思い込みを打ち破られた「デコレータークラブ」のこころみ
先月末、箱根にある彫刻の森美術館を訪れました。
常設展示の鑑賞目的での来館です。
施設内「アートホール」で企画展も開催されていましたが、まったく関心はなく、素通りしました。この素通りが「必然だった」とあとから気づくのです。
常設展の中にしかれた、企画展のインスタレーション。
インスタレーションと気づかず、しかけられた「からくり」に退館間際になってはじめて気づくのです。
その企画展の名称は、
「飯川雄大デコレータークラブ 同時に起きる、もしくは遅れて気づく」
そんな一連の鑑賞体験を、時系列でご紹介しますね。
【ネタバレあります】
ちなみに会期は終了しています。またどこかで開催を祈るばかりです。
意図せず「ピンクの猫」に出会う
当初は全く関心がなかった企画展。
企画展のタイトルが長く、読み終える前に常設展に向かってたというのが正直なところ。
敷地内の奥まったところにある緑陰広場まで来ると、風船の猫が展示されていることに気づきます。その大きさに、圧倒されました。
名前は「ピンクの猫の小林さん」
写真に撮ろうと試みたのですが、かなり大きくて全身をとることができません。しかも猫の目の前に大木が三本あって、どうしても猫の片目がふさがります。シルエットすらわかりません。
近くに高さ18メートルのステンドグラスの塔があります。展望台まで昇ってみました。箱根の山々を見渡すことができますが、猫の全景をとらえることはできません。
すると、作品の前にキャプションがありました。
まったくもって図星です。
さらにキャプションは、つづきます。
なるほど!
「曖昧さについて」、すっかり意識を志向されました。アーティストの思うツボですね。
キャプションを読み、このアーティストの世界観に一気に引き込まれました。企画展見ておけばよかった~と思ったけれど後の祭り。
「リュック」と目玉焼きのオブジェ
そして帰り道。
「目玉焼きのオブジェ」を通りかかると、目玉焼きの上にリュックが一つ。
閉館間際ですので、まわりに人気はありません。忘れ物かな?
オブジェの全貌を写真で撮りたかったのですが、正直リュックがじゃまでした。あえてリュックが映らないように撮り、その場をあとにしたのです。
もうちょっと、ちがう角度で撮りたかったのにな~。もやもや。
忘れ物は、あとで係の人に言えばいいかな~。閉館間際にもやもやしたまま、さいごに美術館の売店にたどり着きました。
すると先ほどの「リュック」と再会!
なんと、「リュックの写真」が、絵葉書として発売されていたのです。
これにはびっくり!
狐につままれた思いでした。
忘れ物だと思いこんでいたあの「リュック」。
「ベリーヘビーバック」という「アート作品」だったのです。
リュックを目にしたときの能動的な反応と、受動的な反応。
鑑賞者の偶発的な行動まで意向していた、ひとつの「アート作品」。
あえてリュックが映らないようにと配慮した自分が、ただの小心者に思えたのです。
もう一回、これらのしかけを再体験してみたい!
アートホールには、そもそも何が展示されていたのか鑑賞してみたい!
その気持ちがあって、二日後に再来館したのです。ちょうど会期最終日でした。
「デコレータークラブ」とは
「デコレータークラブ」とは、海藻や海綿などを体中につけて擬態するカニのこと。カニ=クラブ(crab)ですね。天敵から身を守るための生態ゆえ、このカニの姿はとらえどころがありません。
つまり、ダイバーは興奮して蟹と出会った驚きを伝えているのですが、受け手には伝わっていません。この体験が、デコレータークラブのテーマにつながっているとアーティストは話します。
「デコレータークラブ-0人もしくは1人以上の観客に向けて-」
今回はまず企画展「アートホール」を鑑賞しました。
見覚えのあるリュックがたくさん、展示されていました。
なるほど。
そして鑑賞者が回すハンドルとワイヤーが、あちこちに設置されています。
吊るされたリュックが連動して動く作品があれば、外へとつながるワイヤーもあります。
外へとつながるワイヤーをたどる行程も、面白かったです。
鑑賞者がハンドルを回していても、当の本人はその「反応」をその場で確認することはできません。
距離と時間を隔てた鑑賞体験になるのです。
気づくのは、神のみぞ知る領域ですね。
「リュック」ありきの屋外散策
さっそく屋外へアート鑑賞に出向きました。
するとヘンリー・ムーアの彫刻のすぐとなりに、置かれていたのです。
散策路のど真ん中。みなリュックを避けながら、歩いていました。
きっと「じゃまだなあ」と思って歩いた人も多かったはず。
その人たちは売店で「遅れて気づく」のです。かつての私のように。
さて今回は目玉焼きの上ではなく、メイン通路上にリュックがありました。ある意味、だれしも目にする場所。
誰かがリュックを持ち上げて移動することも計算ずみかもしれません。
すると見知らぬ幼児が私たちの元へやってきたのです。
「このリュック、アートなんだよ!」
と、教えてくれました。
なんて親切な。きっと「アートホール」でリュックを見てきたのね。
最初から答え合わせありきの散策。
二回目なので想定していた「衝動」はなかったのですが、十二分に満喫できたアート鑑賞でした。
帰宅後に
さて、帰宅後に。
小学生の娘が自発的に「ピンクの猫の小林さん」の絵を書いていまいた。
しかも猫の全身を描いていたのです。もし猫が歩きだして、木のないところで寝ていたら…って前提で。心の中でしか見ることのできなかった、猫の全身。
しかもピンク猫と青猫の二枚。
「ママ、小林さん見たかったでしょ?」
それもまた、偶然なのか、必然の共有なのか。
「ピンクの猫の小林さん」のポスターも、「手書きの猫の小林さん」の絵も、大切に飾っている我が家なのです。
まとめ
一回目に鑑賞したときは、通りすがりに親切な幼児が現れることもなく、予備知識もありませんでした。それが幸いし、まるでめずらしい蟹に出会えた「衝撃」を受けることになりました。
鑑賞者の予期せぬ心の動きこそ、アーティストの意図の一つだったのかもしれません。
「遅れて気づく」貴重な体験でした。固定概念を覆えされた思いです。思い込みのこわさ、気づくことの意味、曖昧さへの意向。いろんな概念が、一気に頭の中に飛び込んできました。
目の前に見える事象をそのままに、「気づく」とは限りません。
価値観が覆されるとは、こういうことかと。気づくのは数年先でも良いという懐の大きさ。
私自身にとっても、新たな価値観をまとめるよい機会となりました。
追記
リーフレットに一言書いてありました。
まだまだ未熟でしたね。
アートの道は険しそうです笑
こちらの記事でも、彫刻の森美術館の感想をお伝えしています。よろしければご一読くださいね。