男らしさという幻影〜診察室から見えるジェンダーギャップの歪み〜
精神科の診察室は、社会の縮図だと私はよく感じる。
そこには、社会からこぼれ落ちた結果だけが集まってくる。
診察室という小さな空間は、ある意味でブラックボックスであり、その中で何が語られ、何が見えているのかは、正しい形で外の世界に届くことは稀だ。
私の診察室を訪れる患者の性別比は、明らかに女性が多い。
うつ病や不安障害では、その比率は1:2以上になる。
統合失調症ではその差は縮まるものの、やはり女性の方が多い。
しかし、自殺統計を見ると、その比率は逆転する。
男性の自殺率は女性の2倍以上だ。
この数字が示唆するものは何か。
私は時々、涙を流せない男性患者の表情を見つめることがある。
淡々と、あるいは明るく振る舞おうとする彼らの姿に、社会が求める「男らしさ」の重圧を感じる。
ある日、何度も主治医を変更してきた男性患者が私の診察室を訪れた。
最初は無愛想で、「薬だけください」と言い放った。
しかし、男性特有の孤独や、理解されない辛さに触れると、その表情が一変した。
涙を流しながら、これまで誰にも話せなかった本音を語り始めたのだ。
男性特有の問題は、アルコール依存症の統計にも表れている。
女性と比べて実に10倍もの差がある。
依存症は孤独の病であり、信頼できる人がいない人が陥りやすい。
この数字は、男性がいかに感情を表出できず、孤立しているかを如実に物語っている。
「男は強く逞しくあるべき」「泣き言を言うな」
幼い頃から刷り込まれるこのステレオタイプは、「有害な男らしさ」とも呼ばれる。
女性の場合、「女性らしさ」という古い価値観への反動として、強く自由な女性像が称揚されてきた。
しかし男性に関しては、その逆の変化は起きていない。
感情的になったり、人前で涙を流したりする男性は、いまだに「気持ち悪い」というレッテルを貼られかねない。
私自身、診察室で無意識のバイアスに囚われていることがある。
感情表出の乏しい男性患者の辛さや重症度を、つい軽く見積もってしまう。
それは明らかな思い込みであり、私たち医療従事者もまた、そこから自由ではないことを示している。
本当のジェンダーの平等とは、女性だけでなく、全ての人の幸福を目指すことだ。
しかし現実には、歴史的に得をしていると見なされてきた男性の問題は、驚くほど軽視されている。
女性の幸せなくして男性の幸せはなく、男性の幸せなくして女性の幸せもない。
これは対立の構図ではなく、互いの特性や困難を理解し合うことから始まる道のりなのだ。
男性はメンタルが強く、病みにくいという思い込み。
感情表現が苦手だという決めつけ。
助けを必要としていないという誤解。
これらの思い込みを解きほぐし、男性が自分の感情に正直に向き合える社会を作ること。
それは、真のジェンダー平等への、もう一つの重要な一歩となるはずだと私は思う。
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