「できない。意味なし。」と思う大人に、忖度する子ども。
「将来のために本を読むべき。漫画はいいけど,将来を考えたら漫画より図書室の本。学校でわざわざ読まなくていいでしょ。」
「そもそも必要ないもの。図書館の本は勉強になる。漫画持ってきたらトラブルのきっかけになるし,切り替えができなくて邪魔になる。」
「ですよね。」
子どもたちの頭と心をすごい勢いで動かしている。
卒業を目前に,子どもたちが学校に対して”ある違和感”を持ち始めた。と思う。
そしてその一連の流れと子ども,先生,学校に,私自身も”違和感”を持った。
この違和感を,もう一度考えるために,私自身の頭の中を整理します。最近読んだ2冊を参考にします。
良ければ最後まで読んでください。
1.そもそものきっかけ(簡単に)
私のクラスでは「会議」をしています。議題は募集するときもあれば,その時の問題,考えたいことを絞って話し合います。
図書の貸し出しが終了してしまい,朝の読書時間で読む本が確保できなくなったため,
「朝読の本,どうする?」って話し合いをしました。
「家から?本持ってきていいですか?」
「家から読みたい本持ってきていいですか?」
「え?漫画本ありですか?だめだろうけど…」
私)「どうなんだろ?いろんな先生に”なんでだめなの?”って聞いてみたら?」
「オッケー。聞いてきたよー。」
子どもたちが聞いてきた内容が,冒頭の言葉です。
2.「一般化のワナ」を感じる
哲学・教育学を専門とする苫野一徳さんの本,「勉強するのは何のため?」には”一般化のワナ”という話がありました。
一般化とは要するに,自分だけの限られた経験を,ほかの人にも当てはまるものとして考えてしまうことです。(P.15)
「漫画より,長い文章の書いてある小説の方がいいよ。ためになる。だから漫画じゃなくていい。少なくとも学校の読書は漫画以外にしなさい。」
「今後の勉強やテストのことを考えると,長い文章に慣れるべき。」
・・・確かにそうかもしれないけど,それって先生の一般化を押し付けてるだけじゃないの?
小説よりためになる漫画もあるし,「たまたま」小説や長い文章を読んでたことが,結果につながるような実体験が得られただけなんじゃないの?
自分の経験で,「それが全てだよ」って決めつけてしまうこと,判断すること「一般化のワナ」と呼ぶとすると、
ワナに違和感を覚えた子どもは,そんなワナを飛び越えて,
「先生の意見に納得できないんだけど・・・だって。。。」
と感じたのだと思います。言いたいことはあったはず。
3.忖度すればほめられる”忖度力”
先生たちの意見を聞いて,
「先生たちの考えをまとめてみたけど・・・どうする?」に対し、
①(じゃあいいかな。先生たちの言う通りだし。)と思っているグループ
②(納得できない。って思うけど…あきらめるしかないか。)のグループ
にクラスが分かれたようでした。どちらも”受け入れる”という形をとったようです。
ジャーナリスト,池上彰さんの「なぜ、読解力が必要なのか?」には、学校教育が進めてしまっている,忖度すればほめられる”忖度力”の育成についての話がありました。
日本の教育現場では,出題者の求める答えを推察する力,すなわち「忖度力」を重視しているのではないかと思われる場面に出くわすことが多々あります。(p.29)
「森友問題」における忖度を整理し,”自由記述の概念から程遠い”という指摘を受けていた,記述式導入に向けた「大学入学共通テスト」のプレテストの設問など,忖度力の温床になりかねない今の学校現場について考察されています。
「できる子」は,小学校のころから,出題者が解答者に求めている答えを瞬時に察知することができます。すると先生の覚えもめでたく,成績もよくなります。忖度すれば褒められる。と学んだ子どもは,結果的に忖度力を鍛えていきます。(P.31)
「相手(先生)が求めているものが正解」
という認識を小さい頃から積み重ねていくと,先生が思っている正解も瞬時に察知できるようになる。
クラスの子どもたちも,頭の中で「漫画を持ってきてはいけない理由」を瞬時に察知していたと思いますよ。それでも確認しに行き,先生たちの考えを聞いて,
再認識なのか,納得なのか,諦めなのか,
いずれにせよ,結果,
忖度する方向に進んだ,という見方をしてもいいのかなと思いました。先生の顔色をうかがう感覚。
そんな姿に感じられました。
単純に「マンガOK!」というルールにするのも無理な話・・・と考えるのもると思いますが。
(これも一般化のワナって見方,ありですかね。)
ただ,私の一番の違和感は、
それ以上先に進もうともしない「思考停止状態」
「話は完結しましたね感」を出していた子どもたちに,
ん?
と思っている自分がいました。
「あんだけ盛り上がってたのに,もういいの?」って。
4.「どうしてダメなのか?」の私の考え
それは,
「だめ。無理。できない。いらない。」と考える大人が,学校にたくさんいるから。
今回の「会議」を通して,まとめた私の考えです。みんなに伝えました。
今回の会議の目的。話し合いの流れから,様々な情報を集めに行ったこと,そこから見えてきた大人たちの考え方の違い,そしてこれをひっくり返すには,相当な体力が必要なこと。そして中学,高校と,もっと複雑でより理不尽な形で,みんなの目の前に立ちはだかるかもしれないこと。そう考えると,大人が決めたルールを子どもたちで考え直して変えてみるっていう練習してみてもいいのかなって思ったこと。
子どもたちは私の話を,真剣に聞いていたと思います。
一般化のワナを推し進める大人,忖度力を磨いてほめられていく子どもたち。
この流れにとことん逆らう。