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爽やかに生きたい

失敗の科学 マシュー・サイド(有枝春訳)を読んで
 今月のふみサロの課題本です。
エッセイを書いてみました。   
    ↓
 「○○さんも一緒なの?私、彼女苦手なの、この年になって嫌いな人と無理して付き合うことはしたくないの」というKさん。
私があるイベントに誘った時、Kさんはストレートに云った。
無理な人間関係は作りたくない、最近よく聞くようになった。
今までのように誰とでも楽しくつき合えるかというと、私も若かったころとは違い遠慮したい関係も増えてきた。無邪気にどんな時も楽しめた時代が懐かしいほどだ。
 加齢によるものかもしれないが、枯渇しつつあるエネルギーを効率よく使う、自然な反応なのだと言い訳している。 
人間関係でつまずいて悩んでいる人に、そのようにアドバイスすることもある。「無理しないで距離を取ることも必要よ」と。

また「友達でも我慢しないで、言いたいことは言おう」と云う言葉も耳にするようになった。
しかし、云いたいことを遠慮なく言うということは、微妙なものである。

 最近、SNSでの誹謗中傷が話題になっているが、世界でも日本人は一番Twitterを利用しているという記事を見た。(誹謗中傷大国日本:ゆがんだ正義をふりかざす日本人がいなくならない理由:窪田順生)
 日本の教育の歪み「規範意識」「ルールを守る」を指摘し、・・、それがSNSで匿名性になったときの遠慮ない誹謗中傷につながっているのではないかと書いてあった。主張することは正義感と勘違いしているのではないかというのだ。

自己主張することの苦手な私は「規範意識」や「ルール守る教育」の延長線上にあるのかと頷いてしまった。
自分の気持ちを率直に伝えたいとか、言いたいことを我慢している自覚もない、流れに乗ってしまって違和感もない、冴えない気もするが・・難しい。

単純ではない、人との関係性。
複数の人との関係になるとカオスだ。カオスから発するもやもやしたエネルギー、同調圧力にいつの間にか巻き込まれているかもしれない。
それにはユーモアが一番だと思うが、これが一番難しい高等テクニックだ。そんな余裕を持ち、さわやかにいきたい。
 
 

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