現代社会における孤独という課題 「人と繋がりたい、だけど上手い距離感がわからない。」 この悩みは、現代社会を生きる多くの人々の心に潜んでいる。 独居世帯の増加、職場での対面コミュニケーションの減少により、人と繋がる機会は確実に減少している。 1人でも快適に暮らせる社会では、人とわかり合おうというインセンティブすら失われつつある。率直に言えば、つながるということは「面倒」なのだ。 幸福を支える人とのつながりしかし皮肉なことに、幸福やウェルビーイングに関する研究が示す最も
私たちは、どうも他人の習慣やルーティンに関心を持たずにはいられないらしい。YouTubeやSNSでは他人の生活をのぞき見たい、自分の習慣をより良いものにしたいという欲望が渦巻いている。 先日購入した本は、古今東西の天才たちの「日課」にフォーカスしたものだ。中でも精神科医として見過ごせないのは精神分析の大物、フロイトとユングの対照的な生活習慣である。 フロイトの一日 - 完璧な秩序の中の人間らしさフロイトの一日は、妻マルタによって完璧に整えられた環境から始まった。毎朝7時、
月の綺麗な夜だった。 秋の気配が濃くなる11月中旬の夜、妻と息子、そして愛犬トトを連れて毎日恒例の夜の散歩で、夜空を丸くくり抜いたような美しい満月を眺めた。 こんなうっとりするような夜もあるが、普段は夜空を見上げても、街の明かりが星々を覆い隠し、わずかに明るい惑星が数個見えるだけだ。 池澤夏樹による星野道夫「旅をする木」の書評を読んで、この街明かりがもたらす夜空がふと違って見えてきた。 池澤は言う。「僕たちは雪原を歩いてゆくオオカミの姿を遠くから見ることがなくなった」と
物を減らすことは、本当に私たちを自由にするのだろうか。 近年、ミニマリズムの波が押し寄せている。スマートフォン一台あれば事足りる時代である。写真も音楽も本も、すべてがデジタルデータとして手の中に収まる。クラウドサービスやサブスクリプションモデルは、私たちの「モノ」との付き合い方を大きく変え続けている。 確かに身軽さは素晴らしい。世界一周を始めた頃、重たかった私のバックパックも、旅を重ねるごとに軽くなっていった。余分なものを削ぎ落とし、必要最低限のモノで生きていく美学に、私
「事実は小説より奇なり」 使い古された言葉だ。しかし、私は精神科医としてある大先輩の人生を紹介せずにはいられない。自らの予言に飲み込まれた天才、その劇的な人生、栄光と悲劇について語りたいと思う。 序章:予言者の逆説明治39年、一冊の教科書が日本の精神医学界に衝撃を与えた。『新撰精神病学』、その序文には後に著者自身の運命を予言することとなる痛切な言葉が記されていた。 「精神病は社会のすべての階級を通じて発言するところの深刻なる事実なり。いかなる天才、人傑といえどもいちど本病
精神疾患を抱えて生きる人たちがいる。それは誰にでも起こりうる人生の出来事でありながら、当事者とその家族にとって、時として耐え難い重荷となる。 私が精神科医として出会った患者たちの中で、今でも鮮明に記憶に残る一人の女性がいる。40代半ばのその患者は、静かに、しかし確かな存在感を放っていた。患者のための支援施設で、誰よりも几帳面に日々の仕事をこなし、礼儀正しい態度で周囲からの信頼を集めていた。 だが、ある日を境に彼女は一変した。 施設への帰館時間を過ぎても戻らず、いつも率先
精神科の診察室は、「聴くこと」の本質を教えてくれる。 初診の患者が入ってくる時、私はまず自分の姿勢を意識する。 精神科医になりたての頃、上級医の診察に同席する機会が多かった。 優れた医師の診察には明確な特徴があり、患者の反応を観察することで、医師として目指すべき姿が見えてきた。 電子カルテばかり見つめ、患者と目も合わせず定型文を並べる上級医。その横で、失望の色を隠せない患者の表情。それは今でも鮮明な記憶として残っている。 対話の基本は姿勢にある。体を自然と患者や家族に向
新型コロナウイルスに関するニュースが連日報道されていたあの日々に、SNSで見かけたある投稿が、数時間で数万件のシェアを集めていた。 それは、新型ウイルスに関する「秘密の治療法」についての内容だった。 明らかに科学的根拠を欠くその主張が、なぜそれほどまでに人々の心を捉えるのか。精神科医としては非常に興味深く観察していた。 デマや誤情報が広がる仕組みについて、社会心理学者のゴードン・オルポートは興味深い法則を示している。 彼の提唱した「流言の法則 R=i×a」によれば、デマ
