#2 夢を与えられたこと、ありますか?
「将来はテレビを見ている人に夢を与えられるような女優になりたいです」
言ったあと舌がざらつくのに、習慣でまた言ってしまった雑誌のインタビューでの自分の言葉を、控え室で髪を直してもらっているときにつぶやく。
「なんか言った?」
「“夢を与える”って言ったの。ねえ、この言葉ってきたならしくない?」
「そんなことないわよ、限られた人にしか言えない、最高の言葉よ」
(中略)
「さっきの話だけど、たとえば農業をやるつもりの人が“私は人々に米を与える仕事がしたいです”って言う?」
「まあ、聞いたことはないね」
「でしょ。そう、“与える”っていう言葉が決定的におかしいんだと思う。お米は無理で夢だけが堂々と“与える”なんて高びしゃな言い方が許されてるなんて、どこかおかしい。大体この場合の“夢”って一体どういったものなのか、まだ分からない。いままで散々言ってきたけれど」
綿矢りさ『夢を与える』より
日々の中で感じていたことなのに、それを言葉に出来なくて、歯痒いと思った経験が何度もあった。
何となく感覚的に「違うな」と思ったのは、こういうことだったのかもしれない。
インターネットを当たり前に利用するようになってからというもの、高飛車な言葉を目にする機会があまりにも増えてしまった。
最早それが「高飛車である」と分からなくなってしまうほど。
高飛車な言葉、高飛車な人からは、決まってエネルギーを吸い取られている。
しかも、こちらが気づかぬうちに。
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