「私はいない」とはどういうことなのか?「分離と統合の仕組み」をまとめてみた。(イメージ図付き)
過去に体感した感情を
どんどん感じ切っていくと
「私はいない」というところに辿り着く。
【自分なんて、ない】を体感した記事
この「私は存在していない」ということを
もっと自分の中で明確にしたくなった。
と、いうのも
わたしはまだ「私(エゴ)」視点だと
感じているから。
私は存在していないのに
まだ私(エゴ)の視点で物事を見ている。
それは、
まだ見たくなくて溜めている感情が
あるからかもしれない。
私という視点の変え方が
わからないからかもしれない。
だから、
改めて「わたし」が気づいたことを
まとめようと思ったんだ。
自己理解のために、まとめようと思う。
※私も何となく腑に落とした状態なので
誤っている部分があれば教えて欲しいです🙏
【分離と統合の仕組み】
①仮想世界と実世界に気づく
【前提】わたしたちがいる世界は、
仮想世界と実世界で成り立っている。
自我/エゴの私が存在しているのは「仮想世界」
真我の私が存在しているのは「実世界」。
イラストのように、
私(真我)が私(自我)を
操作しているイメージ。
それは何のためか?
真我の私が
「自分の五感を使って、感情を味わうため」
「地球でいろんな経験をしたいから」
多くの人は、現象に囚われていて、
仮想世界を実世界(自分のいる世界)
だと勘違いしている。
現象が起きて、
苦しくなったり怒って泣いて
他人のせいにしたりしても
どうにもならないんだ。
現象は何も変わらない。
だって、
現象を創っているのは
私(真我)が感情を体感したくて
起こしていることだから。
全ての現象は、
私(真我)が決めて起こしてきた。
全て「自作自演」なの。
そして、
私(真我)の存在に気づいて欲しいのに
いつまでも私(自我)に振り回されていると
何も仮想世界は変わらない。
私(自我)と私(真我)が、
別存在だと感じている。
これが「分離」と言われるもの。
本当は、
私(自我)も私(真我)も同じ存在なの。
それを思い出して欲しい。
自分自身が感じている
「寂しさ」「虚しさ」「悲しさ」は
自分と繋がっていないから。
私(自我)と私(真我)が
同じ存在だと忘れているから。
だから、
いくら外側に求めたって虚しさを感じる。
恋人、お金、地位、名誉で埋めても
どこか寂しさや虚しさを感じているのは
私(自我)と私(真我)が繋がっていないから。
この繋がりを取り戻していくことで
仮想世界が変わっていく。
自分で自分を自由に
操作できるようになっていく。
私(自我)と私(真我)が繋がっていくことが
「統合」と言われること。
統合したいと思うなら
「仮想世界」と「実世界」に気づくことが大切!
そのためには、
自分のことを客観的な視点で見る必要がある。
いわゆるノートワークだったり、
瞑想、セッションなど
自分が自分に「どう感じているのか?」
気づくこと。
これはある程度、訓練が必要だと思う。
わたしが日々行っている「内観」も
そのワークの一つである。
一回、自らの力で
「この現象は自分で創っていたんだ!」
と体感しないと仮想世界と実世界に気づけない。
だから、まずはそこを目指せば良いと思う。
②仮想世界から抜けるために必要なこと
では、
どうやって現象(仮想世界)から抜けていくのか?
