
自分のことを語る時、どうしてこんなに居心地の悪さを感じるのだろう
今日はnoteで、自分の「好きなところ」を公開して説明したのだけど、書きながら、何だか自分の自慢話をしているようで、正直、気持ちが悪かった。
一応、私のなかでは、
「好きなところ」イコール「自分が気に入っている良いところ」
…という認識なんだけど、そこをわざわざ言語化して「私は、こういうところが好きなんです!」と説明するのは、何だか自意識過剰なキザ野郎みたいだなぁ…、めっちゃ痛くてかっこ悪いなぁ…と、居心地の悪さをビシビシ感じた。
でも、そこで、ふと
「あっ!ここが課題なんだな。」
…と気づいた。
人から「あなたの良いところはここですよ」と指摘され、一般社会から「私のいいところ」と公開認定された部分じゃないと、好きだと言っちゃいけない…という感覚。
これ、もしかしたら子供時代に刷り込まれた価値観?…と思った。
◇◇◇
別に、人から「ここは良いところだから、好きになっていいですよ。」と許可を得る必要なんてないんじゃないの?
だって自分自身のことなんだもん。「私は自分のここがいい!」「ここが好き!」と胸を張って主張しても、別にいいのではないか。
何を遠慮しているのだ。
他人が気づいていない「私の好きな部分」を堂々と公言しても、何も悪いことではない。いや、教えてあげるくらいの気持ちでいいんじゃないか?
◇◇◇
自分の「好きな部分」を堂々と伝えることに違和感を感じてしまったのと同じように、「嫌いな部分」を堂々と伝えることも、少し躊躇して怖かった。
しかし、何なんだろうね…。この「世界中の人を敵に回す」ような居心地の悪さと気持ち悪さ。
自分を正直に伝えていくのって、実はとってもハードルが高いことなのかもしれない。
つまり、私たちが生きている社会は、それだけ複雑で難解な世界なのだ…と思う。敵を作らないために、傷つかないために、無事に生き抜くために、私たちは無意識のうちに見えない何かと闘い、頑張り続けてきたのかもしれない。
◇◇◇
自分の「良いところ」や「好きなところ」を語るのは、決して傲慢ではなく悪いことではない。
また、自分の「嫌いなところ」や「ダメなところ」を語るのは、決して残酷で恐ろしいことでもない。
どちらも「自分の真実」ならば、恥じることなく、そのまま認識すればいいのだ。
もっと肩の力を抜いて、リラックスしていこう。
必要な時には、いつでもしっかり自分の言葉で語れるように、ちゃんと準備をしておくこと…。これも大事なことだ。
◇◇
今日の内観note。これを書きながら、上記のことを思った。
すべて正直な気持ち。正直な自分。
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