不登校の子どもに新しく「頑張ること」を勧めるなら、しっかりと回復してから
中学生になった長男は、小3から不登校気味(小5から完全不登校)。当時保育園の年中だった次男も登園拒否になり、そこからほぼ学校には行っていない(いま小3)。
ただ、ここのところいろいろな変化があったので記しておきたい。私の基本スタンスも含めて。
安全地帯を作りつつ、その先のアクションを提案する
不登校児のざっくりステップ
不登校にはある程度のステップがあると思う。細かくはもちろん人にもよるが、うちの場合は下記のような感じ。
学校へ行けなくなる。行きたくなくなる。
登校しないことに罪悪感。不幸感がある(マイナスの感情)。
登校せずに毎日をダラダラ過ごす。楽なことだけをやる(不幸感がやわらいでいく。マイナスが徐々にゼロ地点へ)。
少し外に目を向ける。怖くないことならやろうかな、という気持ち(ゼロからプラスへ)。
少しやってみて上手くいったら、もっといろいろやりたくなる(プラスが増える)。
もちろん、ここに行きつ戻りつがある。「4」のやりたいことが現れたと思ったら、すぐに飽きて元のダラダラ生活に戻ってしまう。
また、ダラダラ生活がなく、すぐに学校外の楽しいものを見つける人もいるだろう。
さらには、最近は世の中の価値観が変わりつつあるので、もともと罪悪感や不幸感のない人もいるかもしれない。
でも「2」や「3」の状態でとどまっている人は多いのだと思う。不登校児の話を聞くと「いつも『死にたい』と言う」「家庭で荒れている」などと聞くから、子ども自身のストレスがとてもとても強いのだろう。
安全地帯を作る
世の中の不登校児向け、その親御さんの記事は、「1」~「3」の状態の子どもを対象に「回復」に特化している場合が多い。もちろん、それは非常に重要なことだ。
私の考えだけれど、その時に必要なのは、子どもの安全地帯を作ること。
「生きているだけでいい」と思える場所を作ること。学校へ行かず、外の人と会いたくないと考えている子どもにとって、それは家庭になる場合が多いと思う(もちろん、家庭以外で出会えたら最高)。
安全地帯を作るために、私が心掛けていること。完璧にできているわけではないけど、こういう感じ。
子どもをコントロールしようとしない
「頼みごと」があれば、正論やルールではなく、親自身の「気持ち」を伝える
子どもが「嫌だ」と言ったら受け入れる
親自身に落ち度があったら謝る
子どもが「聞いてほしい」ことをよく聞く(親が「聞きたいこと」ではなく)
「1」の結果、子どもの生活が昼夜逆転したり、部屋が片付かなかったり、ご飯もろくに食べなかったりすることになり、結構つらい。自分がダメ親なような気もするし。
そんなときに、「2」を発動する。私の場合は「ご飯は一緒に食べたい。別々に食べるのは『ママが』寂しいから。食事中のスマホもやめてほしい。『ママが』一緒に話したいから」と、伝える。
我が家の場合はそれで「わかったよ(仕方ないなあ)」と言ってくれたが、それでも嫌だと言われるかもしれない。そうしたらひとまず引き下がる。でも、また別の機会に同じように(声を荒げずに)言うのだ。「やっぱり、食事は一緒にしたい」というように。
でも、声を荒げてしまうこともある。そういうときには「ごめんね」と謝る。「だって何度言ってもわからないからでしょう?」と正当性を主張してしまうこともあるが、その理由だとしても、声を荒げる必要はない。普通に言えばいいだけだ。だから、「普通に言えばよかった。きつく言ってごめんね」と、声を荒げたことだけを謝る。
子どもの話は、親が聞きたいことを聞こうとしている場合が多いと思う。その結果、子どもは何も話さなくなっていく。子どもが話したいのは、自分が夢中になっているゲームやYouTubeのことだったりする。それを聞けるかどうか(私はそれほど得意ではない……)。でもそのことが、子どもと親子のコミュニケーションをよくしていくのだ。
親が仕事で忙しい場合もあるだろう。ちょっと宣伝になってしまうが、こんなサービスを作ったので、安全地帯づくりに活用していただければと思う。
