【本当の私を生きる31日間プログラム】Day28「自分に力を取り戻す」

早いもので今日で28日目。あと3回でこのプログラムも終了です。振り返ると、ここまであっという間でした。

さて、今回はかなり長文です。どうぞ最後までお付き合い下さい。

Day28のテーマ「自分に力を取り戻す」について

まず最初に、このプログラムの主催者Yumiさんのお題note

以下、Yumiさんの記事から抜粋。

私たちは影響しあって生きています。そして1人で生きている人なんて、いない。必ず誰かと関わりあいながら生きていますよね。そしたら、「私」が変われば、私に関わってくれている人たちに影響し、私に関わってくれている人たちが変われば、その人たちの知り合いに影響していく。そんな風に広がっていきます。
でもこれさえも「私自身」が変わらなければ起きないことですよね。

そう思ったら、私たち1人1人が持つ力ってとても大きい。聞いた所によると、1人が変わるとなんと2万人に影響を与えるとか💡そしたら、「私なんか・・・・」「私は・・・・できない」なんて言っている場合じゃないですよね!笑
私たち自身の力を自覚して、私たちの力を取り戻していくことが、今とっても大切なことではないかなと感じています。そして、私たち自身の力を取り戻していくこと=私たち自身を信頼することだとも思うのですよ。
誰かや何かがやってくれると期待することも良いけれど、まず私ができることからやってみること。自分自身を信頼しながら、ね。その方が案外早く変わっていくのかもしれません。私も「私なんて・・・」と思っていることをやめて、どこかへ置いてしまった自分の力を取り戻して、自分を信頼していくことを始めます。
ということで今日のテーマは「自分に力を取り戻す」です。
以前やった自分への信頼ととも関わってくるテーマです。どこかへ置いてしまった自分への信頼・力を取り戻し、より1歩ずつしっかりとこれからの人生を生きていきましょう♪

うん、なるほど。その通りだな~と思いました。

「人目」を気にする親に育てられると、子供も「人目を気にして生きていく」という親の価値観を受け継いでしまいます。私がモロにそれで(汗)、子供の頃からずっと人目を気にしていました。

そして、夫の親は「世間体」をものすごく気にする人たちで、夫は子供時代から私は嫁いでからずっと「世間体を良くしなくてはいけない」と刷り込まれ、それを一生懸命に守って生きてきました。

でも、途中から「それって変じゃね?」と気がついて、「人目」と「世間体」を捨てることにチャレンジしてきました。ちなみに「世間体や人目を気にする癖を捨てる&手放す」とは、「世間体より、自分らしく生きることを優先する人になる」ということです。

そのためには、自分がしたいことをちゃんとやっていく・・・というところから始まりました。

世間体を気にする義両親は、人から良く見えることを優先し、私達の気持ちや希望は一切無視。
私たち親子が外出することはもちろん、カフェでおやつを食べることすら「人に見られたら、あの家は贅沢をしていると思われて体裁が悪い」と嫌がり、無駄金を使って…と小言を言われました。

また、新しい靴を買って気に入って履いていると、「新しい靴を買わなくても家にあるのだから、これをはきなさい」と言ってボロボロの履き潰した靴を差し出されたり・・・云々。
清貧であることに誇りを盛っている人達だったので、平成の世なのに「贅沢は敵だ」という価値観がまかり通っていて、窮屈で堪りませんでした。

また、私が書道展のために作品を書いていると、「たいして稽古もしていないのに出品するなんて、ダメに決まっている」とボロクソに言われたり、私が地域の役に就いたら「調子に乗るな」と嫌みを言われたり、ホント酷かったのですよ(汗)。

だから、私自身が「私はできない」「私なんて」と思うようになったというよりは、義父母から散々「アンタに出来るわけがない」「アンタには無理」と言われ続けて、頭ごなしに私の能力も感性も全て完全否定されたことで、自信を喪失した部分が大きいです。

でも、そうやって私に干渉してきた義父母自身も、対人関係でものすごいコンプレックスを抱えている上に、時代的なこともあり「自分らしく生きる」ことを抑圧されて、自分を発揮できなかったのですよ。その鬱憤が、私たち子や孫を躾ける・・・という名目で、歪んだ形で向かっていったのだと思います。

