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「駈込み訴え」というキモオタパッチテスト エンマのゆるふわ評論 第2回

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隔週土日開催 エンマのゆるふわ評論

エンマのゆるふわ評論とは...
隔週土日曜日に行う評論、批評記事。

対象は小説、映画、漫画、ゲーム、音楽なんでもござれ。

自身が見て聞いて読んで、思ったことを内省し思いを吐き出すコーナーです。めちゃくちゃ作品を専門的に詰めるよりは、ゆるふわに楽しくやっていくつもりです。平日書いているエッセイよりも文字数は多め。

今回は太宰治作「駈込み訴え」
よろしくお願いします。

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はじめに ~キモオタパッチテストってなんだよ~


 太宰治の作品を人生で一回はみな読んだことがあるだろう。「走れメロス」は教科書に載っているし、「人間失格」、「斜陽」も有名だ。では、「駈込み訴え」はご存じで? あ、ご存じでない。めちゃくちゃ良いのでぜひ読んでいただきたいし、俺に関してはもはや義務教育で学ばせるべきだと思う。

 というのも、「駈込み訴え」はキモオタパッチテストだからだ。この作品が刺さる人間は、もれなくキモオタになる素質がある。過去に読んだこの作品をもう一度読み直し、自分の感じた魅力を3つ挙げる。それと共になぜこの作品かキモオタパッチテストなのか迫っていく。


これより「駈込み訴え」のネタバレあり。
先に読んでから、この記事を見ることをお勧めします。

青空文庫で無料で読めます。


魅力その1


 魅力の1つ目。物語内の文体がすべて口語であることだ。この短編は1人の登場人物の独白のみで成り立っている。その男が自分が行ったこと、思ったことを詳らかに説明する。読んで早々、冒頭の文からそれが分からされる。

申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。

太宰治 「駈込み訴え」

 つかみが良いね!ここからもわかる通り、話し言葉で物語が進む。まるで自分が、その男の話を聞いているような不思議な感覚に見舞われる。これが物語への没入感を増し、素晴らしい舞台装置になっている。オタク君はこういうの好きなんだよ。

 それに、途中から、キャラの正体がわかってくる。男が話しを続けていると、登場人物に聞き覚えのある名前が出てくるのだ。ペテロ、ヤコブ、ヨハネ。また、冒頭からもわかるが語り手の男は熱心に「あの人」について言及する。「あの人」は神の御子であるとか。…..「あの人」ってキリストのことか?だんだんと物語の根幹がわかり始めてくるのだ。そうすると、口語が拍車をかける。話の真相を早く知りたい!と思えてくる。これが良い。

魅力その2


 魅力の2つ目。物語の構成力。話の構成がなかなか興味深い。話の最後の最後まで語り手が誰なのか、それと「あの人」の正体については言及されない。なぜなら物語は、語り手の知り合いである誰かしらを売る何かしらの訴えを、そのまま文にしたものであり、話し言葉で要領を得ないからだ。話の順序が理路整然としていない。自己紹介もなければ、説明もない。語り手が何者で、どんな背景を持っているのかを知っている前提で話は進む。

 しかし、読み進めるにつれて、語り手が何者なのかが分かってくる。なぜなら語り手は裏切り者として悪名高く、売られてしまう「あの人」の結末も皆が知っており、おおよその予想がつく。すると普通のありきたりな終わり方ならきっと、しりすぼみで面白さに欠けてしまう。だからこそ、この物語は味のある究極の終わりの一文が必要になる。恐ろしいことに、この短編はそれを実現した。

銀三十、なんと素晴らしい。いただきましょう。私は、けちな商人です。欲しくてならぬ。はい、有難う存じます。はい、はい。申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。

太宰治 「駈込み訴え」

 語り手はユダ。そして「あの人」はキリストであると物語中盤で理解してくるものの、ここでそれをバシッと回収しキメてくる。何という構成だ。一般的な物語は、自己紹介の言葉を冒頭に書く。しかし、この物語は締めの言葉を自己紹介にしている。構成力に舌を巻き、終わり方の粋さにため息をつく。オタク君さぁ、こういうの好きでしょ。

