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「科学の本質」って何? その1:理科教育におけるその重要性

 こんにちは。突然ですが,みなさんは「科学の本質」,あるいは“Nature of Science(NOS)”という言葉を聞いたことがあるでしょうか。この科学の本質は,日本ではまだまだマイナーかもしれませんが,実は今後とても重要になってくるであろう教育内容なのです。今回はそんな科学の本質(以下,科学の本質に統一して表記します)に関する記事となっています。

 今回この記事は,Science Education Book Club in Japanの活動の一環として,オンライン読書会で読んだ本の内容と参加者による議論をまとめたものです。2020年の2冊目の本は,“Science Education An International Course Companion”を読み進めています。

 私はこの読書会にて,対象本のchapter2,“Reflecting The Nature of Science in Science Education”を担当させていただきました。本記事は,本章の内容に関する前半部分に該当します。それでは,本題に入っていきましょう。

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科学の本質とは

 本章の内容に入る前に,科学の本質とは何ぞやということに触れる必要があるかと思います。したがって,僭越ながら科学の本質について少し説明させていただきます。

 みなさんは,「科学に関する知識」というと何を思い浮かべるでしょうか。例えばOECD(2006)では,学習者が科学的能力を発揮するために必要な「科学に関する知識」として,「科学の知識」と「科学についての知識」の2種を挙げています。
 まず前者の「科学の知識」とは,酸素や二酸化炭素,あるいは光合成やそのしくみといった,「科学によって生産された知識」にあたります。そして,後者の「科学についての知識」とは,科学はどのように知識を生み出しているのか,また科学の知識はどのような性質を持つのか,あるいは科学者はどのような活動を行っているのかといった,「科学とは何かに関する知識」にあたります。そして,今回扱う科学の本質は,まさにこの「科学とは何かに関する知識」にあたります
 もう少し科学の本質について具体的に述べるならば,科学の本質の代表例として,「科学の創造性(science is creative)」が挙げられます(McComas & Olson, 1998)。これはどういうことかというと,科学的知識は「自然界からありのままの姿で発見されるもの」ではなく,「偏見や先入観が介在する人の認識を通して創造されるもの」であるということです。したがって,人(科学者)の認識を通して観察・解釈されることで提出される科学的知識はありのままの姿であるということはありえず,人間の創造物であるということなのです。なお,科学の本質は様々な学問領域(科学哲学,心理学,科学社会学,歴史学)から援用された「科学とは何かに関する知識」を含む肥沃な分野といわれています。

 以上みてきたように,科学の本質とは,理科教育における研究分野の1つです。しかしながら科学の本質,すなわち「科学とは何かに関する知識」は,多くの方にとっては「科学の知識」と比べてあまり馴染みのないものかもしれません。なぜなら,これまで日本の学習指導要領において,小中高における理科の学習内容として「科学の知識」は扱われてきたものの,科学の本質に関する内容は直接的に扱われてこなかったからです。しかしながら科学の本質は,後述する本章においても指摘されているように,未来の科学者や技術者のためだけでなく,すべての学習者にとって重要な学習内容であると言われています。

 それでは,本章の内容を基に,科学の本質の詳細についてをみていきましょう。なお,以下で表記される「科学的知識」とは,「科学の知識」のことを指します。

※参考・引用文献
McComas, W. F. & Olson, J. K. : McComas, W. F.(Ed.)(1998), The Nature    of Science in International Science Education Standards Documents,    The Nature of Science in Science Education Rationales and Strategies,    Kluwer Academic Publishers, pp. 41-52. 
OECD(2006)Assesing scientific, reading and mathematical literacy : A       framework for PISA 2006, OECD : Paris
   国立教育政策所(監訳)(2007)『PISA2006年調査 評価の枠組み         OECD生徒の学習到達度調査』,ぎょうせい

本章の概要

 本章の著者はケンブリッジ大学のKeith S. Taberです。Taberは自身の研究内容でもある「科学の本質」について,本章を通して基礎的かつ重要な内容を述べています。

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※画像の出典
http://www.educ.cam.ac.uk/people/staff/taber/index.html

 本章は大きく3点,「科学の本質の重要性」,「科学の本質に関する問題点」,「科学の本質の重要なトピック」といった内容から述べられています。
 まず,「科学の本質の重要性」について述べられています。Taberが理科教育における主要な目的を3つ挙げ,そのいずれを達成するためにも科学の本質は重要であると指摘しています。
 次に,「科学の本質に関する問題点」です。理科教育において重要である科学の本質ですが,その内容をカリキュラムに導入する上で生じる問題点を述べています。また,Taberはその問題点の解決に関する自身の見解を述べています。
 最後に,「科学の本質の重要なトピック」です。カリキュラム導入への問題点を克服したならば,具体的にどういった科学の本質のトピックを学習者に教えればよいのでしょうか。Taberが重要な複数のトピックを提案しています。

