「泣いたらいいよ」と言われたくないあなたへ ―紫原明子さん「大人だって、泣いたらいいよ 」のすすめ
「泣いたらいいよ」と言われたら、「いや別に泣かないし」と反射的に身構える。そんなあなたに、この本を届けたい。
私はこれまで、「つらいときは泣いてもいいんだよ」などというセリフに、細心の注意を払いながら生きてきた。そこでうっかり涙の一粒でもこぼして、「少しはスッキリした?」などと得意げに言われようものなら、悔しくて夜も眠れない。
だって、泣くくらいで、スッキリするわけないじゃないか。目から水分がこぼれようがこぼれまいが、私の悩みの質量は変わらない。誰とも分かち合えるものじゃない。私の苦しみは私だけのものだからだ。
だから、この本を開く時も、きわめて慎重に、こころにバリケードを張って臨んだ。別に泣くつもりはないけれど、紫原さんのお悩み相談は連載時からの大ファンだったので、どうしても読まないわけにはいかなかったのだ。
「はじめに」で、こんな一節に出会う。
読みすすめていくうちに、ほっと安堵する瞬間が訪れる。紫原さんの「泣いたらいいよ」は、「その重たいお悩み、もう涙にして洗い流して、どこかに置いてきていいんだよ」というメッセージじゃない。「たくさん泣きながら、その悩みを手放さずに食らいついて生きていこうぜ」という凄まじいエールなのだ。
汗と涙でドロドロになっても、恥ずかしさに悶えても、その悩みを捨てるんじゃないよ、と叱咤激励されている。そんな気がする。
具体的にどういうことなんだ、と少しでも気になった方には、ぜひ本書の第五章のひとつめのお悩みを読んでみてほしい。タイトルは「夫との体の相性がよくなく、虚無の気持ちで致しています」。この切実な悩みへの回答は圧巻だ。
ていねいに仕上げられた第1~4章を飛ばすなんてけしからんと言われそうだが、紫原さんの凄まじいエールがどんなものなのか、この回答でよくわかっていただけると思う。ここには、巷にあふれる「大事な人とは、ほどよい距離をとって生きていこうね」という言説とは真逆の回答がある。大事な人を尊重するということと、積極的に突っ込みにいこうとすることは、きっと両立する。その先で、一人では見られない新しい世界を見せてくれるかもしれない。そのことを、常軌を逸した提案とともに示唆してくれる。
数々のお悩みへの回答は、私たちの弱さを丸ごと包み込んでくれる…だけじゃなく、私たちは強いということを思い出させてくれるのだ。
(といいつつ、家族との関係に少しでも悩んでいるすべての人には、ぜひ第4章も読んでいただきたい)
さらに、お悩みとお悩みのあいだには、紫原さん本人の戦いっぷりがこれでもかと綴られたエッセイが差し込まれている。「ほら、見て、私も泣きながら悩みながら生きているよ!」と力強い背中がかがやいている。
もしかしたら、人のお悩みをこれだけ公開するなら、自分はもっとさらさないわけにはいかん、という誠実な衝動に駆られたのかもしれない。
その一つ一つのエピソードの、ギョッとする行動力に、「凡人だからこその試行錯誤(by初版の帯)」ってよく言いましたねと突っ込み、「けして自分は紫原さんと同じことはできまい」と確信する。しかし同時に、ああ、お悩みを手放せない人間はきっと強い、いくら泣いてもその強さは失われない、私もまだまだ悩んで生きていくぜ、と決心させられるのである。
今日も明日も、あなたのお悩みは、あなただけのもの。それはとても孤独だけれど、おおきな安心をもたらしてくれる。私たちは今日も、ため息をつき、恥ずかしさにふるえ、涙をこぼしながら、この一冊とともに戦っていける。