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「望み」を無意識に書き換えていた。わたしの中で眠っていた恋愛への恐怖。


また、わたしの中に持っている
恋愛に感じる恐怖の蓋が開いてきた。



わたしの中にある恋愛への恐怖を
ここで吐き出そうと思う。


本当にnoteに書くのが
馬鹿馬鹿しいと思う内容だけど、
これもわたしの一部だから書こうと思う。




恋愛のことを語っているアカウントで
肩書きに『恋愛×親子関係の専門家』と
書いてあるくせに・・・
わたしは「恋愛することが怖い」と
感じている。



また、自分を良く見せようとしていた。


自分をよく見せようとするから
自分で蓋をしてしまうことがある。



こんなに自分のことわかってきているの
まだまだ自分が無視してきたことが
たくさん出てくるんだ…




これだけ自分と向き合っているのに
まだ「誰かと一緒にいることが怖い」
と思っている。



正確にいうと、
良い関係になった後に
その関係が崩れるのが怖い。

だから、パートナーを作れない。



わたしは「パートナーを欲しい」と思いながら
心の奥底では「パートナーができることを怖い」と、思っている…


パートナーができないのではなくて
パートナーができないようにしているのは
自分の心の恐怖からだと思う。



いまだに地雷を持っているから
恋愛をしたくても
パートナーが欲しいと思っても
なんだか重い気持ちになってしまう…


気持ちが進まないから
動きたいと思えない…


自分でも薄々気づいていて
恋愛の発信しているのに
自分には恋愛をすることの怖さが
まだ残っている。




「なぜ、こんなことばかり起こるんだろう」

「わたしが悪いのだろうか」

「全部、自分が創っているのだろうか」


今、自分が抱えている
相続問題のことを考えてしまうと
そう思ってしまう。



自分で内観することによって
不安は鳴り止むようになってきたけれど
地雷を持っているような感覚に苛まれる。




「わたしに何もなければ良いのに・・・」

そう思ってしまう、自分がいる。



「欲しい、欲しい」と望みながら
「自分に何もなければいい」と望んでいるんだ。





「パートナーが欲しい」
という望みを放ちながら、

「自分に問題があるから作れない」
と信じていて

「自分に何もなければいいのに」
と望みを放っている。


無意識に自分のあげた望みを
自分自身で書き換えてしまっていた・・・



「何もない」と感じる自分を
自ら創っていたんだ。




「わたしにこんな問題なければ、
みんなみたいに普通に恋愛できるのに」


そうやって、昔から思っていた。


昔から両親のことで
ずっと心の中に地雷を持ってきたから
それが染み付いてしまっている。


結婚も出産も、
未来への恐怖が強くて考えられなかった。



「結婚した相手が母親に何か言われるんじゃないか」

「子どもを産んでも、介護と同時になるんじゃないか」

とか、
本当に被害妄想みたいな不安を抱えていた。
(ここに書くのも恥ずかしい。。。)


ありもしない妄想を考えて
心が病んでしまう自分は
まるで母親と同じだった。




そして、妄想のように事が進んでいる。



昔、付き合っていた人を紹介しようとしたら
一方的に母親に反対・大激怒されてしまい
それからもう恋愛に対して
諦めモードに入ってしまった。。。


その時、わたしは諦めてしまった。


絶望感を感じた。


「わたしは好きな人と一緒になれないんだ」と。


そこで、恋愛をしようとする
自分に蓋をしたんだ。




何もかもを両親のせいにしてきて
勝手に被害妄想をしてきて
自分の意思を無視し続けてきた。


それが、今の結果。




わたしはまだどこかで両親のせいにしていて
「わたしに何もなければ良かったのに!!」
って、ずっと奥底で怒りを溜め込んでいる。


今も、その怒りが溜まっている。




わたしの潜在意識には
「何もなければいい」という
信念があることに気づいた。。。



「ある」ことを望んできたはずなのに
「ない」ことを望んでいたのだ。



今、こうして記事を書いている中で
思い出したんだ。



いつだったか覚えていないけど

「もう何もいらないから、楽にしてください」

と、泣きながら神様にお願いしたこと。



あの時の光景を鮮明に思い出した。



自分の力ではどうにもできなくて
苦しくて神様にお願いするしかなかったよ…


「もう、何もいらないから楽にしてほしい」と。



自分で「いらない」と願っておいて
今さら「ほしい」って思うなんて
自分勝手だった。




そんな自分自身に対して、
「パートナーがほしい」という望みを
自らが否定して書き換えてきた。




「誰かと付き合ったら
迷惑をかけるのではないだろうか」

「こんなこと、話しても仕方ない」

「理解してもらえないかもしれない」

「こんな状況で誰かと
付き合うことができるのだろうか」


未来の不安に対して
先回りして考えてしまう癖が
わたしを恐怖に導いていく。。。


そう思ってしまうのは、
自分が持っているフィルターを通して
自分がそう決めているだけなのに…。


自分が「特別に不幸な設定」をしてきて
「何もいらない」と望んできた
過去の結果が今、起こっている。


『何もいらないから楽』が叶っている。



「こんなわたしを理解してくれる相手が欲しい」
そう望みながらも
「そんな人はいないから、自分で理解しよう」
と、望みを書き換えてきた。


望みを自分で否定して
望みを自分で書き換えていた。



今思うと、ほとんどの願いを
「自分でわかってあげて理解しよう」
「自分自身でどうにかしよう」
と、書き換えてきたんだと思う。



それがわたしがやりたかったことだから
その願いを叶えるべく
内観と自己理解をしてきたのは
すごく良かった。

それも流れだから。


自分自身で何とか望みを叶えようとして
自分との向き合いをしていなかったら
この気づきはなかったと思う。



自分のこと理解していった結果、
「全てが自分だ」とわかった。



もう全てが自分なのだから・・・

素直に
「わたしを受け入れてくれるパートナーが欲しい」
と、望んで良いんじゃないかと思った。



そう、望む自分も自分だから。


自分の一部を否定しないであげよう。



一人でたくさん内観してきて
自分のこと理解してきたのだから、
そろそろ、もう良いんじゃないかな・・・



「いい加減、素直に望みを放とうよ!!」

そう自分に言われている気がする😌



もう自分で否定して
自分でなんとかしなくてもいいよ。



もう自分の望みに素直になって
ただ、流れに乗ろうと思う。



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