31.螺旋(3)- i
「螺旋」(あるいは「疑似螺旋」としての円の重なり)は、
回転運動の感覚を作り出しながら、観者の視線を、
上へ上へ、前へ前へ、奥へ奥へ、遠くへ遠くへと、導きます。
***
***
今回は、コレッジョの天井画から多くを学んだジュリオ・ロマーノが、マントヴァ君主フェデリコ・ゴンザーガ2世の別荘の一部屋のために制作した、世にも奇矯な天井画をご紹介いたします。
螺旋的円環や円の連なりが、観者を絵の中の世界へと巻き込みます。
16世紀最大の「ヴァーチャル・リアリティー体験」コーナーです。
1.天井を見る
(1)ドーム状
ゴンザーガ家の統治していたマントヴァにあるパラッツォ・テ(テ宮殿)の中に、「巨人の間」と呼ばれる部屋があります。
(少し風変わりな「テ」という名称は、中世の地名「tejeto」の短縮形の通称に由来すると言われています。)
この「巨人の間」は、天井と壁の間が予め漆喰で埋められており、ドームに似た形状をしています。四方と真上の間に角のない、統一された「ただ一つの面」を作ることが試みられています(実際には、壁と壁の間の角は、下半分が残っています。)
プラネタリウムのような「巨大な統一画面」として用意されたこの(元)天井と(元)壁面に、「ギガントマキア」(ギリシャ神話における神々と巨人族との闘い)の主題、すなわち、反乱に怒り狂ったゼウスが雷を用いて巨人族を打ち倒すさまが、凄まじい迫力で描かれています。
(図1)
床面は確かに正方形なのですが、この部屋にひとたび入れば、全体の壁面装飾・天井装飾はドーム状なので、部屋全体は観者を包み込む「超巨大な円」として認識されます。
(2)天井全体
直角の区切れはもうありませんが、ここでは説明の便宜上、「天井」「壁面」と呼びつづけることにします。
天井全体です。(図2)
天井全体は、巨大な雲の円環で四方八方囲まれています。
写真の中央下で、身体を斜めにしながら雲の上に乗っている屈強な男が、主神ゼウス(ローマ神話ではユピテル)です(図3、黒色円の中)。ひときわ大きく描かれているのは、彼が一番地上近くまで降り来ているからです。
(図3)
このゼウスこそ混乱と破壊を作り出している主人公で、手に雷を持っています(黄色四角内)。ピンクの藁のようなものが炎を、ジグザグの針金のようなものが稲妻を、表しています。
ゼウスは隣に妻ヘラ(ローマ神話ではユノ)を従えています(黒色点線円内)。彼女は、次に投げつける雷霆を夫に手渡して、この仕事を手伝っています。
(3)雲
この雲の円環(図4、赤色円)は天地の境界線として機能しており、ここから上は神たちの住まう天界であることを教えています。
(図4)
赤円の内側の天界にはたくさんの神々がひしめき合っています。
混沌、カオス、騒乱、喧噪。
よく物語を知らなくとも、彼らの表情やポーズから、ただならぬ混乱を感じ取ることが出来ます。
(4)神殿
天井の中央には、玉座を取り囲む神殿建築が見えます(二つの黄色点線円)。
(図5)
白大理石の円柱が規則的に並ぶ円形開廊があり、そこには数人の人が描かれています。下を覗きこみ、こちらを見る人もいます。彼らの背後には、さらに遠くまで空間が広がっているようです
円柱の上には、金の花飾りの入った格子模様の丸天井があります。これによって、この天井全体の中心部の仮象奥行空間は塞がれています。
さきほどの天界の雲の円(赤色円)と、円柱下の開廊手すり部分の円、円柱上の丸天井の下部分の円(二つの黄色点線円)。この三つの円は、円が小さくなるにつれ、奥行きがどんどん深くなっています。
この円の連なりは、天界の混沌に空間的秩序を与えるとともに、放射状線を伴って観者の視線を「的」のように引っ張り集め、奥行の深さ(=天の高さ)を誇張して伝える役目を果たしています。