魅力その3


 魅力の3つ目。ユダによるキリストへのクソデカ感情。これよこれ。これがいっちばんいいわ。キリストがユダに裏切られた理由はいまだに議論されている。ある人は、「銀貨30枚を得るために」というし、別の人は「裏切り者のユダが熱心党に所属していたからだ」とも言う。太宰治はこの理由に、ユダかキリストへクソデカ感情を持っているというものを選んだ。

 ユダはその時代に珍しく桃畑を持っている。キリストと歩みを共にしなくても、十分食っていける境遇に生まれた。しかし、その恵まれた生まれを捨てても、美しいキリストに焦がれ一緒に旅をしている。ユダは思う、世辞を並べキリストに阿るアホどもは、もし私の生まれならそれを捨てられたのか?そんなことは絶対にない、本当に愛しているのは私に違いない!と。クソデカ感情いいね~。

 また、ユダは史実通りお金に関する仕事をしている。金貸しが古代から嫌われているように、お金に卑しい人間は高潔ではないという考え方がある。つまりユダはキリスト一行の汚れ役に準じているわけだ。それなのにもかかわらず、キリストはユダに優しい言葉一つかけない。あなたにさえわかってもらえれば、他の誰も私の事をわからないで良いと思っているのにそれが叶わない。そして、キリストへの気持ちは僻み、妬みで歪んでいく。クソデカ感情はより大きく歪んでいく。

 「駈込み訴え」のユダは非常に人間臭く、そこもかなり評価している。キリストを売ることを決意し、逃げ出したのなら、さっさと旦那様とやらに場所を吐けば良い。しかし、自分が本当に正しいことを行っているのかを記憶を順にして確かめているのか、それともただ動揺しているのかはわからないが、言い切らず最後の最後にようやく吐く。

 キリストについても、傲慢な人だ、恥知らずと罵るかと思えば、美しい人、永遠に二人きりでいたいと言い出す。ユダはロマンチストであり、また卑しい商人でもある。人は複雑な矛盾を抱えているという言葉通りの人間臭いキャラだ。そして最後には、自分の行動を正当化するように、自身が商人であることを強調し、阿諛追従。へりくだるようにペコペコするユダは本当に人間臭い。オタク君、こういうキャラ好きじゃん。

総評

 この作品はどうも、サブカルな要素が多く散りばめられている印象にある。そのため、オタクの登竜門として義務教育で使ってほしいのだ。自分の「好き」を知れるってのは良いことだからな。

 冗談はこの辺にして、まじめにこの作品を批評すると好きなやつは好き、好きじゃないやつは好きじゃないの二分化作品だと思う。キリストへの固執に近い愛に、気持ちがものにならないなら殺してしまおうという歪んだ愛。変わった文の構成に、全文が口語というまさに、奇をてらった作品。逆張りオタクの俺は、学生の頃読んで刺さった。だからこそ、これが好きな人間は自分の「好き」を知ることが出来て、それを突き詰める良い機会になる。素晴らしい作品だ。

 ただ、キリストがひょっとしたら恋をしていたのかもしれないマリヤという人物については少し疑問が残る。作中で、ユダはその娘に少なからず絹をプレゼントしたいくらいには思っていて、キリストの恋?に感づいた時にはこんなセリフも出ていた。

あの人は、嘘つきだ。旦那さま。あの人は、私の女をとったのだ。いや、ちがった! あの女が、私からあの人を奪ったのだ。ああ、それもちがう。私の言うことは、みんな出鱈目だ。

太宰治 「駈込み訴え」

 ユダ、おめー本当に好きなのはどっちだよ。動揺していて自身の気持ちが分からない説と、マリヤには女性的な美しさを、キリストには性別を超越した根源的な美しさを感じていた説の2つあると思っているが、マリヤがポッと出のキャラすぎて確証が持てない。まぁゆるふわにいこうや。

おわりに

 駈込み訴えを読んでどうでしたか?刺さったら、あなたはキモオタです。これが駈込み訴えを使った、キモオタパッチテストです。自分の「好き」を突き詰めましょう。私からは以上です。読んでいただきありがとうございます。こんなに長くなると思ってませんでした。お目汚し失礼しました。


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