賢しらぶる人が得をする時代
少し前に稲荷神信仰に関して調べ物をしていたら「荼枳尼天(ダーキニー)を祀っている稲荷神社は仏教系/大陸由来の稲荷神で偽者であり、少しでも関わったら恐ろしい代償がある。一方、ウカノミタマなど日本土着の神を祀る稲荷神社は神道系/日本古来の稲荷神なので信仰しても問題ない」という説を複数箇所で見かけた。本地垂迹とまではいかなくとも、神仏習合くらいは日本で生活していれば国内の宗教を語る面で外国人含め誰しもが知っているはずなのに、どうして日本人でそういうことをいう人がいるのかと不思議でならない。
このリンク先でも上記のような説を喝破してくれている回答者がいるが、ここで問題なのは、信仰は否定できなくとも宗教に対する忌避感やゼノフォビア/排外志向をうっすらと抱えている層の日本人に、こういった説を広めているスピリチュアルな商売人の存在である。完全に無知なクライアントに対して、本当であれば文字が読めて話が通じる人なら少しでも勉強したり調べたり信頼できる(これが難しいのだが)人に相談したりすればわかるはずのことを、どうも声の大きさと当の自分自身が無知なくせに賢しらぶって自身を権威づけるスキルと、聴衆の恐怖感に訴える話法とを使いこなす人が間違った内容で吹き込んでばかりいるのだ。昔からどこでもそうなのだろうが、近頃はそういう人ばかりが自身を賢く見せてトンデモを喧伝してカネを引っ掻き集めているのである。
別の宗教もとい思想になるが、少し前から「儒教は中韓の悪しき伝統宗教であり、日本は明治維新まで徳川幕府が儒学者を重用したために停滞していた」という説が日本の右派の間で流行っているようで、そういう解像度の荒い本が今ではいくつか出版されるようになってしまっている。どうせそのあとには「日本の葬式仏教も中国伝来の大乗仏教がベースで儒教の影響を受けている。もちろん(俺たちの理想の)原始仏教的ニヒリズムとか、せめて中世的な禅はそこにはない」とでも繋げるのだろう。
この手の話もまた先ほどのように「完全に正しいとは言えないことでも煽るように言うことでみんな信じてもらえる」というようなインフルエンサー=(正確には)アジテーターが、無知な聴衆に「教養」の名目で煽てて吹き込んでいることがよくある。ペダントリーもどきのなかでもこういうのは悪質極まりないが、これが煮詰まったのが百田尚樹『日本国紀』と言えよう。
こういった現象では、当たり前ではあるが、さらにアジテーターを賢者と錯覚した読者がその信者と化して崇拝し、投資することで養分がアジテーターに吸収される。これで負の連鎖が発生して真実や正しい知識が表通りからどんどん駆逐されてゆく。昨今の(もはや日本語版だけでなく英語版でもフランス語版でも何語版でもいいが)ウェブのあらゆる検索結果の質がSEOで失墜していくのと同じことが(もしくは、連動して)アナログ界でも全世界的に起きているのではないだろうか。
情報と智慧の大海の番人など最初からいないのだろうが、こうした頭も良くなく知識もないくせに賢しらぶる知ったかぶりっこどもが得をする時代が来てしまったことを深く憂慮している。とはいえ、「昔は良かった」とも言えないし、未来にも何も期待しない方が良いだろう。