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【青春小説⑥】大切な人を悲しませたくない
〈前回のお話〉
◇◇
藤巻先輩が去った後、先輩が座っていたベンチのところに、映画のチケットが二枚、そっと置かれていた。
清瀬先輩は、しばらくぼんやりしていたけど、ハッと我に返り、そのチケットを手に取った。
「これ、私が以前、教室で読んでいた本の映画なの…」
そのタイトルの本、僕も以前読んだことがある。
ああ、清瀬先輩が読んでいた本を僕も読んでいたんだ…。そう思うと、胸がカッと熱くなった。
でも、どうしたらいいんだろう。
隣町のミニシアターでこの映画が上映されるというニュースは、僕も知っていた。だけど、このチケットは予約の時点で完売してしまい、入手が困難だったはずだ。前もって準備し強い意思をもって申し込まなければ、そう簡単に手には入らない代物だ。
そんな映画のチケットを、藤巻先輩は清瀬先輩に渡そうとしていた。「兄貴にもらった」と藤巻先輩はさっき言っていたけど、本当だろうか…。
もしかしたら、藤巻先輩は清瀬先輩のことを…?
その瞬間、僕の胸は深く搔きむしられたような痛みを発した。
胸がドキンドキンと強く鼓動している。もしもそうだとしたら、僕はどうしたらいいんだろう?
僕は首を軽く横に振った。
いや、そんなことはない。
きっと藤巻先輩は、僕の恋を応援してくれているんだ。
そう思おうとした。無理やり、先輩は心から僕と清瀬先輩が一緒に映画へ行くことを望んでくれているんだ…と。そう強く思い込もうとした。
でも、そう頭の中を切り替えようとしても、嫌な予感がどんどん僕の心の中に広がっていく。まるで土砂降りの前の黒い雨雲のように…。
◇
僕の目の前で、清瀬先輩はチケットを大事そうに両手でそっと持ち、愛しそうにじっと券に刻された文字を読んでいた。
清瀬先輩は、このチケットをどうするつもりなのだろう?
僕は清瀬先輩と二人で、この映画を見に行くのだろうか?
全然想像がつかない。
だって、つい数10分前まで、目の前のこの女性(ひと)は、僕の「憧れの君」だったのだから。触れることも話すことも、ましてや逢うこともできない、ただ遠くから想うだけの人だったのだから…。
そんなことをぼんやりと考えていたら、清瀬先輩が、
「大野君、あなたはどう思う?」と聞いてきた。
ハッとして先輩の顔を見た。
真っすぐ見つめてくる目。心の奥まで見抜くような澄んだ瞳。
この人には絶対に嘘をついてはいけない…と思った。
ごまかしも強がりも一切通用しない。正直にきちんと自分の気持ちを伝えなくてはいけない人だ…と感じた。
僕は思い切って素直に本音を語った。
「僕もその本を読んだことがあるので、その映画には正直、興味があります。観てみたいです。それに、清瀬先輩と二人きりで行けるなら…。恥ずかしいけど僕は嬉しいです。」
そこまで言って、僕は清瀬先輩をまっすぐに見つめた。先輩はハッとした表情で僕を見返してくる。
僕はドキドキしてきた。今、僕は先輩と見つめ合っている。
先輩の息遣いを横で感じている。先輩の香りをほのかに感じている。
先輩の存在を真横で感じていることに、僕の胸は高鳴り続けた。
このまま時間が止まってくれたらいいのに…。
でも、本当にそれでいいのか…?
ドス黒い不穏な雲が、僕の心の中に薄暗く広がっていく。もう止められなかった。
僕は、また更に言葉をつづけた。言いにくいことを、そして、胸がかきむしられることを…。つらいけど、僕は言わなくてはいけない。
「でも、僕には一つ、気になることがあって…。もしかしたら、藤巻先輩は、清瀬先輩のことが好きなんじゃないですか?本当は、この映画、藤巻先輩は清瀬先輩と行くつもりだったんじゃないですか?」
ここまで一気に言い切ったところで、僕は先輩から目を背けた。
もうこれ以上、清瀬先輩を見つめることはできなかった。
僕は自分の顔を、先輩がいる側とは反対の方に向けた。
「清瀬先輩のこと、僕は好きです。こんなことを言うのはすごく恥ずかしいけど…、僕はずっと先輩のことを恋焦がれていました。でも、藤巻先輩のことも僕は大好きなんです。尊敬する大事な先輩です。そんな藤巻先輩を悲しませるようなことを…僕はしたくありません。」
顔をそむけたまま、僕は目を閉じた。涙が溢れそうだったから…。
僕の横で、清瀬先輩が小さくため息をついているのが聞こえる。
こんなに近くにいるのに、さっきまで幸せだったのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
清瀬先輩が話し始めた。
「大野君。ありがとう。正直に話してくれて…。」
躊躇(ためら)いながら、言葉を選びながら、先輩は続ける。
「私も、正直、どうしていいかわからないのよ。大野君とはさっき初めて会ったばかりだし、フジマキはクラスメートでそんな風でもなかったし…。なんだか急にいっぺんに来ちゃって、私、すごく混乱しているの。本当なら大野君にもっと気が利いた返事ができると良いんだけど、私も自分の気持ちがよくわからないのよ。」
…と、ここまで言って、先輩は大きなため息をついた。
「でもね、これは本音よ。大野君が私のことをずっと想っていてくれたことは、すごく嬉しかった。私は人と群れるのが苦手だから一人でいることが多かったの。友達がいない私は、そんな自分のことを『価値が無い』と思い込んでいたの。大野君に告られた時、『こんな私でも良いと思ってくれる人がいるんだ…』って、すごく嬉しかった。」
と言い、「ありがとう、大野君。私に声をかけてくれて、本当にありがとう。」と僕に向かって優しい言葉をかけてくれた。
僕は顔をあげて、そっと先輩の方を見た。
清瀬先輩は目に涙を浮かべていた。
綺麗な瞳が、涙でしっとりと濡れていた。
◇◇◇
〈つづき・第七話〉
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