見出し画像

冒険家族

 マチュピチュの雑踏の中でひときわ際立つ大阪弁。
見ると、低学年かな?という感じの男の子2人を両親がコテコテの関西弁で制しながら、入場の列に並んでいる。

 マチュピチュ。
一生に一度はと言いつつ、訪れる日本人はごく少数だろう。
そして、来たとしても、おそらくはツアーだろう。

それが、ツアーではなく、ガイドさんもついていなさそうな子連れの一家。


ツワモノダ。


13年前の私は、心の中で「すげー」を連呼していた。

 大人の自分だけでもここまでたどり着くのは大変だった。
ペルーに着いてから更に国内線、マチュピチュまで高山病に気をつけながら、長距離のバスや電車を乗り継ぐ。
マチュピチュに昇ってくるバスだって、日の出前に出発だ。
それを、子供の面倒を見ながらって、想像の域を超えてる。
そもそも、ここは英語圏ですらない。

 初めてのバックパッカーとしての旅で見かけたこの家族の存在が、おそらく私の中の限界を一つ消した。


 そんな訳?で?

 その2年後にはオーストラリアの山の中に1歳児と共にいた。
相方の皆既日食撮影のキャンピングカーでの旅に同行。

やってみた感想。
血反吐を吐けそうだった。

オーストラリア皆既日食撮影地にて

 でもその数週間後には、当時住んでいたニュージーランドで国内線とはいえ、息子と2人で海を渡り、知らない土地でレンタカーを運転して次に住む家探しの旅をしていた。
きっと、「大変さ」はさほど変わらなかったと思うけど、あの、オーストラリアよりよっぽど楽だった。

慣れとは恐ろしい。

 
 引っ越してからは、リコッタパンケーキが食べたい!!という理由で、オーストラリアまで息子とふたりだけで国を超えたフライト。

本家のリコッタパンケーキは質素だった



 旅の玄人の相方が連れて行ってくれる先は、世界一幸せな国バヌアツ共和国だったり。

バヌアツの屋台で買った鶏の足にむしゃぶりつく3歳児

 日本にも私と子供で毎年帰省。
子供は2人ともニュージーランドで産んだので、産後ひと月から帰省してた。 
 フライトの極意は、CAさん達に子供を預けまくる事。
遠慮は不要、外人さんからしたら、日本人の子供はお人形さんみたいで可愛くてしょうがないらしいから。
子供達も、物心つき始めると、CAさんのところに行きクッキーをもらってきたりと、うまくやってる。

席が空いていれば2、3席使って寝かせる

 子供が2人になりハードさも増したが、度胸もついた私は、アメリカの皆既日食撮影に同行を決めた。
数年前の悪夢を、そのアメリカの旅で塗り替えることができた。
キャンピングカーでの旅も楽しめるようになっていた。

撮影を大人しく見守る息子

 その後、日本に帰国したのだけれど、息子の入学式に間に合わせたくて、これまた私と子供達だけでの帰国。
 3人の引越し荷物を抱え、トランジット2回は流石にヘロヘロだったけれど、那覇空港についた時に、空港職員さん達がどっと手伝いに走り寄ってきたのにはびっくりしたなぁ。
 走り回る子供2人に、山積みのカートと更にスーツケースとかだったから、職員さん達の方がきっと驚いたんだろうね(苦笑)

この荷物だけで日本での生活開始


 そこから国内でも2度海を渡る引越しをして、そして来年はニュージーランドに戻る予定。

 そうそう、日本に帰国してからも、かろうじてコロナ前に母子旅行しました。
 カンボジアアンコールワットへ。
これまた深夜のトランジット付きでしたが、相方の撮影の同行ではなく、ホテル泊だったので気軽身軽だったなぁ。

石段が足の長さでもどんどん登る3歳児

 さて、今更ながら主だった子連れ旅行遍歴をあげてみたのは、先日の華愛さんの手相鑑定で執筆を勧められたから。
お題は「冒険家族」?「冒険家家族」??そんなん。
 
 マチュピチュにはまだ行けていないけれど、もはや立派にツワモノ入りしていることを自覚したので、それぞれの旅のエピソードを綴ってみようと思います。
 
 エピソード?ネタ?それぞれの旅ごとに1冊分はしっかりあるなぁ。

 あ、先に結論だけ。

可愛い子は連れて旅せよデス。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?