「感情を味わう」ことを繰り返し行っていく。
正確にいうと、
自分が見たくないと思う負の感情
(怒り、憎しみ、悲しみ、恨み、妬み、嫉妬、罪悪感)をしっかりと感じ切ること。
わたしたちは、
感情を味わって体験をしたくて
仮想世界を創り出している。
だから、
好きなことや楽しいこと、
ワクワクすることだけ味わっていると
感情を味わうことも偏ってしまう。
食事で言うと、偏食と同じ。
好きなものだけ食べていたら不健康になる。
感情も同じで、
ポジティブな感情ばかり味わっていると
自分の体は不健康になっていく。
誰しも
嫌なこと、辛いことがあると
無意識に感情を感じたくなくて
逃避してきたことがあると思う。
わたしもそうだった…。
ネガティブな感情も
自分が体験して味わいたいことなのに
それを見て見ぬ振りしていると
仮想世界で現象として現れてくる。
「見て見ぬ振りをする」
これは、
私(真我)を見て見ぬ振りしていることと同じ。
自分を見て見ぬ振りをして
他人や周り(外側)を見てばかり。
だから、
私(真我)は悲しくなっている。
「私(真我)のことを見てよ!」
「私(真我)に気づいてよ!」
って、現象を通じて言い続けているの。
真我の私に気づいて欲しいから
余計に悲しくなるような
出来事を起こしてくるんだ。。。
これが
「現象を無視していると、
もっと大きい現象としてやってくる」
と言われる意味。
ここまで来ると、わかるでしょ?
私(真我)が私(自我)に伝えるために、
「もう一度、私と一緒になりたい」
という願いを叶えるために
私自身が現象を引き起こしている。
その私(真我)の願いを叶えてあげることで
仮想世界で起こる現象は消えていく。
過去に味わった苦しみや悲しみを
自分で見て見ぬ振りをして溜め込んでいると
私(真我)の願いが叶わない。
だから、同じことが繰り返し起きるの。
私(自我)は私(真我)と統合するために
ゲームを操作しているだけ。
敵やボス、障害物は全て「外側」にあるもの。
ゲームの主人公は私(自我)。
親、友人、学校、会社、世間などの関わりは
ゲームの中に出てくる物。
ゲームの中に出てくる物(外側)を
変えようとしても変わらない。
私(自我)の意識を変えるために
敵が現れてくるだけ。
変えられるのは、私(自我)の意識!
私(自我/エゴ)の意識で
外側に振り回されていては
いつまでも意識が変わらない。
意識を変えるために必要になるのが
自己を客観的に視ること。
私(自我)が
「恐れを感じているのはなぜだろうか?」
と客観的に視る視点が必要になる。
ここで「恐れを感じたくない」と思っている
過去の出来事やトラウマと向き合うことが
感情を味わって昇華するために必要となる。
『感情を昇華する=敵を倒して昇華する』
この繰り返しで敵を倒していくと
どんどん感情を体感することができて
私(真我)の願いが叶っていくんだ!
そうすることで、
仮想世界から抜けていくことができる。
(これが「目覚め」と言われることだろう)
③「ない」と「ある」の認識
②で感情を味わって昇華していくと、
仮想世界から少しずつ抜けていく。
そして、
私(自我)が持っている恐れがなくなって、
ある程度クリアになると
「自分(自我)なんて、ない」と気づく。
わたしが「私なんてなかった」と気づいたのは
自我(エゴ)を外していって
結局、外側の意識に取り憑かれていたと
気づいたからだと思う。
今まで他人の価値観を張り付けて生きてきて
感情を昇華してクリアになっていくと
自分の価値観が「仮想世界」にないことに気づく。
仮想世界にいる私(自我)は
本当はいないんだって、体感した。
現象が起きる「仮想世界」は
私(真我)が創り出した世界で
私(自我)なんてものはいない。
本当の私(真我)は実世界にいる。
そして、
私(自我)も私(真我)も全て「私」なんだ。
そう受け入れられた。
これが「統合」と言われるものなのかな?と感じている。
統合はただの概念だから
自分の感覚次第だと思う。
この感覚を味わうために
「五感」を鍛えておく必要があると感じた。
「ない」世界を体感したからこそ
「ある」世界にありがたみを感じられる。
逆も然り。
どっちもあって、
どっちも体感することが
この仮想世界を楽しむコツなんだよね♪
どっちかじゃなくて
どっちも必要なんだ。
【ない世界】と【ある世界】
今までずっと「ない」世界にいた。
仮想世界には、実態は「ない」のだ。
ただ、ゲームとして創り出された映像の世界。
だから、
「ない」世界をずっと見ていても
「ない」と感じる。
私(真我)が創り出した世界だから
私(真我)が「ない」ことを体感したくて
創り出してきたんだよね。
分離していた
私(真我)が私(自我)に
気づいてもらいたくて
「ない」世界を創造していた。
自らが創り出した世界に気づいて
仮想世界から抜け出さないと
「ある」世界に辿り着けない。
仮想世界から抜け出していくと
「本当の私は実世界にいる」ことに気づく。
やっと、
本当の自分(真我)の存在と一緒になれる。
ここまできて、
やっと「ある」世界を創れるんじゃないか?