 以上が本章の概要になります。それでは「科学の本質の重要性」からみていきましょう。

科学の本質の重要性

 Taberは,理科教育のカリキュラムデザインにおける考え方として,「理科教育には多くの潜在的な教育内容が存在するため,カリキュラムを考える上では理科教育の目的を念頭に置く必要がある」と述べています。なぜなら,学校教育で扱われる理科の教育内容は様々な選択肢の中から選ばれたものであるためです。というのも,各種自然科学(例えば,物理学,化学,生物学,地球科学)では,日々新たな科学的知識が生み出されていますし,時代や社会の変化に影響されて学校で教えるべき学習内容は変わっていきます。このため,定期的に(あるいは必要に応じて)カリキュラム(学習内容の配列)をアップデートする必要があるのです。したがって,カリキュラムをアップデートする際には,潜在的な多くの学習内容の中から「ある学習内容」を選択する際には,必ず理科教育の目的に振り返り,選択した学習内容を実践することでその目的を達成できるか否かを検討する必要があると述べているのです。

 さらにTaberは続けてこう述べています,「理科教育の目的を達成する上で科学の本質を教えることは重要である」と。一体どういうことでしょうか。

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 では,先程のTaberの主張を理解するために,まず,そもそも理科教育の目的とは何であるかをみていきましょう。

 Taberは理科教育の主要な目的を3つ,「科学者・科学技術者の育成」,「科学の文化的側面の理解」,「科学技術社会における市民の育成」を挙げています。
 まず,「科学者・科学技術者の育成」が挙げられる大きな理由としては,それら職業自体に社会的な需要があることが考えられます。これは,国の発展に科学力や技術力は不可欠であるためです。加えて,このような科学者や技術者を志望する児童・生徒・学生は一定数いるため,これら学習者のニーズにも応える必要があるとも述べています。
 次に「科学の文化的側面の理解」が挙げられています。これはどういうことかというと,科学的知識や科学技術は人類の文化的財産であるということに由来します。具体的には,先程述べたように,科学的知識は人の認識を通して創造されるため,人の認識を通して創造される美術や音楽と同様,文化的な側面を持つということです。したがって,学校教育で音楽や美術といった文化的財産を楽しむことのできる学習者を育てることが求められるように,理科教育においても,例えば,科学館でのプラネタリウムや博物館での化石標本など,科学の文化的財産を楽しめる学習者を育てることが求められるのです
 最後に,「科学技術社会における市民の育成」が挙げられています。私たちは,科学技術と密接に関係している社会で生活しています。そのような社会で私たちはしばしば,科学に関する問題に対して意思決定,すなわちどのような行動をするのか選択を迫られる場面があります。例えば,身近なものでいえば医療機関で治療を受ける際に,どのような薬や治療法を選択するのか必要なことがあります。その他,昨今の海洋汚染や地球温暖化などの環境問題のことを考慮し,自分にできることは何だろうかと考える人は少なくないでしょう。また最近では,原発問題や感染症など,生活に直結する問題に誰しもが行動の選択を迫られています。そして,このような科学に関する社会的問題に対して行動を選択する際には,やはり科学に関する知識が必要となります。したがって,上記のような諸問題に対して行動の選択ができる市民を育成することは,理科教育の重要な役割であり目的であるといえます。

 以上がTaberが指摘する理科教育の3つの目的になります。では,ここで先述のTaberの「理科教育の目的を達成する上で科学の本質を教えることは重要である」という主張を振り返り,具体的にどのように重要なのかみていましょう。

 まず,「科学者・科学技術者の育成」についてです。Taberは,科学者・科学技術者を育成するにあたって,「科学の営みとはどういうものか」ということを理解しておくことは重要であると述べています。この「科学の営み」とは,すなわち科学の目的や方法のことであり,科学の本質に関する内容にあたります。なぜTaberはこのようなことを述べているのかというと,学習者が将来的に科学や科学技術に関する研究職に就職することを考慮したならば,科学的知識にただ詳しい(あるいはただ勉強するのが好きな)だけでは研究を遂行していくのは困難であり,「科学するとはどういうことか」といった研究に関する良い感性を持っておく必要があると考えているからです。
 次に,「科学の文化的側面の理解」についてです。Taberは,この目的を達成するためには,「科学は文化的活動であるという科学の本質を理解する必要があると指摘します。これはどういうことかというと,先述したように,科学的知識や科学技術は文化的側面を持ちますが,それら知識や技術を生み出す科学自体も人類の文化的な活動に他ならないということなのです。加えて,科学的知識や科学技術は時代とともに変化していくものであるため,学習者が学校教育で学んだ知識などは将来実用的には無意味になるかもしれません。したがって,Taberは学習者が生涯を通して理解しておくべきは,実質的に不変である,よりよい理論や仮説といった科学的知識を生み出していく「文化的活動としての科学」であると主張するのです。
 最後に,「科学技術社会における市民の育成」についてです。Taberはこの目的を達成するためには,「科学における議論」を理解しておく必要があると述べています。この「科学における議論」とは,未だコンセンサスの得られていない科学に関する問題に対する科学者の議論(合意形成の過程)を指します。そしてこれはやはり,「実際の科学者の活動」という科学の本質に関する内容にあたります。また,Taberは,この「科学における議論」の理解こそ,学習者が成長して社会生活を営む市民となった際に重要となると述べています。なぜなら,実際の科学に関する社会的な問題は,科学者集団の中でも見解が対立しているものであり論争の残る分野であるにも関わらず,学校教育で学習者に教えられる科学的知識は,科学者集団の中では議論の対象でない安定した内容であるためです。すなわち,「科学における議論」に関する科学の本質を理解していなければ,学習者は将来科学に関する社会的な問題に対して,「自分には関係ないことだ」と市民として然るべき行動を選択することができないかもしれません。したがって,学習者は「科学における議論」を理解し,未解決な科学に関する社会的諸問題に対して科学者の合意形成の方法にならって,「自分はどの立場に基づきどのように行動すべきか」と考えることができるようになる必要があるのです

