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生まれてきてくれて、ありがとう
阪神淡路大震災から30年
当時私は小学生で家族みんなで川の字になって寝ていた。
明け方というには外は真っ暗で
急に揺れだし何事かと慌てて起きた覚えがある。
(ちなみに妹と弟は熟睡していた)
その後にテレビをつけて神戸の現状を見た時は
映画かドラマか現実とはとても思えなかった。
今では震災の面影は少なくなっている。
1月17日
父の誕生日は阪神淡路大震災と同じ日になった。
そして11年前の2:56に長女が産まれた。
切迫流産・早産になり、仕事も早くから休職
産まれるまで大丈夫かどうか、ずっと不安と隣り合わせだった。
初めての出産で1日がかりなんだろう、痛みに耐えられるかと
出産の本やネット情報を見て心配していたが
陣痛が始まり病院に着いたらどんどん痛みが増して
3時間ほどで産まれてきた。
私は痛くて必死だったけれど
立会い出産した夫は1回いきんで長女が産まれたので
感動よりも「こんなすぐ産まれるん!?」と驚いて笑っていた。
(涙でくちゃくちゃになる旦那さんっているのだろうか)
授乳もうまくできず長女の体重が増えなくて
ミルクを足したり頻回授乳をしたり
夜泣きも多く、飲ませようにも授乳量も少ないから泣き続け
私もどうしたらいいか分からずソチオリンピックを見ながら放心していた。
(時差で決勝とか見どころが夜中にやっていてよく見ていた)
離乳食もあまり食べず
保育園の給食は食べるけれど家では拒否しておやつや果物しか食べない娘に
頑張って離乳食や食事を作っても捨ててばかりで嫌気がさし
仕事や飲み会を優先する夫にもイライラが募って
『なんで自分ばっかり自由に好きなことするんよ!』と顔を合わす週末には必ず口ゲンカをして夫婦仲は最悪だった。
今思えばワンオペとワーママ、1人目の育児で不安しかなく
保育園の慌ただしい送迎ではママ友もできず
相談する相手もいないから自分でどうにかしないと…と抱え込み過ぎていた。
長女は気難しいところもあるけれど
年少の時に弟が産まれると少しずつ弟の世話を手伝うようになっていた。
オムツを渡してくれたり弟の頭を撫でたり
些細なことだけれど
朝しかいない夫よりも弟の世話をしてくれるので、とても助かっていた。
まだまだ幼い部分もあるので
弟を抱っこして保育園のお迎えに行くと、眠いから歩けないと泣かれ
弟を抱っこしながら長女をおんぶして帰ったこともある。
(私の腰はその頃から痛めている)
今では長女の下に4人の弟と妹がいる。
今では本当に面倒見が良くて
一番下の三女には第二の母かなと思うくらい
抱っこしたり、みかんをむいて食べさせたり
遊び相手をしてあげたりと自然にしてくれている。
長男とは同じレベルで殴り合いのケンカをする時もあるが
掃除機をかけたり布団を敷いたり
家事も手伝ってくれることが増えた。
私の余裕がないのを察知しているのだろう…。
大好きなマンガを読んだり、あつ森(ゲーム)をしたり
自分の好きなことをする時間も大切にしながら
学校の勉強やチャレンジタッチも頑張って取り組んでいる。
今思えば小学生も毎日忙しいスケジュールで過ごしている。
そんな中で家族と過ごす時間を優先して取っている長女に
『休みは友達と遊んできてもいいんやで?』
と声をかけているが
「(家族)みんなが何してるか気になるし、いときたいねん」
と答えていた。
家族と過ごす時間が安心できると思ってくれているのかな。
家で過ごす、家族と過ごすことが楽しい、嬉しい、ほっとすると思えるように
私もこれから子どもたちと向き合っていきたいなと思う。
長女ちゃん
産まれてきてくれてありがとう。
大好きだよ。