ネガティブな感情の意義 - 私たちを守る心の警報システムを学ぶ
はじめに
「もう一生笑えないだろう」
「こんなに辛い思いをするなら消えてしまいたい」
「自分以外の誰かになれるなら、全てをあげてもいい」
41年の人生を振り返り、かつて確かにこのような思いを抱えていたと言ったら、信じてもらえるだろうか。
紛れもなく、そしてただの一度や二度ではなく、世界が終わるかのような絶望的な気持ちに襲われてきた。
現在、このように過去を何処か懐かしさを持って振り返ることができているのは偶然にすぎないのかもしれない。
これは生存者だけの特権だ。誰もが危うい吊り橋を渡って大人になってきたのだから。
「ネガティブな感情を完全に消し去ることができる薬があったら飲むか?」という問いを突きつけられたとき、もしかしたら多くの人は「イエス」と答えるのかもしれない。
日々の生活で感じる不安や悲しみ、怒り、嫉妬、後悔といった感情は、時として耐え難いものだからだ。
しかし、これらのネガティブな感情は、実は私たちの生存と幸福にとって不可欠な役割を果たしていることは案外知られていない。どんな感情にも必ず役割がある。
ネガティブな感情が現代人にも残っている理由を考えることで、自身の胸のうちに湧き上がる様々な感情を客観視できるようになるかもしれない。
不安 - 私たちを危険から守る番人
患者たちが訴えるネガティブな感情は様々だが、多くの場合共通しているのは「不安」である。
私たちは、不安に対し強い不快を感じ、時に日常生活の大きな妨げとなるためどうにか拭い去りたいと願う。
しかし、この感情が欠如した状態は、私たちを危険にさらすことになる。実際、先天的に不安を感じにくい「ハイポフォビア」の人々は、危険な運転や交通ルールを無視しがちで、しばしば重大な事故に遭遇する。また、リスクの高い投資や危険なスポーツに無謀に挑戦し、取り返しのつかない結果を招くという。
さらに、不安が著しく低い場合、社会的な評価を気にかけないため、周囲との関係を損ねるような不適切な言動を取ることもある。
逆に不安が強い人は他人が自分をどう見ているかを過剰に気にすることがあるが、その裏には「より良い人間でありたい」「良いパートナーを見つけたい」といった意識がある場合がほとんどだ。
悲しみ - 絆を深め、休息を促す感情
とにかく思い出したくもない「悲しい思い出」はあるだろうか。
実は苦しみをもたらすだけでなんの役にも立っていないと感じやすい「悲しみ」にすら、重要な社会的機能がある。
大切な人との死別や別れを経験したとき、その悲しみを通じて周囲の人々との絆が深まる。家族を失った悲しみを分かち合うことで、残された家族の結束が強まることがある。
また、仕事での失敗や挫折を経験したとき、その悲しみによって立ち止まり、問題を見つめ直す貴重な機会を得られる。
悲しみは「私は今、苦しい」というメッセージを他者に伝え、必要な支援を引き出すシグナルとしても機能する。押し隠したり、「なかったもの」として扱わなくても良いのだ。
怒り - 境界を守り、変化を促す力
怒りを表出した後、大きな後悔をすることがある。
思っていない言葉を大切な人に投げてしまった経験はないだろうか。大切なものを壊したり、失いたくない絆を永遠に戻らないものにした過去はないだろうか。
怒りは時として破壊的な感情に見えるが、適切に表現されれば建設的な変化をもたらす。理不尽な扱いを受けたときの怒りは、「自分の守りたい領域、境界が侵された」と感じた時に沸き起こる感情だ。それは、時として自分の権利を守るための正当な主張を促す。
職場での不公平な待遇への怒りは、より良い環境づくりのための行動のきっかけとなる。また、社会の不正に対する怒りは、重要な社会変革の原動力ともなってきた。怒りはエネルギーを動員し、必要な変化のために行動を起こす力を与えてくれる。
嫉妬 - 自己改善と成長の原動力
