<おとなの読書感想文>ゴールディーのお人形
小学校の図工で作った陶芸の作品が、何かの賞に入選したことがあります。
愛嬌のある青い猫の置物で、今も実家の玄関にでーんと座っています。
印象深かったのは、わたしが休み時間に図工室の前を通りかかった時のことです。
どこかのお母さんが、何気なくわたしのその猫を見て、よしよしという風に優しく頭をなでたのでした。
ちょっとしたことですが、入選したことよりもむしろ鮮やかに覚えている光景です。
「ゴールディーのお人形」
(M.B.ゴフスタイン 作 末盛千枝子 訳 現代企画室、2013年)
初めて読んだゴフスタイン。
名前は聞いたことがあったけれど、E.ゴーリーと混同していたフシがあり(「ゴ」しか合っていない、あとモノトーンってことか)、全く味わいの違う作家であったなあとしみじみ納得したのでした。
ゴールディーはたったひとりで木のお人形を作っている女の子です。
亡き父母から引き継いだ仕事ですが、職人としての信念は両親より一段と強いのです。
お人形を作りだすと食べるのも着替えるのも寝るのも後回しになるほど、集中します。
「小さな人形に責任がある気が」して、その子をほっぽり出して寝るなんてことはできないのです。
お人形の手足に使う木材は、自分で良いと思う枝から削り出さないと気がすみません。
大工のオームスが木っ端を譲ってくれると言っても、「生きているような気がしない」から、四角く切ってある木は使えないのです。
彼女の作る愛らしい人形に、日々多くの注文が寄せられます。
「(略)気の毒にあんたの両親は、これほどじゃなかったよ」
「そうねえ、両親は私ほどこの仕事が好きじゃなかったかもしれないわね。(略)」
そんなゴールディーでも時に心が揺らぎ、悲しくなることがあるものです。
思い切って手に入れた美しいランプ。
意気揚々とオームスに見せますが、そんな高価なものを買うなんてとても正気とは思えないと言われてしまいます。
自分の審美眼や、はては生き方まで否定されてしまったようで、落ち込むゴールディー。
しかし泣き疲れて見た夢の中で、まだ出会ったことのない誰かと出会うことができたのです。。
自分の感性を守り信じ抜くということは、なんと難しく孤独なことかと時々思い知らされることがあります。
でもゴールディーの人形や美しいランプのように、会ったことのない誰かのために一所懸命作ったものには、必ず特別な力が宿るはずです。
あの日図工室の前で、「その猫を作ったのはわたしですよ」とはあえて言いませんでした。
「ゴールディーのお人形」を読んで感じたふくふくとした幸福感は、あの時抱いた気持ちと似ているように思います。