生きることは、死ぬということ。
ひと足早い墓参りとなったあの日、“鼓太郎”と父が呼んだら、それまで静かだった木々の隅々から一斉に蝉たちが鳴き出した。まるで返事をしたかのようだった。それから数週間後、鼓太郎の墓の隣にはひとつ、またひとつと墓が増えた。命のあっけなさに嗚咽を漏らしながら、そうやって鼓太郎を呼んだときの様にマグやチョビとも何処かで繋がっているんだろうと、そう思った。いのちはあっけなく燃え尽きる。でもそれが生きていることなんだと思う。
生きてるって奇跡だ。死ぬときはあっけないよ。本当に…なんてあっけないんだろう。でも息絶えるその瞬間まで身体はそれこそ必死に生きている。振り絞って振り絞って、生きぬくんだ。どんないのちも。
だから私は生きる。ただ生きる。
ただ生きてることがどれだけの凄まじさなのかを教えてもらった。
つらくてつらくてかなしくてかなしくて、言葉にするのも難しいけれど。
だから私は生きる。ただ、生きる。
ナニモノでもない私だ。
だけどそれが当たり前に美しいことなんだと感じたのだ。
いのちに感謝している。またとない今に感謝している。
ありがとうと叫んでいる。
私は生きる。ただ、生きる。
生きることは、死ぬということ。