「体育会系調理補助(演出台本)」(第2話)〜嫉妬〜
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今回こちらからの対比、現在へ
今朝の相方の調理士は、イワさんのつもりで家を出たのに、今日は、清水さんだった。
この頃の私と清水さんは、とても微妙な感じになっていて、私としては、その変化が面白いのだが、面倒臭くもあった。
一時期、私は清水さんのことが好きだった。
清水さんは、出来ない私をいろいろフォローしてくれるし、面白い冗談もいう、頭もいい、それに顔がそんなにいい訳でもないのが気に入っていた。私は、ハンサムすぎる人が嫌いだし、鼻にかける人も嫌いだし、気を遣わせる人も嫌いだった。
清水さんは、最初、一言も喋らないで作業をしていたのに、私のことを、じつは面白い個性のある子だと知ると、途端に気を許して話しかけてきた。よく冗談をいい、ふざけ合っていた。
その清水さんは、ある時から変わってしまっていた。
会社の人たちに私と清水さんの仲をしつこく疑われたのである。
清水さんは、元々酒屋の息子で、評判を悪くするとどういうことになるか、親から口をすっぱくいわれてきたはずである。おまけに、占いの好きな私が、清水さんを占うと、もの凄くまじめな木星人(六星占星術)。血液型だって、まじめな血液型だったはずである。
それとなく、私は心の中で清水さんを応援していたのであるが、清水さんには、それが届かず、疲弊していったようだ。
清水さんも、イワさんも、私がこの事業所に来てから二度目に変わった会社の社員だった。
会社に向かうと、事業所の所属病院ーーうちの会社は、このH病院に食事を提供しているーーの駐車場に、清水さんの車が停まっていた。いつもの場所、いつもの様に、いつもの佇まいーー黒い、大きめのバンで、私は車のナンバーまで憶えていた。
(あ、今日は、清水さんか)
この頃の清水さんの、心情は読めない。行動パターンもだ。穏やかだと思うと、酷く、しかも私にだけ、冷たく厳しい調子で怒鳴りつけたりする。もの凄く安定していないのである。
ただ、一貫して解ったことがあった。
清水さんは、嫉妬や妬み、羨望、意地悪の中で育ったということ。
清水さんは、中高一貫校の有名私立中学を受験して受かり、大学までそのままエスカレーターだった。電車で通っていたというが、羨望の目で見られることも、嫉妬の目で見られることもあっただろう。
私も、それは分からないでもない。
私も、かなりな進学校へ行ったが、制服が近隣の中学校と酷似していた為にそんなに嫉妬や敵意は向けられなかった。
むしろ、その高校の卒業生が近所の商店街などにたくさんいた為、文化祭などでダンボールを集めに行くと大歓迎されたくらいだ。
そこはかとなく、私はそれが分かっていた。清水さんが、妬みや嫉妬の中で育ってきたということ。
しかし、反発もある。私だってそうなのだ。小学校、中学校の頃は、成績がいいからと、妬まれ、嫉妬され、上げ足を取られ・・・。だからこそ、相手を同じ目線で見なくちゃならないのだ。同じ目線で。
決してかっこつけないで、フレンドリーに、謙譲の美徳を持って・・・。
(さみしいのは嫌。いくら頭がよくたって、ハジかれたら長くはもたない。しかも、それで、おまけに「性格が悪いんだ」と、ひとには言われる。なにも知らないのに。私は、子供の頃、テレビを観せてもらえない日々があった。だから、友達と話が合わなくてハジかれた。それを、知らない人は私の性格が悪いんだという。成績を鼻に掛けてるんだという。だから、人との折り合いがつく方法をずっと探していた。「なぜ、あの子は仲良く話せるんだろう、なぜ、あの子は仲間に入れてもらえるんだろう」って)
この調理補助の話を書き始めたときにはまだ分からなかった。けど、仲良くなれる人は、相手を認めているのだ。興味を持っているのだ。気持ちを解ろうとしているのだ。話すこちらの気持ちより相手の気持ちを考えているのだ。そして、なにより、相手を「善き人」と信じていて、疑わないところもある。
その「芸当」が出来るには、旧くからの友達、Pやみきちゃん、親戚のおばちゃんたち、夫などとの交流がとても薬になったのである。
「自分が、すでに信じている人達と同様に扱うーーー」
それが、その後の私の社交術となって定着しつつあった。
そして、清水さんーーー。
つづく
画像は、
北岡たちき/マズロー研究家・電子書 籍作家さんの
「アイキャッチ画像に使えそうなイメージ画像【みんなのフォトギャラリー用】」です。
いつもありがとうございます。
そして、シナリオを書くことを勧めてくださり、ご指導くたさいます まねきさん、とてもとても有難う御座います。