
「そんなこともある」ということ。
年末年始にふと思ったこと。
誰かと関わる中で出てくる
なんで?は?みたいなモヤっ。
親しい間でも、家族の中でもきっとある。
例えばだけど
LINEの返事が遅いとか、
既読無視とか、
LINEは返さないのにインスタは投稿するんだ、とか。
きっと人それぞれそれに対する思いや考えは違うと思うんだけど
以前のわたしはモヤっとしてた時期もあって。
その頃の自分の気持ちを掘り起こしてみると、
わたしの中の「こうあるべき」がでてきた。
↓
返信はすぐにしないと申し訳ない、
無視したら相手が傷つくじゃん、
返事を返さないことで、嫌われてしまうかもしれない、とか。
それって、
わたしがされたら嫌だから
瞬間的に出てきていた思考で、
「わたし」のなかの価値観としてあったものだったりして。
もちろん、今でも嫌なものは嫌。
それは変わりはしないことなんだけど。
だけど、違う視点で考えてみると
すぐに返信できる環境じゃなかったのかもしれない。
他にもっとやらなきゃいけないことがあって、後で返そうと思って忘れてしまっただけかもしれない。
__
優先順位が低いってこと?
わたしってその程度の存在なんだ。って気持ちが出てくる人がいるかもしれないけれど。
(この言葉、自尊感情が下がってる状態だったりする)
優先順位って、「わたし」が決めることじゃなくて
「相手」が決めることなんだよね。
(優先順位=わたしへの価値 ではないということ。そこは人それぞれだから。)
 ̄ ̄
そんな風に、見えない相手の環境があって
そうできなかった理由もあったりする。
心の学びを通して、自分の中の
「こんなとき、こんな感情になりやすい」を沢山知っていったときに
私にもこんな風に想いがあるように
誰かには誰かの中に同じように想いがあって
それは違うことだってある、ということに
たくさんふれていったから。
実際に、自分だってそういう時があったり
今後あるかもしれなくて。
そういう状況になったときに
モヤ(感情)→怒りの矢を向ける
にすぐ結びつく前に
「そういうこともあるよね」を
ワンクッション入れてみるのも有りなのかもしれない。
SNSとかヤフコメとか
凄く表面的な、文章でしか表されていない部分だけを切り取って見て
矛先を向けているのをよく見るけれど
そうじゃないかもよ?とか
そういう時もあるかもね、人間だもの。みたいな
柔らかさもあってもいいのかも。
それは、ママが子どもたちに向ける
関わりや言葉にも当てはまると思う。
ママの「こうあるべき」が
子どもとイコールじゃないことだって
沢山あるから。
こういうことって沢山あると思うし
その度に気持ちが揺れ動くと
きっとしんどくなってしまう。
自尊感情や自己受容が下がってしまう原因にもなる。
「そんなこともある」という世界線も
心の片隅にあってもいいよね。
2025.01.09
emi