【写真日記】飛騨街道金山宿にて筋骨を歩く② ギフチョウと両面宿儺
ドライブイン飛山にてお昼ご飯(筋骨ランチ)を済ませ、これからいよいよ「筋骨めぐり」をします。(前回のお話はこちら↓)
飛山の建物の前で待っていると、ガイドさんがやってきました。
出発前に、ガイドさんから簡単な説明を受け、その後、用紙に氏名・住所等を記入し、ガイド料を支払います。
ちなみに、料金はこちら(サイトからの引用)
ただ今、「下呂であそぼう!」キャンペーン中で、普通なら2000円のところが半額の1000円でした。なんとありがたい…🤩。
いよいよ「筋骨めぐり」出発です。
いよいよスタート「筋骨めぐり」
ドライブイン飛山を出発し、国道41号線を横断し、金山の町の方へと歩きます。
ちなみに私、今まで金山の町には行ったことが無かったんですよ。
今回が初潜入です。ずいぶん昔の子供の頃(昭和時代)に、家族で名古屋や犬山へ車で遊びに行く時、いつも41号線で金山町を通っていました。でも、ここはあくまで通過点。ドライブイン飛山で休憩したら、そのままGO!だったので、どんな町か全然知らなかったのです。
なので、今回「筋骨めぐり」で、初めて金山の町を歩くことになり、楽しみでワクワクしていました。
さて、41号線を横断し、てくてく歩きながらガイドさんから説明を受けます。
この町は、古くは平安時代から鉱物が採れて栄えていたこと。更に、江戸時代になると林業が盛んになり、飛騨川を使って尾張藩へと木材を運び、財を成していたこと。また街道の宿場町としても非常に栄えたこと。大戦後は、ダム建設の工人がたくさん来ていて、とても賑やかだったこと。などなど。
鉱山があったから「金山」(かなやま)という地名になったんですね。これは初めて知りました。なるほど~勉強になります。
◇
こうして車も通れる舗装された道路を歩いていたら、突然、ガイドさんが「こっちです。ここが筋骨の入口です」と言われました。
えっ?ここですか?
それは「道」と言うより、「畑のあぜ道」という感じの、とっても細い小さな路地でした。もちろん、舗装されていません。
これが「筋骨」。「筋骨」とは、飛騨地方で「細い路地」のことを言います。
私たちが呆気にとられている間にも、ガイドさんはその路地に入ってサッサと歩いていかれるので、私たちも慌ててついていきます。
いよいよ筋骨に入りました!
イメージしていた道とは違った。これが「筋骨」
筋骨に入って少し歩くと、道の端に、お地蔵さまが祀られていました。「上市場子守地蔵尊」というそうです。右にある木は百日紅。枝を大きく広げた木で、地元では「こちょこちょの木」と呼んでいるそうです。
お地蔵さまから少し歩くと、民家が見えてきました。
住宅地に入っていくと、筋骨が「生活道路」であることを強く実感します。
というのも、この筋骨は、家の裏側や勝手口に隣接しているような感じで通っているので、各家庭の生活感が丸見え…なんです。(なので写真を撮るのを躊躇ってしまいます💦)
洗濯物が干してあったり、家の勝手口からお昼ご飯のいい匂いがしてきたり、居間のテレビの音が聞こえてきたり…云々。
私が子供だった頃の昭和時代には「当たり前」だったオープンな雰囲気。あの頃の下町の雰囲気が、この道にはムンムンと漂い残っているのです。
◇
更に歩いていくと、大きな通りに出てきました。
ここは「劇場通り」。昔、昭和の栄えたころ、この通りに劇場があったそうです。
写真右に写っているお餅屋さん。ここは黒豆大福が名物だそうで、ここで私たちも大福を一個ずつ買っていただきました。甘みが抑えられた上品な味で、とっても美味しかったです💕(写真が無くてすみません~)
「劇場通り」から、また次の筋骨へと入っていきます。
今度は駐車場のような空き地から、細い路地に入りました。「えっ?これも筋骨なんですか?」と驚く私たち。
◇
こんな三叉路を見つけました。筋骨に合わせて家を建て直し、ご覧の通り三角形の家になったそうです。道に挟まれた家。
◇
更に進むと、共同の井戸がありました。
この辺りは水がとても豊富で、今も湧水がどんどん溢れ出る土地なんだそうです。ガイドさんがデモンストレーションしてくださいました~。
今も住民の皆さんが利用されているそうです。
◇
更に歩くと、また大きな道に出てきました。これは「飛騨街道」です。
尾張から美濃、美濃から飛騨へと続く「飛騨街道」。現代を生きる私たちから見ると「狭い!」と感じられますが、昔は馬車が通れるくらいの広さがあり、これでも立派な「大通り」だったのです。
かつて材木で財を成した頃、この通りに面した地区は宿場町として栄え、大変にぎわっていたそうです。
この飛騨街道をまっすぐ進むと、左手に小高い山が見えてきました。
鎮守山に登る(ギフチョウと両面宿儺)
ここは鎮守山。岩が隆起してできた山だそうです。
この山の山頂に、観音堂と両面宿儺の碑があるそうですよ~。
ここからプチ山登り。
石段を登っていくと、舗装されていない山の道になりました。更に登ります。
途中で、ガイドさんが足を止められ、説明を始めます。
なんと!この鎮守山に登るこの道が、ギフチョウが初めて発見された場所なんだそうです。(ちなみにギフチョウは、環境省により「絶滅危惧II類(VU)」の指定を受けている貴重な蝶です)
ギフチョウの幼虫は「カンアオイ」という植物の葉を食べて育ちます。その幼虫の餌となるカンアオイがこれ↓。(中央にある「葵(あおい」」に似た丸い葉っぱの植物)
葉っぱをちぎって手で揉み、匂いをかぐと、お香のようないい匂いがしました。
希少な生き物が食べるものは、やはり希少な植物なのですね~。
◇
更に道を登っていき、観音堂に到着しました。
観音堂から更に奥に進むと、両面宿儺の碑が立っていました。
「両面宿儺」(りょうめんすくな)が最近ブームになっているみたいですが、もともとは日本書紀に出てくる伝説の人物で、大和朝廷の支配から飛騨を守ろうとした豪族で、(飛騨の人は昔からみんな知っている)地元でも有名な存在です。(詳しくはこちら↓)
その像が建てられているこの場所からは、金山の町が一望できました。
山と山、川と川に挟まれた町。
とても爽やかな風が吹いてきました。
これから山を下りて、次の筋骨に向かいます。
(つづく)
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