私(真我)が創り出した世界で
私(真我)と私(自我)が一緒になる
願いが叶っている。
次は、「ある」世界の創造。
私(真我)の願いをただ叶えるだけ。
ゲームの主導権は私(真我)が持っているから
私(真我)の放つ望みを
ゲームの中で私(自我)が叶えるだけ。
私(自我)の不安や恐れが「ない」状態なら
真っ直ぐに叶えられる。
自分が体感して味わいたいことなら
願えば叶うのではないか??
これが「願えば叶う」の原理なんだ。
私(真我)の放つ望みが真実であり
私(自我)が放つ望みは幻想である。
幻想の望みは叶わないし
力づくで叶えたとしても
真実じゃないから一瞬で消える。
仮想世界で頑張って
望みを叶えても虚しいのは
私(真我)が望んでいないからだね。
仮想世界の望みを叶えるのも、
実世界の望みを叶えるのも
自分自身で選択できる。
自分の好みで選択すれば良い。
人に押し付ける必要もない。
他人と比べる必要もない。
あなたはどちらが好きで叶えたいですか?
最後に
「私(自我)なんて、ない」
そこまで辿り着くまでに
かなりの時間がかかった。
両親が亡くなってから
1年半くらい?毎日のように
内観し続けてきたら辿り着いた。
別に悟りたくてやっていたわけでもなく
自己統合の概念も知っていたけど
そんなのどうでも良くなっていた。笑
自分のことを知りたくて…
きっと、私(真我)の声を聞いていたんだ。
「私(真我)が私(自我)に気づいて欲しい!」
「私(真我)のこと、見てほしい」
って、ずっと言ってきていたんだよね。
その私(真我)の望みを叶えてきたら
辿り着いたところだった。
私(自我)じゃなくて、私(真我)がいるよ!
それが感じたかった「安心感」だった。
真実に辿り着いても、
まだ感情の昇華をしているところなので
正直、③はこれから体感していくところだと思う。
いきなりバンッと変わるなんてことはなくて、
グラデーションのように
段々と変化していくのだと実感している。
わたしは③に進んでみたいから
この記事を書いたんだ。
頭でわかっていることを
より理解を深めて
この先、実践につなげるために
この記事を書いている。
今朝、「note書いて!」って
メッセージがきたから
突然書き始めただけなのだ✍️
久々に図解のようなイラストも作ったけど、
やはり、わかりやすくていいね!笑
参考になったら、
いいねとGOODボタン押してほしい!!
・・・YouTubeじゃないから
GOODはボタンないけど。笑
スピリチュアルで迷っている人に
共有してもらえると嬉しい。
(これが正しいとは思わないでほしい前提で)
そして、わたしが伝えたいことは
noteに山ほど書いてあるので
読んでほしい!!笑
これを読んで自分ごとに落とし込めると
溜め込んでいる感情の蓋が
開くような内容だから。
辛いとき、これだけは思い出して欲しい。
私(自我)を操作しているのは
私(真我)なんだよ!
「嫌なこと、忘れたいこと、不安なこと、消したいこと」
たくさん起きてきたし、今も起きているかもしれない。
それは、全て私が私と繋がりたくて
引き起こしていることなんだよ。
今は信じられなくても、いい。
辛いことがあれば、
思い出して欲しいな…と思う。
私は、ずっと私と繋がりたかった。
やっと、
本当の私(真我)の声が聞こえてきたから
こうして今、noteに書いている。
必要な人に届くと思うから。
読んでくださって、ありがとうございます❤️
自分と向き合ってみたい人は
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