田舎は優雅なインドの国々ではない。2. Parça
ちょっと以下のつぶやきについて考えてほしい。
内藤正典・同志社大学教授*2のことなので案の定一部の界隈ではプチ炎上していたのだが、私はここにトスカーナ分派とかジュラのエコロジスト((C)ウエルベック)のような浅薄さを見た。「都会にはない田舎の純朴さ」だの「地方の手付かずの自然」だのを求めて都会から地方に移住したり拠点をもったりして、そこでテレワークだの農業だの自然派子育てだのなんだのをやりだして都会の逆張りを始めてしまう。それでもいずれは、これまで先進国の都会で屋根と暖房と風呂とトイレがついた家でぬくぬくと暮らしては飯屋やスーパーだので金を払ってでしか日々の糧を得たことがないようなモヤシっ子の彼らが体感したこともないような過酷な自然の抵抗に止まらず、そんな都会人のやることや考えを理解しない現地の田舎者の攻撃も喰らい、地方に失望していくという散々見飽きたアレである。なぜか日本で数日前にバズった以下の記事の一家も、本人も流石にそういう逆張りこそしていなくとも、そうした悲劇に見舞われた例といえよう。
*2 東大本郷イスラム学研究室出身の郵便研究者・内藤陽介氏とはもちろん別人である。
ここで言ってやる。
田舎は優雅なインドの国々ではない。
お前らハングリー精神がない温室育ちの甘ったれどもが、生半可な発想で田舎に住もうと思うな。
今日のグローバル化した世界では、一国の大都市を先進国、その他地方を発展途上国と見ることもできるもの。ここで何も考えずに先進国に嫌気がさして「微笑み」「手付かずの自然」「緩やかに流れる時間」「物が少なくてもありのままの現状に満足して、足るを知る幸福な人々」だのを求めて、ブータンでもサモア島でもタイでもトルコでもアメリカ原住民の集落でもどこでもいいから、いわゆる途上国や「秘境」に住んで、いわゆる出羽守やバナナやミートパイどころか、現地や住民に違和感を覚えてもお茶漬けナショナリスト((C)三島由紀夫)になるまで引き返すこともできず「名誉現地人」にまでなって、その国や地域のダメなところを批判する人々に対して攻撃的になる人もいたりする。かの先生もトルコの現政権についてはそういう振る舞いをしてきていることは周知の通りだろう。
どうだい、これじゃ途中まで先程の地方でロハス志向のSDGsを目指すようなエコロジストと変わらんだろう。
*3
一度以下の記事の後ろ1/3位を繰り返し読んでみてほしい。
上記はタイに限らずネパール、ブータン、トルコやアラブ他「中東」一帯、日本国内でも沖縄、東北、その他どこかの限界集落や離島や地方都市以外にも、世界各地のどこでもいいから自分が住んでいる「ここ以外の」いろんなところどこでも言えるけどね…。
*3 まぁ、もちろん、日本限定でも田舎含め地方暮らしでも、いい意味で「名誉地方人」になる都会人や外国人もいないでもないが。(cf. 故C・W・ニコル氏、ダニエル・カール氏、ジョン・ギャスライト氏など)
で、こっちも別の拙稿で書いたがもう一度言ってやる。
田舎の素朴さといえば何でも解決するとでも思うな。
お前ら何もわかってねえ都会人が田舎を優雅なインドの国々に、そこの住民を高貴な野蛮人に擬えるから悲劇が起こるんだ。解るか。
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