見出し画像

建前や世間体じゃなくて、本当の気持ちを正直に伝えてほしい

ここ最近、褒められる機会が増えて、とてもびっくりしている。
褒めらるというより、素直な感想を言葉にしてきちんと私に伝えてくれる人が増えてきた…ということかな。

建前や忖度で言っているのではなく、心からの感想をスッと言葉にして伝えてくださるのが、ハートでジンジンと伝わってくる。
そんなとき、私は「こんな風に受け取ってくださったんだなぁ」とすごく嬉しいし、とても勉強になる。

というのも、今までの私を振り返ると、褒められたことがあまり無くて、どちらかと言えば「ダメ出しされる」か、もしくは「ふーん」とスルーされることが、とても多かったからだ。

先日も、今月末の作品展に向けての研究会があり(今年から地元の書道会のメンバーに入れてもらい、その会の研究会の初参加の日。)、自分が書いた作品を持っていって見てもらったのだけど、そのとき、他の先生方から
「カッコいい!」
「パンチが効いてて、パッと目を引くね!」
「いいわ~!」
と褒められて、すごくビックリした。

何十年ぶりに、本当に久しぶりに書いたので、客観的なご意見が欲しくて見てもらったのだけど、そこで私の作品についてのご指導や細かい指摘は、当然いろいろ受けた。それは当然のごとく非常に重要かつ必要なアドバイスなので、勿論ありがたく受け取ったのだった。


でも、その上で、上記のお褒めのお言葉…。
それも、先生方のハートから自然と溢れた感想だったので、私は驚きながらも素直に受け取った。心がほっと緩んで緊張が溶けていくのを感じた。

実は書き上げたとき、自分の作品ながら「カッコいい」と感じたので、同じ感想を持ってくださったことが、(すごく自分への自信に繋がって)素直に嬉しかった。この会に入ってよかった…と思った。

それ以外でも、様々な場面で、私が書いた文章が好きだといってくれる人、私のスタイルが良いと褒めてくれる人、私のありのままの姿を肯定的に受け止めてくださり、それを「良い」と言ってくださる人が出てきて、とても嬉しく感じている。

なんだか人生の風向きが少しずつ変化しているような感じだ。

ここで、ふと「自分の今まで」を振り返ってみた。

そこで、あっ!と気がついたことは、
自分の気持ちを素直に表現できる人
…が、私の周りに増えてきたんだなぁ、ということだった。

逆を言えば、
自分の気持ちを素直に表現することができない人たち
…に囲まれて生きてきたことでもある。

確かに今までは、自分の気持ちを素直に表現できない人たちに囲まれて、左脳的な判断のもと、常に批評・批判・品定め・監視・干渉されてきたよなぁ…と思う。

こういうタイプの人たちって、自分の意見を言わなくてはいけない場面に遭遇すると、なぜか舅根性・姑根性を発動させて、上から目線な感覚で、自分の主観を押し付けるような意見をネチネチ言うことが多い。そして、大抵の場合、問題点を見つけ出し、それを批判して伝えることが、「自分の感想や意見を素直に伝えること」だと勘違いしている。

良いとか、好きとか、気に入ったとか、素敵とか、云々。そんな自分の好意的な気持ちを伝えることも、大切な「感想」であるのに、そこを司る感性が壊れて全く作動しない…というパターン。

そして、こういう人たちは、もしも、自分がその道には素人で何をどう言えばいいのかわからないなら、素直に「わからない」と言ってくれればいいものを、それではプライドが許さないのか、とにかく自分の弱味を見せられないと隠したがり、代わりに必死になって人の粗探しして、見つけた粗を得意気に話すのである。

それで相手がどんな気持ちになるか…は一切気にせず、自分の体裁と立場を守るために他人を踏み台にして、容赦なく批判や批評を浴びせ、自分の方が立場が上であることを誇示してくる。

自分の素直な気持ちを表すことは、立場も体裁も関係なく、一個人として素直に自分をさらけ出して表現するだけのことだ。

でも、プライドか高く、世間体を気にするタイプの人たちにとっては、自分の気持ちをありのまま表すことは、丸腰の裸になって敵に急所を見せびらかすようなものらしい。

だから、怖くてできないのだ。代わりにガチガチに理論武装して、相手を打ち負かす方へ突っ走る。

正直なところ、私は、こういうタイプの人たちにすごくうんざりして、世の中に失望していた。

ちなみに、私より上の世代(団塊の世代からその上の高齢者世代。バリバリの昭和世代。)にそういうタイプの人が多い。

昔、私が若かった頃は、私より上の世代の絶対数が当然のごとく多かったから、嫌でも年上世代の価値観に従わざるを得なかったけど、今は私も50代突入で、上の世代がどんどん減っている。(寿命がきて順番にいなくなっているw。)
だから、昔と比べたら、上からの同調圧力の圧も減ってきているし、重苦しい空気感も薄らいでいるとは思う。