嫉妬にはわかりやすいものとそうでないものがある。後者は、自身ですら欺きうる。「私は彼に嫉妬などしていない」と。
このように一般的には否定的に捉えられる嫉妬だが、適度な嫉妬には重要な意義がある。同僚の昇進を見て感じる嫉妬は、自己の現状を客観的に評価するきっかけとなる。また、ライバルの成功への嫉妬は、具体的な目標設定と自己改善のモチベーションを高める。
スポーツや学業における競争心も、適度な嫉妬がベースとなって生まれ、パフォーマンスの向上につながっていく。芸術家や作家が他者の優れた作品に嫉妬を感じることで、自身の創造性が刺激され、より高みを目指すこともある。
後悔 - 未来の失敗を防ぐ教訓
後悔は誰もが避けたい感情だが、重要な学習機会を提供してくれる。就職の選択を後悔することで、次のキャリア選択ではより慎重に検討するようになる。恋愛関係での後悔は、将来のパートナーとより良い関係を築くための教訓となる。
重要な場面で発言を控えてしまった後悔は、次回同じような状況に直面したときに、勇気を持って発言する原動力となる。大切な人との時間を十分に取れなかった後悔は、残された時間をより大切に使おうとする意識を高める。
私たちは過去から学習することができる。後悔という感情は、未来の選択をより良いものにするためにあるのだと捉え直すことで、むしろ貴重な経験、成長の糧としていくことができる。
孤独感 - 社会的つながりを促す警告
孤独感は現代社会で多くの人が抱える感情だ。ある研究によると、孤独感は喫煙よりも健康に悪い影響を及ぼすという。なお、孤立していても孤独感を感じない個人もいるため、これらを混同してはならない。
しかし、この感情にも重要な役割がある。孤独を感じることで、私たちは新しい人間関係を築こうとする動機を得る。また、既存の友人や家族との関係をより大切にしようという意識が高まる。
表面的なつながりに孤独を感じることは、より深い関係性を求めるきっかけとなる。さらに、コミュニティ活動への参加や、趣味のサークルでの交流など、新たな社会的つながりを模索する動機となる。孤独感は社会的繋がりを生み出すために重要な感情とも言えるだろう。
罪悪感 - 道徳的な羅針盤
罪悪感を持てないとしたらどうだろう。
当然だが利己的な行動をとるようになるに違いない。
他者を操作し、裏切り、自分の利益に誘導する。そこに不安や葛藤がなかったとしたら、悲劇的な結果につながるだろう。
いわゆるサイコパスやソシオパスと呼ばれる人たちは、罪悪感を持たない、というより持つ機能が脳に備わっていない。
約束を破ってしまったときの罪悪感は、次回同じような状況で約束を守ろうとする意識を高める。他者を傷つけてしまったときの罪悪感は、より思いやりのある行動へと導く。また、環境に負荷をかける行動への罪悪感は、より持続可能なライフスタイルを選択する動機となる。
自己中心的かつ搾取的な振る舞いをしないために、私たちは罪悪感を感じることができるのだ。
結論:感情との賢い付き合い方
これまで見てきたように、ネガティブな感情は、決して「無駄な」ものではない。それどころか、私たちの生存と幸福に不可欠な機能を担っている。
これらの感情は、人が危険から身を守る警報システムとして、自己改善のための動機づけとして、社会的な絆を深めるきっかけとして、そしてより良い意思決定を導くガイドとして機能している。
重要なのは、これらの感情を完全に排除することではなく、それらと上手く付き合っていく方法を学ぶことだ。感情の強さを適度にコントロールしながら、その警告や示唆に耳を傾けることで、より豊かで調和のとれた人生を送ることができる。
ネガティブな感情を悪者にし、排除しようとすればするほど、それに囚われた人生が待っている。私たちにできること、それはこれらの感情から受ける悪影響を最低限にすることや、客観的に感情の動きを見つめることでむしろより望ましい行動に移すためのエネルギーに変えていくことではないだろうか。