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令和にユーリオンアイスにはまった哲学オタによる知識提供【アガペーとエロス】

2年ぶりの冬ですっかり胃腸炎ぽくなってしまった。
冬といえば「ユーリオンアイス」というフィギアスケートのアニメがあり、友人のすすめで数年ぶりに視聴し、緻密に練られたストーリーや演出技法に魅せられはまってしまった。
当時もリアタイして面白いなとは思いつつ、まだまだ教養のきの字もない子供だったため物語の深みを全く理解できていなかったんだなと反省すらした。

わざわざ令和のこの時代に本noteを読みに来る人は熱烈なユーリオンアイスのファンの方だけなので(偏見)、あらすじなどは割愛し、YOIにおけるエロスとアガペーの意味付けについて哲学史をもとにふわっと考察していきたい。

【ガチ哲学史!】YOIにおけるエロスについて

【「饗宴」というタイトルについて】

「饗宴」はプラトンの『対話篇』に収められている目次のひとつとでも思って欲しい。
アイキャッチや本編内で食が出るシーンが多いのは「饗宴」を暗喩しているという推測は大いに可能である。
「饗宴」(古希Συμπόσιον)というのは師弟や友人と食事をしながら(食後の場合も)対話を深めていくというプラトンがしていた議論の形式があり、現代ではシンポジウムという名前出親しまれている。


【当時のハイエンドな知識人たちの師弟愛】

古代ギリシアの師弟愛というものは、有識者が美しい少年を情熱的且つ精神的に教育するもので、有識者から教わった美少年は後に別の美少年を弟子にして教育するのが一般的だった。
知識人は面もいい。そんな時代。
もちろん少年の純潔が保たれるわけではなく、肉体関係もこみこみだ。
この慣習をカパラデラスティア(少年愛)という。
ヴィクトルと勇利もこれに近いコンセプトをモデルにしてるのかもしれない。
哲学畑の人間としては師弟愛とエロスを並びたてられたらカパラデラスティアしか思い浮かばない。

【プラトン的愛(platonic love)とは】

プラトンが最も推奨する愛の形はプラトン的愛と言われており、
プラトニックラブという言葉で世間一般に広まっている。
プラトニックラブはルネサンス時代に表現されたもの(違ってたらすみません)でキリスト教や騎士道などに影響を与えている。 簡単に言うと肉体よりも精神な愛が先にこないとあんまよくないんじゃねえですか?っというのがプラトンの主張。 お気づきの通り、肉体=エロス、精神=アガペーと形容できる。

【カツ丼=エロスの整合性】

プラトンが友人たちとの議論の場で「エロースについて」が議題に設定され、順々に演説していくことになった。
『対話篇』の中の「饗宴」、『対話篇』の中のエロス。
そう、カツ丼=エロスは証明出来る。こじつけでは無い。

【議題「エロースについて」】

3つのトピックについてプラトンは書いている。

  1. 愛の神エロースを順に賛美する
    イメージ「エロスまじ最高すわ!」

  2.  ソクラテスの演説
    イメージ「知り合いの奥さんが言ってたんだけど〜エロスって終わりがあんじゃん?だから精神的な繋がりをしっかりする方が大事ぽいんだよね〜」

  3.  ソクラテス大好きアルキビアデスの乱入で饗宴は大混乱!
    イメージ「ソクラテス先輩って俺の事全然好きじゃないっすよね?あんたのこと尊敬しててあんたから教わりたいのに。俺酔ってるから言いますけど、あんたに愛されたいんですよ。」

最後の人、爆弾すぎる。ダンスバトルしてたどっかの誰かみたい。

【対話篇から読み取れるエロースのコンセプト】

  • エロースは一番最年長の神々で最も権威的。

  • エロースが少年愛の肝なので、エロースからは医術、占星、音楽、体育、子供などあらゆるものがうまれるので、どんな神々よりもすごいと思われてる。

  • この神に従っていれば自分に足りないものを補うために求め合うことができていいことしかない。エロースに従うとお互いを尊重できて公正で平和な社会になるし、相手に親しみや温情を持つことができる。

【ソクラテスの友達の奥さんの話がイケてる】

簡単に要約するとこのようなことを言っていた。

「エロースの求め合うというところが良いとなると、エロースは善いものが欠けているということになるのではないか?という論理展開が可能になってしまう。
エロースは美しいや善といった意味では無く、どちらかというと仲介してくれる媒体でしかなく、とはいえ、エロース以上に助力する神々もいないのでそれは素晴らしいことだ。」

なかなか鋭い。この意見には一同賞賛で、今日に至るエロスのコンセプトはこのように生まれた。

【ガチ哲学史!】YOIにおけるアガペーについて

前述のエロースについてを絶対に読んでからアガペーの知識入れてください。

【エロスを英訳する際にLOVEと言い換えるのは△】

アガペーもエロースと同じく古典ギリシア語ではあるものの、今日におけるアガペーとはキリスト教的で、エロースとは全く異なる派生で確立されたコンセプトだと知ってほしい。