次のアクションを提案する
安全地帯をある程度作れた実感があり、子どもは大きな不満なく毎日を過ごしている場合、「停滞期」ともいえる状況になる。
「3」の状態の頃だ。この時に何をすればいいのか、なかなかヒントがない。
学校や自治体が用意してくれる支援は、基本的に「学校に戻す」というスタンスであるように思う。これは自治体にもよるし、これから変わっていくだろうけど、今時点の私の肌感としてはそうだ。
「資質的に公立の小中学校が向いていないのではないか」という場合、次なるアクションが必要となる。
以前、こんなnoteを書いた。
そう、世の中にある「不登校の記事」では間に合わなくなってくるのだ。
この時に、もう一度これ(↓)を発動しながら、いろいろな提案をするのがよいと思っている。
もしかしたら、子どもの年齢によっては「子どもが勝手に見つける」のかもしれない。
「子どもを放っておいて、必要なものを自分で学習するようになるのか」という命題はずっと気になっていた。ある書籍で「こういうことだよね!」という考えに出会えた。
それは『ライフロング・キンダーガーテン』という書籍。これは、ビジュアルプログラミングのソフトScratchを作ったマサチューセッツ工科大学(MIT)のミッチ教授が書いたもの。
「プログラミング言語を作った人だなんて、頭の硬い人が書いているんじゃないか。アカデミックで、ロジカルで、ドライで……」なんて少し想像していたが(ごめんなさい)、そんなことはなかった。むしろ真逆だった。しかもロジカルだった。最高。
非言語で感じていたこと、ぼんやりと大事だと思っていたこと、子どもの無限の可能性と限界、そんなものがとてもあたたかく、希望に満ち溢れて書かれていたのだった。(世界トップレベルの人が言うことは段違いにすごい! と、とにかく感動したのだった)
その本には「学校教育はいまだに変わっていない(変わらなくてはいけない)」と主張されていた。アメリカの本なのに! アメリカですらそうなのだ。
本の中には恐ろしい量のマーカーが(私によって)引かれることになったが、「こうハッキリと言ってほしかったのだ」と感じたのは以下の一節。
その支援の方法(というかちょうどいい塩梅)がとてもとても難しいのだが、それについても多くのボリュームを割いて書かれており、何度も読み直す必要がある。読んだだけではできるようにならないからだ。
話は少しずれてしまったが、私は子どもたちを放っておくのではなく、ダメもとでいろいろと提案することにした。「嫌だ」と言われたり、食い気味に(そしてなぜか得意げに)「やらない」と言われたり、始めたものをすぐに辞めたりするが、それでもめげない(怒らない)メンタルが必要だ。
ただ、子どもに提案するための情報がなかなかな見つからない。だから、情報提供するPodcastをスタートした(これも宣伝ですみません)。目的の半分は自分のため。
今現在は「SOZOW」さんだけだが、毎月いろいろな人たちにインタビューしていく。
子どもたちがいまやっていること
その結果、いくつもの「やりたくない」を受け止めたものの、今子供たちがやっていることがいくつかある。
基本的には日中の多くの時間はゲームとYouTubeに費やしているが、それ以外の活動も少しずつ始めている。
長男(中1)はスマイルゼミとN中等部
まず、長男の睡眠サイクルはいまだにぐちゃぐちゃだ。10時間寝て、20時間くらい起きている、というサイクルをイメージしてもらえればよいと思う。日によってバラバラなので規則性が読めないのだが、そうして彼の一日は他の人より長くまわっている。つまり、翌日以降に起きている時間がわからないため、予定がめちゃくちゃ立てにくい。これに関しては、クリニックに通って相談している。
そんな彼は、半年ほど前からスマイルゼミを始めた。放っておくとやらないので、一緒にいつやるか相談し、ご飯の前に「ごはん食べたらやろうか」と私が声をかけて、食べ終わったらやる。1日に1回、数分だけだ。最近は声をかけなくても自分で覚えているようになった。