(5)パラソル
(図6)
神殿の丸天井の下には、ゼウスの玉座があり、金の階段や椅子の脚が見えます。玉座には、羽を広げた黄金の鷲がとまっています。鷲は 注文主であるゴンザーガ家の紋章の一つであると同時に、主神ゼウスの象徴です。
ゼウスは、いつもはここに座っているのでしょうが、今は雲に乗って地上に接近し、先ほど見たように、玉座の下で忙しく雷霆を投げつけている最中です。
玉座の上には円形パラソルが開かれていて、玉座全体がまるで気球のように飛んでいるかのようです。虹色の縞模様をつくるように多色の同心円が重なり合っており、また、円の中心に向かう放射状の折り目がついています。
パラソルの縁は強い風に煽られて、はためいています。
(6)円の重なり
注目すべき点は、パラソルの円が、ずらされているということです。
パラソルの円(黒色円)の中心は、神殿丸天井(黄色点線円)の中心や天界の雲の円(赤色円)の中心とは、意図的にはっきりとずらされています。
(図7)
このような円の重ね方は、前回ロトレリーフを観察してきた私たちにはなじみのあるものです。
ロトレリーフには、大きさの異なる円が、内接する位置を変えながら重なってゆくものが多くありました。
(図8)
(frickr: photo by j-No)
デュシャンがこれらを回転させたとき、こうした円の連なりは螺旋のように見え、揺れながら無限に続くような奥行空間を出現させていました。
ロトレリーフは、デュシャンが機械に載せて物理的に回転させていたものでしたが、この部屋に入った観者は、上を見上げながら、自然に、自分がぐるっと360度回転すると思います。
実際この部屋に入れば、どんな鑑賞者も、いともたやすく、あちこちを見ながら、いつの間にかぐるりと回転してしまいます。この部屋で、あちらもこちらも見たいというその誘惑に打ち勝つことは、困難です。
この時、こうした円の連なりはロトレリーフに似た「疑似螺旋」として、やはり、奥へ奥へと観者の目を引っ張り込んでいくに違いありません。
また、これは想像ですが、この部屋は客間として使うこともあったので、酒宴のあとの酔客が、自分の目を酒の力で予め回している状態で眺めることもきっとあったことでしょう。そうした酔客の目には、デュシャンのロトレリーフと同じくらいはっきりと、天井に眩暈のようなぐるぐるした奥行空間が立ち現れて見えたかもしれません。
いずれにせよ、中心をずらして触れ合う大きさの異なる複数の円は、動きながら見上げる鑑賞者に対し、渦巻く螺旋のような動態の感覚を引き起こし、その中心をかなり奥深く感じさせることに貢献しています。
(7)下方へ
神殿の円柱の上を結ぶ円(内側の黄色点線円)が、パラソルの円(黒色円)と接する位置は、写真の下側の方向にあります(接点はグレーの点)。
(図9)
その接点に導かれて、そのまま視線をおろしてゆくと、その先にいるのが先程の主人公の至上神ゼウスです(グレーの三角形内)。
***
実際には、ドーム状になった天井ですから、神殿の丸天井はもっと遠くに感じられる一方で、天界の神々は、部屋の中にいる観者の上に覆い被さってくるように、もっと近くに迫って、感じられます。
観者はどこを見ていても、天井の雲・神殿・パラソルの円の重なりにひとたび視線が引き付けられた瞬間、再び、何度でも、主人公ゼウスへ目が戻るような仕掛けになっています。そして何度でも、ゼウスが思いのほか近くにいることにギョッとして、ずり落ちてくるかのように錯覚し、気を揉むことになるのです。
(図10)
***
それでは、あらためて、部屋の全体像を見てゆきたいと思います。
2.四つの壁を見る
ここから先は、雲の下です。
オリュンポス山に集う神々から攻撃された巨人族が、苦しみ悶え、没落していく場面です。
(1)南壁