義父母のような戦中戦後の人たちは、我慢に我慢を重ねて苦労してきた人が多いから、「豊かさ」「恵み」「幸せ」「喜び」「楽しみ」などを素直に受け取れない気質の人が多いように思います。また、自己肯定感が低いのに、プライドはものすごく高くて、変なところで意地を張って偏屈になるところがあるようにも感じます。若い世代の話は一切信じず聞こうともしないのに、テレビや有名著名人からの情報は頭から信じて鵜呑みにし、すぐに感情移入します。「うまくいく方法」を人から聞くと、それをすぐに取り入れて真面目にやるのですが、途中、止め時が来ても、軌道修正ができず、愚直に突き進んでしまいます。止めたり撤退することにも、プライドが働いて見栄で続けてしまうようです。一度、こうだと頭で理解すると、最後まで「こうしなければいけない」「これではダメになる」と固苦しく考えすぎるところがあり、それを私たち子や孫にも「こうしないとダメだ」と押しつけてくるんですよね。

本人達は「自分たちが正しい」と自信満々で自分を信じ切っているけど、俯瞰して客観的に見てみれば明らかに間違っていることもたくさんありました。でも、自分の失敗を素直に認めることが出来ず、特に義母はずっと主婦で「家庭という密室」の中しか知らない人だったので、家の中ではお山の大将でした。自分が偏っていることも全く気づかず、それに意見しようものなら激高して手がつけられなくなるし、それで私も夫も我慢して従うしかありませんでした。

でも、私は、これ以上、義父母の価値観に合わせていたら、私の心が死んでしまう・・・と思い、必死の覚悟で立ち上がることにしました。ダメ元で賭けてみたのです。嫌われることも覚悟の上で、また離婚や世間体が悪くなっても仕方が無い・・・という覚悟の上で、私は私の気持ちを優先して、義父母の監視や叱責を無視して、私がやりたいと思うことを自由にやるようにしました。

怖くてオドオドしながら始めた「自分を取り戻す」取り組み。

なかなか大変でしたが、でも、あの時、勇気を出して立ち上がってくれた自分には、心から感謝しています。お陰で、まずは「私」自身が大きく変わりました。取り組みの過程で、いろんな気づきがあったり、手放しもたくさん経験しました。この「自分に力を取り戻す」という取り組みは、一回やって完了するものではなく、長い年月をかけてじっくり向き合っていくもので、長期戦なんですよね。だから、気長に根気に自分と向き合ってコツコツ取り組み続けることが大事だと思います。

私の場合は、それこそ10年くらいをかけて、ジワジワと変化を遂げていきました。私が気づきを得て成長していくなかで、家族も少しずつ心の持ち方が変わっていき、表情も変わっていき、空気が少しずつ変化していきました。やがて家の中に固まっていたエネルギーに動きが出てきて、流れが良くなり、家族一人一人の心も安定して居心地が良くなり、雰囲気が穏やかで明るくなりました。こうして家の中の雰囲気は、以前と比べて大きく変わりました。

この体験から、一人の人が変わると周囲にも影響を与えていく・・・というのは本当だと思います。ただ、ものすごくエネルギーが要るし、かなりの長期戦です。(私の場合は特に、その家に代々続く「ネガティブさの伝承」を断ち切り、一家庭のエネルギーを新たに作り替えたので相当大変でした。汗)

でも、「自分を変えたい」と思うのなら、是非、今すぐにでも最初の一歩を踏み出すことだと思います。何もしないで暗く過ごすくらいなら、明るい自分を取り戻すためにチャレンジすべきです。

私はもう既に「自分に力を取り戻す」という体験を得ていますが、これを機に、もう一度、自分自身を振り返ってみたいと思いました。

今日の質問は以下の4つです。

①「私は○○できない」「私なんて・・・」と思うことや、「私1人が変わった所で・・・」と思うことはありますか?

②その気持ちを色や形で表現するとなんですか?そしてそれは体のどこにありますか?

③それをイメージの中で取り出して、宇宙でも光の源でもなんでもいいので、そこにポンっと入れて手放してみましょう。

④そのあと、「自分に力を取り戻す」「自分を信頼する」と意図してエネルギーが自分の中にやってくることをイメージしてみましょう。

⑤これをやってみてどのように感じますか?

