迷子
「どんな時にも人生には意味がある。未来で待っている人や何かがあり、そのために今すべきことが必ずある」ヴィクトール・E・フランクル
フランクルは、ナチスの強制収容所を生き延びた心理学者であり、上記の言葉は、その時の体験を記した「夜と霧」の一説です。
強制収容所で過ごしていたフランクルは、人間には意味ある人生を希求する「意味への意志」(Will to meaning)があるとしました。
意味を求めているが故に、人は人生がうまくいかなくなると「こんな人生に意味があるのか」と虚しさを感じ生きる気力を失っていきます。時にその虚しさは、人を死に追いやることもあります。これに対して、フランクル心理学(ロゴ・セラピー)は「人生の意味」を発見する考え方を提示してくれます。
フランクルは、強制収容所から出た後の目標に人生の意味を見いだし、生きていたのです。
さて、それから考えると、私たちはなんとも自由に自分の人生を送ることができています。
けれども、どうでしょうか。
自分の人生なのだから、好きに生きていいはずが、なにがしたいのかがわからずに迷子になっている人がたくさんいます。
贅沢な悩みです。
本来なら、選択肢がたくさんあるのだから、喜ぶべきことを嘆いているのですから、人間とは、本当に不思議な生き物です。
でも、なにがしたいのかわからない、も、未来から見れば、あの時に悩んだのは今、この時のためだったのか、と、自分の都合がいいように、意味付けがなされるのでしょう。
どのような結果になったとしても、結局はどう意味付けするのかが重要なのです。
そう考えると、悩む意味はないように思えます。
何を選択しても、同じなら、感情は横において、メリットとデメリットだけを紙に書き出し、そこで一番条件のよいものを選択してみてはどうでしょうか。
もちろん、悩みたい方は、じっくり悩んでください。
悩む時間を心地よいと言う人もいますから。