HOME

幼少から孤独だった。
いつも自分には居場所がないと感じていた。
居場所を手に入れたと思っても、
それは束の間だった。

だから永遠にココだと感じれる、
安心できるHOMEを手に入れたかった。

気がつけば生を受けて51年目。
周りを見渡せば、
誰もが当然のようにパートナーを手に入れ、
家庭を気づき、
根をおろし、張っているように見える。

なのにわたしだけが未だソレを手に入れず。

心はともかく、
身の置き処となる両親の元に居座ってみるものの、心は求めてやまず毎日考える。

「なぜ?」

でもそれは、ついさっきまで。
やっと一つの答えが降りてきた。

若い頃「女は受身」と母から教わった。
人は結婚し2人で家庭を築くものだと、社会から教わった。
1つのことを継続することが成功だと、気がついたら思い込んでいた。

でも、もしかしたら…わたしはそういう設定で生まれていないのかもしれない。

誰もが一つの場所に留まり、そこで舞うとは限らない。中には跳び石を、軽快に跳んで渡り続けるような人生を設定している人もいる。

もしも私が後者なのだとしたら、にもかかわらず1つの跳び石の上に居座ろうとしてはしゃがみ込むものだから、宿命がその石を沈めてしまう。

そうやって水に突き落とされては、次の石に這い上がるしかなく、でもまたその石にしゃがみ込む。

性懲りも無くそれを繰り返したのは、他者や社会の常識や価値観を、無条件に自分に当てはめていたから。

宇宙はそれでも根気よく、愛ゆえに強制的にわたしを押し進めたんだろうな(笑)。
魂の幸せに向かって。

1つの居場所、1つの愛、1つの仕事…1つを継続することに執着しなければ、すべてが居場所で、愛で、生業なのかもしれない。

もしかしたら、花から花へと飛び渡る蝶のように、心という魂のコンパスに従って移り渡る中でHOMEだと感じられる何かと出逢うのかもしれない。

もしくはその先にあるのかもしれないし、
ナイのかもしれない。

そう思ったら、魂のコンパスの針がふれた。
怖いけど、ワクワクもする。
恐怖は未知からくるだけで、ワクワクが指針。

ならば、それに従って動いてみるだけ!

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