をお休みすることになりましたが、私にとってはこの場所での人間関係がその後もとても大切な物となりました。
4.演劇から韓国舞踊へ
演劇は師の死去によって、やめることにしましたが、その喪失感は私の中でとても大きかったようです。呆然としている中で、思ったのが、もう一度「韓国舞踊を習いたい」ということでした。
踊りの先生(ソンセンニム)も喜んで迎えてくれました。久しぶりに行った稽古場は公演に向けた全体練習の日でした。
私の先生は舞踊だけでなく、韓国の打楽器(チャンゴ、プー、ケンガリなど)の演奏も教えていて、私が行った時、20人程で「チャンゴノリ」の演奏を始めるところでした。少しずつ音が重なり、テンポが速くなり、全員で音を紡いでいくのを目の当たりして、号泣してしまったことを思い出します。
心が枯れそうになっていたのを一瞬で潤してくれました。
5.私にとっての演劇と韓国舞踊
私が演劇を始めたのは「自分を変えたい」「自分の殻を破りたい」という衝動からだったように思います。今でも殻を破れたわけではありませんが、「本当は自分が背負いこんでいるものを手離していくことが近道なんだ」ということを今学んでいます。
私にとっては演劇だけでは息詰まってしまったのではないかと思います。〝偶然は必然″といったりしますが、私にとって「韓国舞踊」は必要な出会いだったと思います。
「韓国舞踊」は足のかかとから指先までを丁寧に踏みしめながら、地面からの重力をもらって生命力を上半身に伝えていき、それが踊りになります。
「踊り」は原初的な人とのコミュニケーションといわれます。人は一人では生きてはいけないから、「踊り」を通して人とつながり、生き抜く力を得たのではないでしょうか?
私はこれからも自分の足裏を柔らかく踏みしめてこれからの人生を生きていきたいと思います。
インタヴューを終えて
穏やかな女性のあさがおさん、こんな情熱的で波乱万丈な生き方をしているとは思えません。話を聞いていても、終始落ち着いておられました。
芸術に関わる人が全員プロを目指すわけでなく、自分を変えるために芸術を選んだのかなと思いながらこの記事をまとめました。
今回のインタビューで趣味だけでなく、自分を変える・自分の殻を破るためにも芸術はあることを知りました。
芸術はセンスがあるごく一部の人間しか関われない狭いイメージでしたが、実は誰でも受け入れてくれる懐の深い存在だと気付かされたことは収穫でした。