『新約聖書』を福音記者が記す際に選ばれた愛を表現する言葉は
「アガペー」「エロース」「カタリス」「フィリア」だが、
キリスト教解釈ではエロースはネガティブなもので、満たされないものを埋めるのがエロースと解釈されている。
さらに古カトリック的にはLOVEの訳語でエロースは使用できないことになっており、それ以外の3つの愛にはLOVEを使用することができる。
プラトンの対話篇の意味合いで行けば慈善もエロースだったが、今日慈善はご存じの通り「チャリティー」と訳す。

【アガペーが抱えた課題とアウグスティヌスの回心】

なぜ神は無償の愛(アガペー)を人間に与えるのにこの世には「悪」や「悲惨」といったネガティブなものがあるのだろうかという曖昧さが哲学・神学者の間で非常に大きな問題となる。

グノーシス主義からキリスト教に回心したアウグスティヌスはこの世は神が善良の気持ちで作ったものであり、善には濃淡がある。そのせいで相対的に悪と善というように分かれて見えてしまっていると主張した。これを「善の欠如」という。
アウグスティヌスはキリスト教の世界観構築に新プラトン主義やストア派のエッセンスをふんだんに練りこみ、神学と哲学を統合的に行ったことで成果を上げている。(哲学と神学の違いが不明瞭に見えるのはこういった取り組みをしているためだ)

「アガペー」というのは最も崇高な愛の形で、ユリオが寺や滝で邪念や煩悩を消すという演出はあからさまに足りないものを補いたいという気持ちを捨てさせたという風な見立てもできる。
心の快楽を求め続けるエロースを追求する勇利との対立構造はこのように作られたのかもしれない。

余談
追い求めるのがエロースということでついでに一言余計なことを言いたい。
エピクロスの「快楽主義」における快楽とは「心の平安・苦痛がない状態」を示すものだ。この幸福度が高い状態を支持するものは「快楽主義者」という。これは勇利の性格に近いのかもしれない。

【哲学・神学におけるアガペーの脆弱性】

しかし、善があるのに悪もあるのは非合理的だ。(神の力が諸悪よりも弱いはずがないから)
キリスト教とギリシャ哲学はアガペーの解釈をめぐる問題を抱え続けた。

ここでニーグレンはエロースはプラトンの言ってるコンセプト(概念)で良く、そのうえでアガペーはエロースよりも高次な愛とし、神が不完全な人間に対して下降的且つ自発的に行ってることと主張した。

この理論だとユリオのアガペーの最後のポーズが上向きなのは人間が行う上昇的姿勢であって、ユリオが神として下降的に演技をしたわけではないということになり、哲学的にかなり違和感があることに気づいて欲しい。これを踏まえると、ニーグレンのみを参考にユリオのアガペーを考察するのはおすすめしない。

【ユリオが上昇的な愛を表現したらそれはエロスではないのか?】

神から人間に与える愛はアガペーだが、人間から神へはエロースをさせてしまうということになる=人間が欠如してる部分を求めるために神の愛があるという利害関係が生まれてしまっていることになる。神に対して人間が舐めた態度をとってはいけないので、どうしても人間から神に向ける感情を清潔感のあるものに定義付けたいところだ。

【神の無限の恩寵=アガペー】

ほぼほぼアガペーの解釈で一致が得られたのはトマス・アクィナス以降である。 トマス・アクィナスは天動説を揺るぎ無いものにしたことでも有名で、哲学的にも神学的にもかなりの偉業を成し遂げている人物だ。

トマス・アクィナスはアガペーを「神の無限の愛と恩寵」とした。
アガペーとは事物に対する存在の無償の付与で、事物・人間は存在してること自体が無償の恵を受けており、そのため「存在」していればそれはアガペーで「無」なのであればそれが悪と主張。
ここでようやくアガペーという言葉の整合性がとれた。
エロースまではおもしろくこの記事を読めたかもしれないが、アガペーからはきつかっただろう。お疲れさま。

まとめ

ヴィクトルには「そんなことを考えてるなんて、変わってるなー」と言われそうなものだが、実際のところかなり綿密に哲学的な背景がストーリーに反映されているように感じる。それも語弊がないよう慎重に。
ときどき海外の映画やドラマが日本という国の独特なエキゾチックさを表現しようとると、かえって誤った日本を表現してしまい物議をかもすことがある。
その逆もしかりで、ヨーロッパ圏の文化を日本人が描く場合にも同じことが起こってしまわぬよう細心の注意が必要なはずだ。
とくにエロスとアガペーをめぐる愛についての解釈は、ヨーロッパ圏で何百年にもわたり議論されて確立された極めて宗教的でセンシティブな話題。
ヨーロッパ圏でもユーリオンアイスが高い評価を受けたのは、ユーリオンアイスの中心にあるヨーロッパ的な「愛」の表現が上手で違和感を感じさせなかったためだろう。

ここまで読んでくれた方に感謝を申し上げる。
今回の内容は二次創作や考察に大いに使用してくれてかまわないが、できれば引用元として、記事のURLを明記してくれると嬉しい。


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