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脚のない男と、傷頭の男

カトマンズの喧騒の中、一瞬の静寂が訪れた。

それは、物乞いとバックパッカーの間で交わされた、ほんの些細な行為だった。渋滞に巻き込まれたタクシーの中から、私はその光景を目撃した。

この瞬間が、私の物乞いに対する見方を永遠に変えることになるとは、そのときはまだ知る由もなかった。


途上国はもちろん、先進国も含め、街歩きで避けられないことの一つに物乞いとの遭遇が挙げられる。

海外を旅したことがある者なら皆、みすぼらしい格好をした老人や、乳飲み子を抱いた母親、下半身の欠落した不具者などが疲れきった顔で嘆願しているのを目にしたことがあるだろう。

もしかすると、あまりにも日常的なために、意識すらしなくなっていることも珍しくないのかもしれない。

存在することと、存在を意識することの間にはいつも大きな隔たりがあるものだ。

物乞いへの反応は様々だ。「可哀想」「働け」「話しかけないでほしい」

しかし多くの人の最終的な結論は「彼らにお金を恵んだところで、さらに物乞い行為を助長するため、自分は関与しない」というものだろう。

世界一周の旅の間、何度その意見を耳にしただろう。

かくいう私も明確な答えを持っていたわけではないものの、なにか釈然としない思いを抱いていた。

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