 以上のような理由から,Taberは,理科教育の目的を達成する上で,科学の本質を教えることは重要であると強く訴えるのです。
 なお,Taberは,従来の科学的知識を教えることも重要であると述べています。しかしながら,これまでの理科教育の主要な反省点として,「高度な科学的知識のみを教えようとしてきたこと」を挙げています。これはどういうことかというと,最先端の難しい科学的知識をカリキュラムに導入し,学校教育で教えることは,一部の優秀な学習者にとっては有益であったけれども,それ以外の学生にとっては理解できずに困惑させるものであったと述べられています。

 以上のTaberの主張から,理科教育の目的を達成し,すべての学習者のニーズを満たすために,科学の本質をカリキュラムに導入して学校教育で教えることは重要であると考えられます。

科学の本質に関する問題点

 先述の内容から,今後科学の本質をカリキュラムに導入することを積極的に進めていくべきであるように思われます。しかし,Taberは科学の本質に関する問題点も述べています。そして同時に,それら問題点に対する自身の見解も述べています。ではそれらについて具体的に見ていきましょう。

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 Taberは科学の本質に関する問題点として4点,①「科学(自然諸科学)は非常に広範な研究領域を含んでいるため,科学の本質は必ずしも全ての自然諸科学に共通しているとはいえない」②「科学の本質をどのように捉え,どのように指導すべきかという強いコンセンサスが常にあるわけではない」③「科学の本質が関連する分野(科学哲学や心理学など)がしばしば学習者にとって専門的すぎる」④「教師,カリキュラム開発者,教科書執筆者が科学の本質を十分に理解していない」,といったことを指摘しています。では,科学の本質をカリキュラムに導入して実践していくことを目指すにあたり,これらの問題点をどのように解決すればよいのでしょうか。

 Taberは上述の問題点の解決に向けた見解として,3点あげています。それぞれ順番にみていきましょう。
 まず,Taberは上述の問題点①②③について2点,「理科教育の目的達成と,すべての学習者のニーズを満たすために教えるべき科学の本質の内容は広く合意されている」ということと,「科学の本質は適切な単純化を行うことで教えることができる」ということを述べています。すなわち,自然科学の範囲は広いし,科学の本質の内容や教え方の立場も様々,また教えたとしても難しいのではないかといった指摘はあるけれど,どういった科学の本質のトピックを教えるべきかは一定のコンセンサスがあるし,カリキュラムに反映させる際には,従来の科学的知識をカリキュラムに導入する際に行ってきたことと同様に,学習者の発達段階や内容の重要な部分を考慮して適切に易化すればいい,と述べているのです。
 また,問題点④については,「理科教育カリキュラムにおける科学の本質の重要性が浸透すれば時間とともに解決する」と述べています。すなわち,理科教育学の研究者が,科学の本質の重要性を訴え続ければ,カリキュラム開発や教科書執筆に関わる研究者にも認知されるだろうし,カリキュラムや教科書に科学の本質が反映されれば,トップダウンで教育現場で実践する教師にもその重要性が認知されるだろう,と指摘するのです。

 以上のようなTaberの見解は,一見楽観的に聞こえるものもありますが,やはりこれまでも述べてきたように科学の本質の重要性を鑑みると,カリキュラムに入れていくべきだという一貫した熱意を感じます。では,実際にカリキュラムに導入していくことを目指すならば,どういった科学の本質のトピックを扱うべきなのでしょうか。

 実はこの理科教育で扱うべき科学の本質のトピックは,とても内容が盛り沢山なのです(子どもや教師,研究者はもちろん,すべての人々が今日から,あるいはこれから市民として生きていく上で重要な内容であると考えられます)。是非,本記事の続き『「科学の本質」って何? その2:科学の本質の具体的なトピック』を読んでいただければ幸いです。



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