中学生になるにあたり、「N中行こうかな」と言っていたので、ネットコースに申し込んだ。睡眠サイクルのこともあり休むこともあるが、ひとりでそれなりに授業を受けている。
「数学がやりたい」と言っていた彼は、公立中学校の担任が数学の先生で若く、その先生が丁寧に子どもと対話してくれることもあり、中学校に「たまに行ってもいいかな」という気持ちになっている。
あとは、料理をしている。うどんが好きで、だしを取って自分で調味料を入れる。「しょうゆの代わりに塩を入れてみたらどうなるか」みたいに実験しているらしい(夜中に)。
運動をしていないので、それが課題だが、たまに散歩やジョギングをしたい気持ちはあり、私の時間が取れるときには一緒に行ったりする。
次男(小3)はスマゼミとリタリコワンダーとゲームdeコーチング
長男同様、スマイルゼミをやっている。声のかけ方も一緒。
毎週1回、リタリコワンダーのオンラインコースに参加している。もともと、iPadでScratch Jr.をしたり、NHKの「Why!?プログラミング」を見ながら私と一緒にScratchをやったりしていて、「プログラミングは得意そう」とは思っていた(アルゴリズムの理解が早い)。リタリコワンダーは、1回体験してみて、「まあ、やろうかな」と弱い動機だったようだが、継続していくと毎回結構楽しそうにしている。今は自分のアイデアをふんだんに盛り込んだオリジナルの格闘ゲームを作っている。
ゲームdeコーチングもやっている。プログラミングスクールでちょっとうまくいかなかったときも「楽しみ」があるからいいみたい。
彼も料理をする。切ったり測ったりするのが好きで、仕込みを担当してもらっている。私が煮たり焼いたりする係になると分担できて1品増やすのもラクだ。
運動は、自治体のスクールソーシャルワーカーさんが取り計らってくれて、1~2週間に一度、教育センターや学校で取り組んでいる。あとは、家族で区民プールに行くことも。「散歩したい」と思っているようで、一緒に行くこともある。外に出るまでが面倒らしいが、外に出ると走り出す。
お出かけも、長男と比較すると割と積極的に行く。
人と比べず、子どもに合ったものを
毎日何もしていなかった時期が嘘のように、いろいろ取り組んでいる感じがする。学校に行っている人と比較するととても少ないが、ほとんど気にならない。
「これだけいろいろやっていれば上出来」という気持ち。
でも、「お金」は必要だし、親が付き合う「時間」も必要。もちろん、子どもの「適性の見極め」は大前提。
学校の一斉教育と違い、家庭によって提案できることとできないことがある。それに、子どもによって合うものは全く異なる。
だからやはり、親はいろいろと情報収集したほうがいいし、子どもをじっくり観察したほうがいい。
改めて、ちょっと宣伝です
ここまで書いて、自分がやっていることは、自分が欲しいもの(必要なもの)だったんだ、と思ったので、改めて宣伝します。
「ながら聴き」で情報収集
重ね重ねにはなりますが、『クリフト』で情報発信していきます。
6月には、利用者に費用はかからないというカタリバさんへのインタビューも予定しています。
親の時間が取れなくても、子どもの心の安定に
あと、「親御さんの時間が取れない」「子どもが引っ込み思案」というご家庭も、『ゲームdeコーチング』なら子どもだけで楽しみながら安全地帯を作っていけると思います。
ゲームというのは、驚くほど子どもの世界観が充満している場所で、セッション後のレポートにより、子どもの特性もすごくわかったりします。
子どもに寄り添い、味方になる
子どもの適性を見極めるには、子どもに寄り添うことが必要だと思っていて、単発でも参加できるワークショップを開催しています。こちらも自分が欲しいサービスで、おすすめ。
もう第1回はスタートしてしまいましたが、全7回のうち、単発でも参加できます。毎年やるつもりなので、その下見(お試し)としてもご検討いただければと。
最後に、私のツイッターはこちらです。フォローしてもらえると嬉しいです。