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精神科医である私が世界一周の旅をした理由について

世界一周の旅への想いは、幼い頃から私の中で静かに育まれていた。

私の家族は決して裕福ではなかったが、両親には「子供に世界を見せたい」という強い思いがあった。

毎年のように夏休みになると南国の海で無邪気にはしゃいだものだった。

そんな時間は、両親の無理な努力の賜物だったことを、大人になった今では容易に想像できる。その姿を子供に見せなかった彼らの姿勢に、今でも尊敬の念を抱いている。

異国の地で触れた文化や言葉、匂いや音。それらは確実に、幼い私の感性を育んでいった。

そして、私には偉大な祖父がいた。

大戦を経験し、若くして海を渡った祖父は、常々「とにかく広い世界を見ろ」と語っていた。威厳ある体躯からは想像できないほど静かな口調で語られるその言葉には、重みがあった。

しかし、人生は思い通りにはいかないものだ。

バスケットボールに集中し部活動に明け暮れた中学時代、悪友との付き合いに没頭した高校時代、そして一人暮らしの快楽に溺れた浪人時代はあっという間に過ぎ去っていった。その間も、漠然とした旅への憧れは持ち続けていたものの、具体的な行動には移せずにいた。

そんな中、突如として訪れた父の死

大学一年生としての怠惰な生活も終盤に差し掛かっていたある日、実家から呼び出され、久しぶりに玄関をくぐった私を待っていたのは、棺の中で静かに横たわる父の姿だった。

あまりに突然の出来事に、私は言葉を失った。

この時、「人は必ず死ぬ」という当たり前の事実を、これ以上ない痛みとともに実感した。

父の死を境に、私は大きく変わった。

それまでは常に人々の中心にいて、時に法すれすれの行為も辞さない刹那的な生き方をしていた私が、突如として内向的になった。

大学にもほとんど顔を出さず、読書や映画鑑賞に没頭する日々。天気が良い日は一人きりで海辺で過ごし、波の音を聞きながら釣りをする。

そんな永遠のモラトリアムのような日々の中で、私の孤独を愛する精神が形作られていった。

しかし、どれほど長く感じようとも、大学生活にも終わりが訪れる。

研修医として働き始めてまもなく、あの大災害が起こった。

目の前で次々と運ばれてくる被災者たち。連日報道される死者の数。原発事故の恐怖。「世界は一瞬にして変わりうる」という現実を、私は否応なしに突きつけられた。

3月12日は、女川に一人、釣りへ行く予定だった。
1日ずれていたらきっと私は海へ還っていた。

この経験は、私に深い内省をもたらした。「人生で何を優先すべきか」という問いに、私は「心が動くことをする」と答えた。

そして、ふと思い立って「人生でやりたいこと」のリストを作ってみた。その中で、私の心を最も強く揺さぶったのが「世界一周」だった。

その瞬間から、私の人生は変わった。

それまでの優柔不断な生き方とは決別し、5年後に世界一周の旅に出ることを決意した。「するかも」ではなく「必ずする」という強い決意が、私を変えていった。

様々な資格の取得、体力作り、語学の習得。旅をより豊かなものにするために、時間もお金も惜しまなかった。

将来を考えていた長年交際した恋人との別れという代償も払った。
しかし、それすらも私の決意をより強固なものにした。

私にとって、あの旅は単なる観光ではなかった。

それは、「自分が決断したことを何が何でも実現させる」という、自分自身への挑戦だった。

私たちは皆、自分を肯定することの難しさを知っている。
他者と比較しては自分を批判し、落ち込み、理想を追い求める。
かつての私もそうだった。

しかし、5年間、夢を追いかける過程で、私は少しずつ自分を肯定できるようになっていった。

医師としての理想的なキャリアを追求することが正解だとされる中で、私の選択は周囲の理解を得られないかもしれない。

しかし、医師である前に一人の人間として、私は自分の心に正直に生きることを選んだ。

今、あの旅を振り返ると、私の中に確かな変化を感じる。

訪れた未知の国々、出会った様々な人々、目にした想像もつかなかった景色。それらは全て、私の一部となった。

あの旅の果てに私が見出したものは、新しい自分との出会いだった。

なぜ世界一周をしたのか?

選択の理由というのはいつも後付けだ。のちに生きる存在が、過去を正当化しようと理由づけるものだ。

ゆえに、今現在を生きている私は、過去の選択に対してこう嘯くのだろう。

「私は、自分を肯定するために旅に出たのだ」と。

そして、その決意は今もなお、静かに、しかし確実に私の心に生き続けている。自分を肯定できるようになったという、確かな感覚とともに。

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