2.曲直対比(1)- ii
画家モディリアニの紹介と作品解説を少々。
モディリアニ
アメデオ・モディリアニは、おそらく20世紀最大のイタリア人画家です。その芸術はもとより、その破天荒な性格と悲劇的人生で知られる(そしてまた大変なハンサムで知られる)「エコール・ド・パリ」の一人です。
(1)エコール・ド・パリ
「エコール・ド・パリ」(パリ派、エコールは英語のスクール(流派))は20世紀前半にパリに集まった異邦人芸術家たちの総称です。
この中には、ロシアから来たマルク・シャガール、日本から来た藤田嗣治、ポーランドから来たキスリング、リトアニアから来たスーティンなどがいます。(正確に言うとシャガールもモディリアニもキスリングもユダヤ人なのですが、この話は割愛します。)
元々は1920年代初め、フランス人画家と区別するために、モディリアニの死後ごろから用いられ始めた用語です。当初は「1920年代のパリの異邦人芸術家たち」というかなり限定的な意味で用いられていた呼称でした。
今では、「20世紀前半(第二次世界大戦前まで)にパリに集まっていた外国人芸術家(どうかするとフランス人を含む)」くらいの意味にまで拡張して使われていることが多いようです。
(美術史では「~~派」というと、普通は様式や主義が統一されたグループを指すことが多いのですが、この場合は、主義主張が同じだったわけでも、様式が似通っているわけでもありません。)
(2)人生
ロマン主義的芸術家像、と言いますか、いわゆる近代以降の「芸術家イメージ」の典型のような人です。
伝統を打破する前衛だが、なかなか理解されず、孤独と貧困に喘ぐ日々を送る。
深酒と麻薬と女にひたすら溺れる。
人物は容姿も含めてこの上なく魅力的だが、酔うと女にも暴力を振るう。
自堕落なのに、尊大。
繊細なのに、粗野。
一部の人に認められるも、貧困・ドラッグ・病弱・深酒がたたって若くして世を去る。
・・・まさに「悲劇的人生の天才」のステレオタイプです。
近年の国際的オークションでは、モディリアニの裸婦像に何度か「史上最高額」レベルの値段がつきました(2015年クリスティーズ、2018年サザビーズなど)。彼の数少ない彫刻作品にも、今では数十億円の値段が付いています。
一方、モディリアニ本人は、生涯でただ一度だけの個展すら正式に開くことは出来ませんでした。というのも、1917年12月、個展の準備は画商ズボロフスキによってほぼ終わっていた時のこと、警察がやって来てウィンドウに飾られたモディリアニの裸婦像を猥褻であるとして撤去を命じたからです。結局、この個展はそのまま幻と終わりました。
(どんなタイプのハンサムなのか気になる方は
「Amedeo Modigliani photo」でgoogle検索してみて下さいね!。
モディリアニの写真がいくつも出てきます)。
【著作権の確認が大変なので、ここに掲載することは割愛します】
(3)ジャンヌ・エビュテルヌ
その幻の個展の数か月前、モディリアニは19才の画学生ジャンヌ・エビュテルヌと知り合いました。彼女は終生の恋人兼モデルとなった女性です。
これらはすべてジャンヌ・エビュテルヌを描いた肖像画です。同一人物には見えませんが、首や顔が引き延ばされて縦のゆるやかな曲線が強調されているのは共通しています。特に真ん中の<黄色いセーターのジャンヌ・エビュテルヌ>の首などは、まるで白鳥のようです。
「どんだけ首長い女だったんだ!?」は、きっと正しい疑問です、私自身ももっと若い頃、そんなふうに思いました。
はい、次はジャンヌ・エビュテルヌさんの写真です。
別に首長族の方ではないようです。。。
人生そのものも、モディリアニに振り回され、モデルとしても、モディリアニの意のままに画面上で自由に見かけを改変された彼女は、モディリアニの死の翌日、モディリアニの子をおなかに宿したまま飛び降り自殺してしまいました。
・・・と、「オレ様系破滅的天才」の添えものように語られるばかりのジャンヌ・エビュテルヌですが、近年では、フェミニズム的視点の高まりなどにより、彼女自身の(添えものでない)主体としての人生、彼女の画業そのものについての研究が試みられています。
以下のサイトなどで、彼女の作品を閲覧することができます。
これだけ濃くモディリアニと関わっていたのにもかかわらず、画風は影響を受けていないことに、はっとさせられました。
彼女はそもそも画家の卵だった、ということを今一度思い出したうえで、終わりたいと思います。
最後まで読んで頂き、どうもありがとうございました。
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