①「私は○○できない」「私なんて・・・」と思うことや、「私1人が変わった所で・・・」と思うことはありますか?

以前はたくさんありました。

でも、今は「私が動けば変わる」ということが実体験から分かったので、「どうせ私が・・・」と卑下することはなくなりました。

ただ「これを私が今からするのか・・・」と思うと、その大変さが事前に分かるので、少し躊躇することがあります。あと「うわっ!面倒臭そうだなぁ・・・」と感じたり(汗)。

でも、私の前に「前例」が無ければ、「私がパイオニアになるしかないなぁ・・・」と思うようになりました。

今まで地元でどれほどパイオニアになってきたことか・・・(笑)。

でも、昔と比べたら、全てにおいて「動きやすく叶いやすい時代」になったと思います。目標に向かって頑張るのみです。

◇◇

ただ今は、コロナで制約を受けることが多くて、自分らしく行動することもままならないです。コロナ自粛、私はどこで線引きして、どこまで制限を与え、どこで自分に自由を与えていくのか?・・・この兼ね合いが難しいです。

特に私の身内には、風評や世間体に過敏になっている高齢者が多いので、彼らが心配のあまりストレスで神経質になると、私たち家族の精神的負担が増して大変になります。そのためリスク回避で、面倒なことに巻き込まれないよう、無意識のうちに自分の行動に制限を与えて、身内が安心するように自分を抑え込むことが多々あります。神経質になっている人の神経を逆なでしないように自分をセーブする・・・というのも、客観的に見たらおかしな話なので、「他人のご機嫌を悪くしないために気をつける」のではなく「自分がそうしたいから、そうしている」という風に戻していきたいと思います。

今はここが課題ですね~。

②その気持ちを色や形で表現するとなんですか?そしてそれは体のどこにありますか?

コロナ自粛で閉塞された状況を思うと、息が詰まって苦しい感じがします。

かつて義父母から監視されて全てに干渉されていた頃と比べると、まだ充分に自由度はあるのだけど(あの頃の方が全く自由がなくて暗黒でした・汗)、それでも、このまま何処にも行けない状況が数年続くかもしれない・・・と考えると、気が狂いそうになります。(私は閉所恐怖症なので、閉じ込められる環境は非常に辛い・・・汗)。

この状態を身体で感じると・・・。

みぞおちの辺りに鉛玉があるような感じ。

チャクラが全て閉じた感じです。

ただ、私が住んでいる地域は、自然が豊かなので、外を歩いて自然に触れていると地球と繋がっている感じがして、こころがと魂が癒やされます。そこが救いです。

③それをイメージの中で取り出して、宇宙でも光の源でもなんでもいいので、そこにポンっと入れて手放してみましょう。

「みぞおちの辺りの鉛玉&チャクラが全部閉じている」状態の感じを、光の中にポンと入れてみました。

すると、光の中から「自然」がわぁ~と広がっていきました。

私自身が「自然」なのです。

とても清々しくて爽やかで、色鮮やかで美しい自然の景色が、私を中心に円を描いて周囲に大きく広がっていきました。

すごく素敵なエネルギーです。

これにはちょっとビックリ。

④そのあと、「自分に力を取り戻す」「自分を信頼する」と意図してエネルギーが自分の中にやってくることをイメージしてみましょう。

私は「自然」そのものだから、それでパーフェクトであり万能なんだ・・・という気持ちが私の中にいっぱいに広がりました。

力(パワー)というより、もう既に完璧(パーフェクト)なんだ・・・という気分。何かを付け足す必要は無く、何かを削る必要も無く、存在しているだけで良いのだ・・・という気分です。

不思議だけど、とても心地よいです。

そして、自信満々。笑

⑤これをやってみてどのように感じますか?

とても心地よかったです。

もしも気分が落ち込んで自信を喪失した時は、このワークをやってみようと思います。

最後に

今日も長々と書き綴ってしまいました(汗)。でも、今回は編集せずそのまま投稿してみました。

最後まで読んで下さりありがとうございます。

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それでは、続きはまた明日💝

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