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「地政学」と占星術

ここ5年くらい(もしかしたら10年くらい?)で「地政学」と銘打たれた本が書店で数多く出回っているようだ。中には『教養としての地政学』『14歳からの地政学』とかいう本もあったり、胡散臭いビジネス書にありがちな著者が腕組みをして仁王立ちをしている表紙の本もあったりして、正直そういうのは見ていて申し訳ないが失笑せざるを得ない。
で、この手の本を大抵読んでいる人は、中学高校の社会科や地歴公民の勉強をおさらいしておけばわかるようなことをも勿体ぶった言い方で聞かされて「こういう話を知っている俺って一般人より頭ひとつ出ているんだぜハハハ」という気分にでもなっているんだろう。

おまけにその手の何かの本にあった「地政学は戦後日本ではGHQによって禁止されていた」(=だからタブー視されている「真実」を知っている俺たちはスゴイ)という「江戸しぐさ」の顛末さながらの論説まで出てくる。たしかにこういうやつよりも、日本における社会学や心理学といった他の人文社会系学問を「欧州サッカーのような左派や海外通気取りに好かれる翻訳学問」と逆張りでバカにしながら、自分らの支持する当の地政学が日本ではハウスホーファー、マハン、マッキンダー他の翻訳学問であり、同じく国内の「地政学に明るい専門家」が欧米の猿真似でユーラシア-西アジアからロシアとか南東ヨーロッパまで-には着目するくせにアフリカや南米どころか日本国内(時期問わず)ですら対象にしないことに気が付かない人は往々にして見かける。が…こんな話を聞かされたら私も臍で茶どころかカスピ海を沸かせることだってできるわ。「ボクは陰謀論に対して冷静な立場にいます!」と主張しているのがこういうのを支持するのは興味深い。

さてふと気が付いたのだが、今日この「地政学」と呼ばれるものは、今日でも信じられている占星術、特に国家や国際政治の局面を占うのに使われる「マンデン占星術」と似たような胡散臭さを感じてしまう。
全ての争いを大国や大勢力の均衡関係で推し量ろうとするリアリストを気取るために何でも使うのなら、占星術だってその肥やしにはなるだろう(事実「金融占星術」というジャンルの占星術だって存在するのだ)。ちょっと前なら司馬遼太郎の小説を読んで「リアリズム」とも評されるらしき彼独自の「司馬史観」という何かに被れ、ストラテジストや軍師を気取っていた人がよくいたような気がするが、それと対して変わらん。
(余談だが、司馬遼太郎や塩野七生とかの作品を読むこと自体は悪いことじゃないと思うが、それを史実として、つまり作品を文学作品ではなく「歴史書そのもの」として捉えるのはいささか危険だと思う。むしろ両人の作品ともに今では批判の対象として、大いに人文的・社会的批評が加えられるべきものだと考えている)

で、地政学と今日本で称されている物の何がダメかって、21世紀になっても世界中で起きる紛争の原因を何でも大国同士の利害関係に持ってこようとする短絡さと、それを勿体ぶって語って「巷の人間が知らないことを知っているあなたはいち抜けてすごい」と思わせる商法のような怪しさにあると思う。
過去にはサッカーの試合の結果で戦争が起きた地域だってあるのだから、何でもかんでも大国の利害で片付けられるわけではない。もっとも、これはトップにいる将軍ではなく前線にいた兵卒や戦災に巻き込まれた民間人のナラティブばかり聞いて「これが戦争か」と学んできたわたしだからそう思うんだろうけど。

とにかく「一般人でもわかる~」「教養としての~」というタイトルで何も知らない読者を釣って「読者のボクは特別だ」という意識を植え付けるような学問には気をつけましょう。

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