また、これ↑以外にも「褒め殺し」を得意技にしている人も昔はたくさんいた。さんざん褒めて持ち上げておきながら、陰でストンと突き落とすタイプの人たち。こっちは一見いい人っぽく見えるから、余計に厄介だったりする。(汗)

そう思うと、昔は、心が屈折して陰気な人が多かったのかもしれない。
集団主義・全体主義の時代の空気に飲み込まれて、自分らしく生きることを剥奪され、古い価値観を刷り込まれて生きてきた人が多かったから、自分の気持ちと建前の歪みで感性が固まり、自分の素直な気持ちが表に出せなくなり、ずっと心のなかで本音が鬱々していて、どんどん卑屈になっていったのかも…。(汗)

こんな感じで、昔は、「自分の素直な感想」や「本音」「正直な意見」を口に出してはダメ、そうではなく、周りの空気を読みながら、常識の範囲内の、世間体を意識した建前の話しかしてはいけない…という嫌な空気が濃厚だった。だから、みんな、当たり障りのない「似たようなこと」しか言わなかったのだ。

(ここまで書きながら、ああ昭和ってこんな雰囲気だったなぁ…とリアルに思い出した。今はSNSがあるから本音をネットで呟けるけど、昭和は本音を漏らすと自分の居場所を失うほど致命的な行為だったのだ。)

そういう世界の、そういう空気感のなかで生まれ育って生きてきたから、人に揉まれても神経をすり減らすことばかりで油断も隙もなく、本当に辛かった。

素直に話を聞いて、うっかりそのまま信じると、後でバカをみたり痛い思いをすることが多かった。

そこで本能的に自分を守るために、「長いものには巻かれろ」で、人の感想や意見は適当に聞き流す癖になっていった。

人の感想や意見なんて、あまり当てにならなかったし、聞く方も言う方も建前でのやりとりしかしない。第一、みんな、自分の気持ちを素直に言うことがタブーだったから、本当のことはさっぱりわからない。何も期待はできなかった。ずっと半ば諦めの境地にいた。

そんなこんなで、やさぐれて拗ねた大人に育った私だけど(汗)、平成から令和にかけてのこの新しい空気に刺激を受けて、私も「このままじゃダメだ」と思い、自分の気持ちを素直に表すように、自分を変えてみたのだった。

そして最近…。


素直な気持ちで、私のことを認めてくれたり、褒めてくださる方が出てきて、本当に驚いている。
何より「良いよ!」「好きだよ!」と意思表示してくださるので、その気持ちが心に染みてハッピーな気持ちになる。今までなかった感覚。

私も「良い」ときは「良い!」、「好きだ」と感じたら素直に「好き!」と、素直な気持ちで意思表示するようにしているのだけど、そのリターンが返ってきた…という感じ。

なんだ~(笑)。そう感じてくださっているのなら、ムッツリ黙って私のことを無視していないで、素直に「良いよ!」「好きだよ!」と、そう言って欲しかったなぁ…。と、今更ながら、周囲の変化を見て、そう感じたりしている。


(後で聞くと「何て言っていいか分からなかった」とか「咄嗟に言葉が出なかった」とか、そう言われること多し。それなら、日頃からサッと自分の言葉で気持ちや感想が言えるように、コツコツ訓練しとかなきゃ…と思う。これも訓練。訓練の賜物。日々の積み重ねですっと言えるようになるのだから、怠けてはいけない。磨き続けなくちゃ…)

我慢と辛抱を自分に強いる時代は、もう終わりにしなくてはいけないとしみじみ思う。
その一つとして、素直に自分の気持ちを表していくこと、これすごく大事。

もう、男だから女だから、年が多いから、若いから、障害があるから、既婚だから未婚だから…云々なんて言い訳は効かない時代。
老若男女問わず、皆が自分の本音と向き合い、自分の気持ちを正直に表していくことが必要だと思う。

最後に、話を戻して…。


本音で正直に言ってくれた感想や気持ちは、相手の心にもダイレクトに伝わっていく。建前や世間体で言った言葉は、脳のなかで留まってしまうけど、心からのピュアな言葉は、相手の心にすーと届き、相手の心に愛の種を蒔く。

だから、本当の気持ちを躊躇わず正直に言うことは大切なのだ。そうやって親に育てられた子供は、きっと真実の愛の種をたくさん心に宿し、真っ直ぐに生きていける。強くなる。

勇気を出して、正直に伝えてほしいな。

私も嬉しかったから。

きっと、みんな、素直に受け取ると思う。そして、その言葉がすっと心に染みて、その何気ない言葉を、その気持ちを、心の糧にしていくと思う。

いいなと思ったら応援しよう!

Emiko(シモハタエミコ)
よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは旅の資金にさせていただきます✨