私たちは実は、心地よい嘘を信じたがっているのではないか。 この言葉に違和感を覚える人もいるだろう。しかし医師として日々、診察室で向き合う現実がある。それは「患者が、明らかに科学的根拠のない健康情報を熱心に語る瞬間」である。 その目は爛々と輝き、表情はこの上なく生き生きとしている。すぐに否定すべきだろうか、それとも専門家として正しい情報を伝えるべきか。即座に否定したい誘惑への衝動を抱えながら、私は患者の言葉にひとまず耳を傾ける。 なぜ人は誤った情報に惹かれるのだろう。その
なぜ生きるのか。 幸せとは何か。 私を「私」たらしめているものは何なのか。 これらの問いに、明確な答えを出せる人がいるだろうか。 精神科医として10年以上が過ぎ、「心の専門家」という肩書きを持つようになった。しかし皮肉なことに、心が何なのかすら、私には説明できない。 「先生は人の心が読めるんでしょう?」 診察室でよく聞かれる質問だ。そのたびに苦笑いが零れる。 読めるどころか、知識が増えれば増えるほど、目の前の人を余計な色眼鏡で見てしまう自分がいる。安易なカテゴライズを
萩尾望都の『イグアナの娘』という作品をご存知だろうか。 わずか50ページほどの短編でありながら、この物語は人間の心の深層に潜む複雑な感情を鮮やかに描き出す。1992年の発表から30年以上の時を経た今なお、その輝きは少しも色褪せていない。 萩尾作品を偏愛していた私が初めてこの作品に出会ったのは高校生の頃だったと思う。当時は単純に「母親の歪んだ愛情」という側面からしか読み取れなかったが、精神科医として様々な親子の物語に触れるうちに、この作品の持つ深い示唆に気づかされることにな
「出産してから、頭がぽわ〜っとするの。なんというか、考えがまとまらないんだよね」 妻のその何気ない一言が、精神科医である私の心に深く響いた。専門家として科学的な興味を覚えると同時に、一人の夫として心配にもなった。妊娠・出産を経て、妻の中で一体何が起きているのだろう。 妊娠中の女性の脳を追った画期的な研究最新の研究が、私たちの想像をはるかに超える事実を明らかにしている。カリフォルニア大学の研究チームは、一人の女性の脳を妊娠前から産後約2年間にわたって追跡。26回もの脳のMR
「103万円の壁」とは何か?先日の衆議院選挙で大幅に議席を伸ばした国民民主党の代表として俄かに注目を集める玉木雄一郎氏。「手取りを増やす」というキャッチーでわかりやすい主張が主にネットリテラシーが高い若年層の熱狂的支持を受け、急に台頭してきたという印象を持つ方も多いだろう。 しかし、私個人は国民民主党の結成当初より玉木氏のツイッターをフォローし、彼の出演するyoutubeなどのネットメディアも比較的多く視聴していたため、ようやく日の目を見たかと感慨深いものがある。 ところ
竹原ピストルの歌に「Forever Young」という曲がある。今夜(11月7日)、40歳最後の日を迎え、ふとこの曲を聴きたくなった。 「何をどうしても眠れない夜は 何が何でも眠っちゃいけない夜さ」の歌詞が、若かった頃の自分を思い出させる。 父親との確執、友人との行き違い、恋人との別れ、将来への漠とした不安。 眠れないほど心が騒いで、時には自暴自棄な行為へ走ったこともあった。 あの頃は不安も希望も、すべてが激しく胸の中で渦を巻いていた。 この30代を振り返ると、当時の
友人に囲まれ、雑談が得意で、笑顔が眩しく、誰からも愛されている、そんな人に私たちは憧れる。 出会ったばかりですぐに親しくなり、自己開示を適切にし、共感的に振る舞い、他者の痛みにもそっと寄り添うことができる人。誰もがそんな存在になりたいと願う。 しかし、なぜ彼らはそのような「離れ業」ができるのだろう。そしてなぜ私たちにはそれが途方もなく難しく感じるのだろう。 私たちの人間関係の多くは、幼少期に形成された愛着のパターンによって形作られているという「愛着理論」がある。諸説ある
はじめに「もう一生笑えないだろう」 「こんなに辛い思いをするなら消えてしまいたい」 「自分以外の誰かになれるなら、全てをあげてもいい」 41年の人生を振り返り、かつて確かにこのような思いを抱えていたと言ったら、信じてもらえるだろうか。 紛れもなく、そしてただの一度や二度ではなく、世界が終わるかのような絶望的な気持ちに襲われてきた。 現在、このように過去を何処か懐かしさを持って振り返ることができているのは偶然にすぎないのかもしれない。 これは生存者だけの特権だ。誰もが