言葉は平和への礎
わたしの note のホーム(トップページ)には、まだフォローしているクリエイターさんが少ないのもあって、はじめましてのいろんな方の記事が並んでいる。
「情報を得ることの難しさ」「情報の断面から判断しないことの大切さ」
「我々が接しているのは情報のほんの一部でしかないこと」
最近「情報の扱い方」とも言える記事にいくつか出会った。
実際に、この事実を理解し、意識している人は少ないと思う。
誰に向けたわけでもない、
あなたの何気ないひとことに傷ついている人がいるかも知れない。
このことを頭の片隅に置いておいてほしい。
ここでひとつわたしの体験談。
わたしは大学でインドネシア語を専攻していたから、自然とイスラム教にも馴染みがあった。
大学在学中、イスラム教過激派とも言われていたISISの活動が活発になり、様々な国の人が人質に捕らわれ、殺された。
日本人が人質になった事実も相まって、テレビでたくさん報道され、世間でも周知される世界的大事件となった。
そんなとき、同じ大学の学生から信じられない言葉を聞いた
「イスラム教って怖いよね」
きっと明確な悪意はなかっただろう。
それでもわたしの大学には、イスラム教の留学生もいたし、大学側でもハラルフード(豚肉やアルコールが使われていないイスラム教が食べられ る食事)を提供したり、お祈り場所を作ったり配慮が感じられた。
"イスラム教徒"と"イスラム教過激派"と呼ばれる人たちは、まったく異なる。
当時、あちらこちらでイスラム教が怖いという言葉を聞くたびに悲しくなった。
イスラム教徒のなかには、穏やかで優しい人も多い。
イスラム教徒と言っても国が違えば、信じる形もちょっとずつ違う。
世間の感情を煽るような表現で、一部の側面を大々的に報じていることも少なくないけれど、
だれかを悪だと凶弾する前に考えてみてほしい。
わたしの周りはよく、「あそこの学生さんは」とか「〇〇人は」とか
なにかと集団で"ひとくくり"にしたくなることが多いようだ。
でも考えてみてほしい。
外から見たときに目立っている人は、その集団の10%にも満たないということを。
最後に、
わたしが大好きな卒業校の建学理念を紹介する。
言葉は世界をつなぐ平和の礎
Languages are the foundation to link the world in peace.
せっかく人に与えられた言葉。
豊かな日本語を知っているわたしたち。
言葉は、だれかを傷つけるためではなく、
だれかを、あなたを幸せに近づけるために
わたしは使いたい。
見出し画像引用元: Creative Commons