主神ゼウスの真下にあたる壁です。
この壁は、部屋の入口から入ったときに真正面に見える壁面でもあります。
(図11)
岩の洞窟の中にすでに閉じ込められて身動きが取れない巨人。
神の怒りに恐れおののき天を仰ぎながら倒れ込む巨人。
洞窟が倒れないよう岩を押さえる巨人。
光り輝く雷霆の攻撃を無防備にも直接受ける巨人の一群。
自然の岩で出来たアーチがあり、風景が遠景まで描かれます。
(2)西壁
南壁を正面にしている時、右側にある壁です。
(下の写真の左上端には、頬を膨らませて上目遣いでラッパを吹く風の神が雲の中に見えます。この風の神は、先ほどの南壁の写真の右上に写り込んでいます。)
(図12)
水のエリアです。
大地が割れ、岩が崩れています。崩れる岩を支える巨人もいます。落ちてくる岩に押しつぶされる巨人もいます。川に落ち、溺れ、流されそうになっている巨人もいます。
右下の開口部は、出口です。ちょうどその四角形に乗っているようにして、背に大きな岩を受けつつ身を屈める巨人がいます。この巨人が潰れてしまったら、出口も潰れてしまいそうです。
(3)北壁
西壁の水のエリアの、右側にあたる壁面です。
入口から入ったとき、振り向いた場所にある壁です。
(下の写真の左上端には、頬を膨らませて怒ったような顔でラッパを吹く白っぽい風の神が雲の中に見えます。この風の神は、先ほどの西壁の写真の右上に写り込んでいます。)
(図13)
人工的建造物のエリアです。
神殿のような建物の大理石の円柱が、折れて、倒れています。アーチが壊れ、崩れています。円柱上に水平に置かれる建材(エンタブラチュア)も壊れて、斜めになっています。レンガも壊れて、瓦礫と化しています。建物の破片の中で折り重なるようにしている巨人のほとんどが、上方を向いています。
この壁は、苦悶する巨人の一団と崩壊するモチーフが近景の中にぎっしりと詰め込まれていて、一段と圧迫感があります。奥行きはあまりありません。
中央下の開口部は、入口です。
(4)東壁
(図14)
火のエリアです。
というのも、左右に大きな窓(兼、外への出入口)がありますが、その間に、かつて本物の「暖炉」が設えられていたからです(中央下の少し黒っぽいところ)。
暖炉のすぐ上では巨人が仰向けにひっくり返っており、たくさんの石に潰されて身動きが取れなくなっています。さらにその上では炎が燃えています。
この壁は、入口から入って南壁を正面にした時、左側にある壁です。
(この写真の右端には、ギョロっとした白目の目立つ、岩に圧し潰されて身動きの取れなくなった巨人の顔が見えます。この顔は、南壁の左端に写り込んでいます。)
***
四方の「壁」と申しましたが、既に指摘した通り、上半分はドーム状を目指し、角を埋めるようにして滑らかな曲面で繋げられています。
下半分には、隣接する壁面の間に、90度の角が残っています。
(図15)
3.ヴァーチャル・リアリティー:視覚以外の仕掛け
まとめます。
壁と天井を一つの統一画面とし、そこに迫力あるギガントマキアの場面が描かれていました。
天井には、下から見上げる観者から見れば大きく渦巻く動態を感じさせるように、大きさの異なる円がずれながら重なり合って描かれていました。
またその円の重なりは、主人公のゼウスに視線が向かうようにも考えられていました。
これらは、視覚体験です。
実はこの部屋は、かつて、さらに別の仕掛けが加わり、他の感覚を刺激して、まるで「VR(ヴァーチャル・リアリティー)体験」の遊び場のように設えられていました。
ここから先は、視覚以外の感覚を刺激する演出について話を進めます。
(次回「32.螺旋(3)- ii 」に続きます。)
***
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。