「体育会系調理補助1」
私は、2年前からある病院の調理補助をしている。その間いろいろな事があった。私の本採用、後輩のクビ、会社の縄張り競争、店長の交代、そして、私の大ミス……。その後もいろいろある。指導者の脳挫傷、そして もう1人、癌によって また1人 この世を去っての戦線離脱……
この間、私は大火傷をした。と言っても 範囲は狭いが。指を3本、1本はケロイドになりそうだ。人差し指は直径2センチの火傷で、大きさはそんなでもないが ケロイドになりそうなので「大火傷」である。ケロイドになりそうと気付いてから、私はひそかに泣いた。けれど、私は その次の日職場に行って 決心をした。「ここのパートを身体が続く限りする。今、パートを引っ張っているのは、76歳のM坂さんだ。いつまでも現役でない。私はその次に古い。いつか、みんなを引っ張る重鎮のパートにならなきゃ」私は、その時すでに調理補助では、ベテランの域に入っていた。
2年前の、初春。ポストにあるチラシが入っていた。「調理補助募集。週2〜3日。4時間から」募集先は家の近くの脳外科病院だ。
ある理由で、私は自宅療養をし、結婚をしてからこの土地に来た。そして、1年位経ってからだろうか、そのチラシを見た。
私は働いてみたかった。前々から社会に出て働いてみたかったのである。しかしある事情で長い間それが出来なかった。
私は、さっそく夫に相談した。
「働いてみてもいい? 」
「うん? 先生に相談して、大丈夫ならいいよ? 」
私は、主治医に相談することにした。私の熱意に負けたのか、
「週2日、4時間をしっかり守って それ以上は、なんと言われても 働かないで下さい」
私は、心躍らせて そのパートに応募した。
つづく
画像は、MIDORIさんの
「冬のソライロ」です。
有難う御座います🍀
©2021.1.29.山田えみこ